ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

萩生田発言報道が引っかかる

 今日はごく手短に。
 Twitterを眺めていたら、お前が言うな! という声をあちこちで目にしましたが、自民党の萩生田政調会長が一昨日(21日)に「岸田内閣は……国民の信頼回復に全力を挙げるべきだ」と述べたという報道があります。
自民・萩生田政調会長「岸田内閣は信頼回復に全力を」 寺田総務相更迭で | TBS NEWS DIG (1ページ)

寺田総務大臣の更迭について、萩生田氏は視察先の横浜市で「政治資金規制法を所管する総務大臣として、自らの疑惑の説明が国民にわかりづらいところがあった」と指摘したうえで、このように述べました。
自民党 萩生田光一 政調会長
「(大臣)3人が辞任をするということが続いたわけですから、国民の皆さんの信頼を回復するためにもですね、岸田内閣としてはお約束の一つ一つをしっかり結果を出して、そして信頼回復に全力を挙げるべきだと思います」
また、今後の国会審議については「政府と協力し、政治の停滞を生まないように残された国会審議に全力で臨みたい」としています。

 旧統一教会との一・二を争う濃密な関係ゆえに閣外に去り(岸田首相からすれば避難してもらい)、追及をかわし続けてきた人です。「よく言うわ」と小生も思いつつ、いや、待てよ、わざわざこの程度の(内容のない)コメントを報道させるのには、何か意味があるのでは、と考えてしまいます。想像するに、ひとつには、統一教会問題の焦点を信者の救済問題へそらし、自分は(細田衆院議長らとともに)何とか逃げおおせて、一区切りついた人間だという自信の現れであったかも知れません(まだわかりませんが)。あるいは、安倍派の頭目争いが “無風の緊張状態” にある中、俺を忘れるなよというアピールであったかも知れません。でも、まだ何か足らない気もします。

 というのも、日曜(20日)の夜、やっと寺田総務大臣の「更迭」に踏み切った岸田首相でしたが、後任の松本剛明新大臣、元民主党だけに「統一教会」との関わりは出てきませんが、昨日の赤旗によれば、報道政治資金パーティー会場の収容人数を超えたパーティー券を販売した疑いがあるとのこと。政治資金を管轄する総務大臣として、また、前任の寺田氏を政治資金問題で辞めさせた「筋論」からすれば、松本氏は適任とは言えないでしょう。しかも、着任した翌日にもう問題が発覚するようでは、説明責任を果たすべきなのは、松本氏ではなく、むしろ岸田首相であり、説明責任より任命責任(任命者の資質)が問われるべきです。
 加えて、今度は、岸田首相自身の公職選挙法違反の疑いが浮上しています。文春によれば、昨年10月の衆院選で岸田首相の事務所が広島県選挙管理委員会に提出した「選挙運動費用収支報告書」に添付された領収書に宛名や但し書きのないものが94枚もあったというのです。
〈証拠写真〉岸田文雄首相も選挙で“空白領収書”94枚 公選法違反の疑い | 文春オンライン

 菅前首相が「(岸田は)4月までだな」と漏らし?「岸田降ろし始動」という文春の記事も配信されているようです(見出しくらいしかわかりませんが)。
菅「4月までだな」岸田降ろし始動 | 週刊文春 電子版

 もはや「12月内閣再改造」どころの騒ぎではなくなる可能性もあります。萩生田氏がこうした情報をつかんだうえで、わざわざ発言しているとすれば、「忠臣」を見せかける発言内容とは裏腹に、「政局が近い」と踏んでいるように思えます。結局はメディアを使った自身の存在感のアピールなのですが、何を言ったかという内容はどうでもよくて、萩生田が何か言ったと「(テレビで!)報道」させ、影響力のある政界の有力者だと世間に周知させることが主目的だったのではないかと思います。






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「政治主導を偽装した官僚専制」

 最近安倍政権を「行政独裁」とか「官僚専制」と特徴づける人がぽつりぽつりと現れているように感じます。言葉として断片的には以前にも耳にしていましたが、筋立てた話を2つほど知りました。

 日曜の毎日新聞朝刊に、ノンフィクション作家・保阪正康さんとジャーナリストの池上彰さんの対談が載っていて、興味深く読みましたが、その中で保阪さんは「安倍政治は「行政独裁」だったと見ている」と述べていました。これが1つめです。少し長いですが、引用させてください。
池上彰のこれ聞いていいですか?:保阪正康さん「安倍政治は行政独裁」 歴史を見て考える民主主義 | 毎日新聞

