ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

被団協のノーベル平和賞受賞のこと

 日本被団協日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を授賞しました。大変喜ばしいことだと思うのですが、朝刊(毎日新聞)の1面トップを目にすると、「号外」と見紛うような紙面構成に何となく「違和感」があります。「慶事」とは言っても、米国のメジャーリーグで大谷選手が50ー50を達成したとかいう話などとは別ものではないか。日本すごい、日本万歳、のようなお祝い気分でいいのだろうかとまず思います。
 でも、それだけではありません。ノーベル賞が「政治的」という話はもはや指摘するまでもありませんが、平和賞と経済賞は特にそうです。核廃絶運動への貢献を言うのなら、21世紀の今でなく、もっと早くに受賞していて当然です。それが何で今なのか。
 確かに、今、国連の安全保障理事会ほかが機能せず、戦争の拡大が危惧され、指導者が核兵器の使用可能性に言及する状況はありますが、核戦争への危機感を言うのなら、1960年代あたりの方が今よりはるかに強かったでしょう。キューバ危機もありましたし……。だから、受賞理由は、被団協の長年にわたる核廃絶の取り組みだと説明されればされるほど、逆に、今の方がある意味「安心」して核問題へのメッセージを発せられるという意味なのかと。もちろん団体と関係者の長年の運動の積み重ねを評価するとしても……等と想像してしまいます。
 違和感のふたつめは、受賞のスピーチで代表委員の田中熙巳さんが強調していた点でもありますが、核兵器禁止条約を批准・署名せず、被