民主主義の継承、日本は失敗した
 池上 英国やドイツには政治家の言葉によって国民を動かしていく歴史があります。一方、日本の政治家にはその伝統がありませんし、やはり哲学が感じられません。
 保阪 中曽根康弘元首相は、政治手腕が乱暴な政治家だと思っていましたが、彼の回顧録を読み、人知れず勉強していたことをノートに書き記していたことや「首相は歴史の審判を受ける」という意識を持っていることが分かりました。その意識は首相としての第一条件だと考えます。ある種の政治家は、その意識を持って首相になりましたが、ある時からふっと消えてしまった。戦後民主主義で育った人が首相になると駄目ですね。
 池上 なぜそう考えるのでしょう?
 保阪 小学校のホームルームのような政治になってしまっているからです。教室で山田君がボール遊びをして窓ガラスを割ったとしましょう。先生が「みんなで議論しろ」と言ったので「山田君の遊びを止めなかった僕らも悪い」といった議論になる。単なるお互いの責任逃れみたいなことに民主主義を持ち出しています。民主主義は個人の自立が前提だから、そのためには論点を明らかにして論じなければならないのに。
 また、ルポライター鎌田慧さんと話していて「僕らの世代は、民主主義を継承することに失敗したね」と反省を共有したことが印象に残っています。政府に反対する国会前のデモは、高齢者が多いという話もしていました。
 池上 確かにデモは団塊の世代が中心で、下の世代の参加は少ないのが実情です。ではなぜ民主主義を継承できなかったのでしょうか。
 保阪 戦前をきちんと理解していないから、民主主義の本質をつかめなかったのです。戦前は「軍事独裁」だったとの理解は間違っています。正しくは「行政独裁」です。軍部の独裁ではなく、軍が行政を握って、司法、立法を隷属させたのが本質なのです。ですから現代には昔のような悪い軍は存在しないから独裁にはならない、という見方は錯覚なのです。行政が独裁になる怖さは今でもあると認識しなければいけません。
 もう一つは「自由」や「平和」は、総合的に検証しなければいけないのに、イメージだけでそれらの言葉が使われています。自由、平和といった言葉を使えば、社会全体がなれ合っていくような言語空間もできてしまいました。

 池上 平和や民主主義という言葉には柔らかい感じがありますが、それらを守っていくのはとてつもなくきついことですよね。
 保阪 平和憲法」と表現した時から間違いが始まっています。帝国憲法を「軍事憲法」と位置付ければ、現行憲法は「非軍事憲法」なのです。平和憲法の目的に到達するまでには距離があるから、国民はその距離を埋めるために努力をしなければならない。しかし、スタート時から「平和憲法」と位置付けてしまったので、動かない。
 平和を考えれば、日本は唯一の戦争被爆国なのですから、核抑止論ではなくて「核を持つこと自体が人類悪」だとメッセージを発する義務と権利があります。自立して意見を出さないといけない国なのに、米国についていくだけでメッセージを出していない。岸田文雄首相は来年5月のG7(主要7カ国)広島サミットで、人類史に刻まれる核廃絶に向けた基本的なテーゼ(命題)を示し、世界が感動する演説ができるのでしょうか。

 池上 それにしても今も「行政独裁」のリスクがあるとは驚きです。
 保阪 安倍政治は「行政独裁」だったと見ています。なぜならば司法にまで介入したからです。学校法人「森友学園」を巡る財務省の決裁文書改ざん問題で、司法の判断が出ていないのに、安倍晋三元首相は国会で「私や妻が関係していたら首相も国会議員も辞める」と答弁しました。「司法の判断を待つ」と答弁すること以前の問題であり、この発言は、司法に対する介入にほかなりません。また、立法の機能に関しては、法律を通せればいい、というのが政府の認識だったと受け止めています。
 戦時中の東条英機も行政独裁でした。政治家の中野正剛が、朝日新聞に発表した「難局日本の名宰相は、絶対強くなければならぬ」などと主張した「戦時宰相論」を、東条は読んで激高します。自分が批判されたと思ったのです。警察に調べさせますが、法律違反ではないと言う。そこで東条は、子飼いの憲兵隊に調べさせて、中野を自殺まで追い込む。行政が司法に介入した事例の一つです。他にも東条を批判した1人の男性を処分することを見えにくくするために、その人と同じ40代前半の男性を全国から集めて、戦場に送りました。行政独裁がいかに怖いか。歴史的にきちんと見ていないのが、民主主義が継承されない理由の一つなのです。

 「行政独裁」(行政機構・官僚機構の専制政治)は、政治学者の白井聡さんの話にも出てきます。これが2つめですが、弁護士の郷原信郎さんとの対談で、白井さんは2012年12月に始まる第二次安倍政権以降の自民党政権自公政権)時代を「2012年体制*」と呼び、こう特徴づけています。
* 実は鳩山・民主党政権の崩壊後から始まる「2010年体制」と呼んだほうが適当かもしれないと、話の中で自問されていました。
【白井聡氏と、安倍・菅・岸田政権、日本政治の構造的問題を語る】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#195 - YouTube

 白井……この体制の本質とは何なのかということが一番大事なことだと思うんです。ロングスパンの話をすると、これは『永続敗戦論』という2013年に出した本で書いて以来、ずっと書き続けてきたことですが、特殊な対米従属体制を一番大きな基盤とした、外見的表層的な自由民主義体制ということですね。それがなぜ外形的表面的に過ぎないのかというと、権力の核心部の構造というのは、明治時代に形づくられていた天皇制国家だったからだと。天皇絶対が戦前の体制だったわけです。その天皇の項目のところにアメリカを入れ替えて成り立ってきたような体制なので、私はこれを「戦後の国体」と呼んでいるわけです。
 この体制では、天皇陛下はいわば民族の父であって、(臣民を)我が子のように愛してくれているという大きな物語大日本帝国は依拠していたわけですけれども、それが入れ替わってアメリカは日本を愛してくれてるんだという虚妄の上に成り立っているのが、この戦後の体制ですね。そして、この妄想がもういいかげんもたなくなっているですね。というのは、この妄想というのは、東西対立という構造にいわば現実的根拠をおいていたわけです。アメリカからすれば日本はアジアにおける一の子分だから大事にしないわけにはいかないなと。そこで、アメリカは日本を愛してくれているんだという温情主義的妄想が成り立ち得たんですけれども、そんなものはもう30年以上前に崩壊しているんですよね。にもかかわらず、それを無理矢理引き延ばして現在に至っているのが、大きな構図で見たときの、また歴史的に見たときの現在地なんです。
 では、「2012年体制」というのは何なのか。これは、もう明らかに賞味期限切れになって、宙に浮いている体制を無理矢理に無限延長するというか、砂上の楼閣でしかない宙に浮いた状態の家の中にずっと住み続けようというような、まあ、そういう本当に不毛な試みですよね。だからこの30年が「失われた30年」になるのは当たり前です。で、その砂上の楼閣を維持するのがますます無理になって、それがますます可視化されたのがこの10年です。どうにかしてこの楼閣を維持したいという抵抗の現れが、この「2012年体制」ということになりますね。それが僕は歴史的本質だと思います。
 もう少し現象面から言うと、端的に言って、これはもう行政機構・官僚機構の専制政治だと思います。でも表層的には「政治主導」なんです。内閣人事局をつくって「政治主導」が制度的に完成したわけです。しかし、「政治主導」というのは、実はポスト55年体制のキーワードのひとつで、政権交代可能な二大政党制によって、強力な政治主導で政治を行うんだと。今までは官僚支配国家だったから、それがいかんのだということで、政治が主導するんだという話で、政治主導はよきものだというふうにされてきたわけです。でも、現実問題として、政治主導をする政治家にその手腕がなかったらどうなるか、知性がなかったらどうなるかと。安倍さんとかを見てればわかるわけです。だから逆に官僚の言いなりになるしかなくなるんです。それも特定の官僚ですね。要するに、安倍さんに取り入るのがうまかった特定の官僚の言いなりになった。だから、安倍政権時代、官邸官僚の存在が異様なまでにクローズアップされたわけです。特定の官僚による恣意的な専制政治というのが、今の構造を見たときの「2012年体制」の中核部分だろうと思いますね。

 対談の終わりの方で白井さんはこうも言っていました。
 「……安倍政権というのは、政治主導を偽装した官僚専制。岸田政権というのは、その偽装すらなくなった官僚専制」だ、と。岸田政権には「失われた30年」が凝縮(噴出)しているような感じがします。






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ワシントン条約会議の小さな記事

 昨日毎日新聞を眺めていて小さな記事に目がいきました。見出しが「象牙の国内取引禁止決議案否決 ワシントン条約会議」となっていたので、なんで「否決」なんだろうと訝しく思いました。
 ご存じのとおり、ワシントン条約は、絶滅のおそれのある野生動植物の国際取引を規制する条約で、1975年に発効し、生きた動植物種だけでなく、象牙や犀の角などの取引も禁じています。いや、その程度の雑駁な理解しかしていなかったので、短いこの記事を読んでも、何のことだかすぐにはわからなかったのです。

 以下は11月20日毎日新聞に掲載されていたその記事です。半分はヨシキリザメの規制のことが書いてありましたが、主に象牙の部分だけを引用します。
象牙の国内取引禁止決議案否決 ワシントン条約会議 | 毎日新聞

 パナマで開催中のワシントン条約締約国会議は17日(日本時間18日)、日本を念頭に提出されていた象牙の国内取引禁止を求める決議案を審議し、否決した。日本が直ちに対応を迫られる事態にはならなかった。ただし国内取引を認める国に絡む象牙密輸のデータを専門家グループがまとめ、2024年に報告すると決定。引き続き日本に厳しい目が向けられる見通し。

 会議では、すり身などに使われるヨシキリザメなどを新たに規制対象に加えることも決まった。
 象牙を巡る審議で、決議案を提出したベナンは「国内市場は違法取引を誘発し、市場を閉じた国の取り組みを弱める」と賛同を呼びかけた。日本は「違法取引に関与していない」と反発。投票の結果、賛成は3分の2に届かず否決された。
 象牙の国内市場はほとんどの国が閉鎖を決断する中、日本は維持する姿勢を貫く。一方、日本を起点とした象牙の密輸事件が中国などで相次ぎ摘発されている。会議に参加した環境団体トラ・ゾウ保護基金の坂元雅行事務局長は「日本は自国の象牙産業を守るためにゾウを脅威にさらしている」と話した。……

 政府のHPをのぞいてみると、たとえば経済産業省のHPには、「象牙等はルールを守って取引しましょう!」との見出しを掲げ、日本は違法な象牙の国内取引を防止するために管理制度を創設し、厳格な管理が行われていると強調されています。
象牙等はルールを守って取引しましょう!(METI/経済産業省)

 問題はその「ルール」です。見ていくと、生牙(原木?)・磨牙・彫牙など、全形を保持した象牙は売買禁止となっていますが、象牙製品等(カットピース、端材、印材、半加工品、製品等)を出品するのは、特に手続き無く可能となっているのです。政治資金ではありませんが、全形(高額)はダメだけれども小分け(少額)にすればOKというのでは、ザル法と言われてもしかたありません。実際、2018年12月1日付のNATIONAL GEOGRAPHICの記事には、こんなことが書いてあります。一部補足して引用させてください。
象牙の違法取引を日本が助長か

……1990年の国際取引禁止の後、西洋で象牙が死と強欲さのシンボルとして非難の対象になったのと違い、日本での象牙のイメージは傷つきはしても壊れることはなかった。……中国では、象牙は富と名声を象徴する。……日本では「ステータスの誇示ではなく、日常的に使うことが目的」だ……。

日本人の象牙への関心は今も続いているが、現在、取引の多くがインターネットでなされていることから、実態は今まで以上に見えにくくなっている。JTEF(NPO法人トラ・ゾウ保護基金)の分析によると、Yahoo! JAPANのオークションで象牙製品が落札された件数は、2005 年の4000件未満から2015年の2万8000件超へと、着実に伸びている。2017年は1万6000件に減少したが、依然として多い(この減少は、メディアが象牙問題に厳しい目を向けたことと、Yahoo! JAPANが監視を増やした結果とみられる。Yahoo! JAPANは、米ヤフー社の統制は受けていない)。2015年、Yahoo! JAPANに加え、人気のEコマースサイトである楽天をJTEFとEIAが1日に限って調査したところ、象牙の広告が合計約1万2200件も見つかった。

日本では今も象牙の茶道具、楽器の部品、仏教で祈りに使う数珠、宝飾品などが生産されているが、根強い関心を支えているのは、はんこの広告キャンペーンだ。象牙印鑑を約70万本保有しているはんこ産業は、現在の象牙消費量の推定80%を占める。1980年代以降、日常生活で印鑑を使うことは減っているが、家を買う、結婚する、遺産を相続するといった人生の大きな出来事には今も印鑑が必要だ。象牙は多くの人にとって、業界が盛んに宣伝している通り、印材の「最高の権威」そして「王様」であり続けている。

「巨大な抜け穴」
日本の当局は、日本で販売されている象牙製品は骨董品か、1990年の国際取引禁止以前、もしくはその後に2度輸入された象牙から合法的に作られたものであり、日本の市場が唐突に非難にさらされるのは不公平であると考えている。そして、日本の象牙規制は他国の規制より優れてはいないにしても、同等であると考えているのだ。
「日本の貿易政策は他の国々と同じです」と、経済産業省野生動植物貿易審査室長の中野潤也氏は話す。「我々は象牙の国際取引を禁止し、国内取引もごく少数の例外的なケースしか認めていません。(国際取引禁止が決まった)CITES(ワシントン条約)会議より前と、その後2回だけの輸入されたときの象牙です」
外務省地球環境課の滑川博愛氏によれば、日本の問題は象牙の規制ではなくコミュニケーションだという。「日本が他国ほど広報活動に長けていないのは問題かもしれません」と滑川氏は話した。「しかし規制の点では、日本はとても厳格なのです。米国や英国とほとんど同じです」

だが他の国々は、ほぼすべての象牙取引を禁止しているか、禁止を決める途上にある。研究者で著述家のフェルバブ=ブラウン氏は、「日本の象牙販売の規模は、米国や英国と比べると桁が違います」と指摘する。加えてEIAのアラン・ソーントン氏は、日本の当局者が象牙取引規制を米英と同等としていることを「不合理で根拠のない主張」と話す。
一例を挙げると、日本国内で象牙を取引するには登録が必要だが、実際に登録しなければならないのは全形の象牙だけだ。象牙のはんこ、彫刻、小物は規制されていない。切り分けた象牙(カットピース)も同様だ。過去に日本へ向かう途中で押収された違法象牙の貨物に、2つから3つに分割された象牙が多かったのはこのためだと、ソーントン氏は言う。そのようなカットピースがいったん日本に入れば、販売を防ぐ規制は一切ない。
日本の国際郵便制度も密輸業者に有利に働いている。申告価格が2000ドル未満の輸入品は通常の規制から免除されるためだ。こうした貨物から見つかった象牙は押収されず、引き取り手が現れなければ送り主に返される。日本の税関によると、ここ数年で象牙数百点(中国からの彫刻、ナイジェリアとジンバブエからのカットピース、フランスからの牙など)を返送している。
こうした「巨大な抜け穴」のために、と井田徹治氏(共同通信社記者)は言う。「アフリカ諸国からの違法象牙は一切使用していないと、日本は100%自信を持って言うことはできません」
全形の象牙の場合、密輸でなければ日本に入れない。不正な取引業者が国内の法規制から逃れ、象牙を合法にするには、象牙を半分に切りさえすればいい。しかし坂元雅行氏(JTEF事務局長理事)によれば、実際にはその必要性すらない。日本で商業販売のために象牙を合法扱いにすることは、原産地にかかわらず容易だからだ。所有者は領収書や炭素年代分析で牙の年代を証明する必要はなく、実物を検査のために持ち込む必要もない。申請書に記入し、写真を何枚か撮り、友人(または家族でもいい)に「1990年より前に登録者の家でこの象牙を見た」という事実を証明する文書を書いてもらう。このシステムは「公式のロンダリング」と変わらないと坂元氏は言う。……<以下略>

 その他、この記事には衝撃を受けるような事実が幾つも書かれています。

 パナマで開催中のこのワシントン条約締約国会議の話は、個人的にはもっと注目され、できればCOP(国連気候変動枠組み条約締約国会議)と同様に大きな記事になってしかるべきと思えます。しかし、COPは一面トップになるのに、CITES(ワシントン条約)は不釣り合いなほど小さいか、あるいは全く皆無です。見た限りでは、上の毎日新聞以外、沖縄タイムス福井新聞北國新聞などの地方紙で記事が配信されていますが、全国紙の記事で該当するものは見つかりませんでした(東京新聞に過去記事はありました)。ここにも報道管制的な力や自主規制などが働いていないか、疑いをもちます。
 こうした話題は、新聞やテレビできちんと報道されれば、日本の人も他国の人と同様の意識をもてると思います。それは、統一教会に関する報道と国民の問題意識の高まりを見れば明々白々で、メディアの責任は重大です。
 象牙取引の件で、日本を見る他国の目には厳しいものがあるようです。このままでは、世界の常識からますますズレていくのではないかと危惧します。




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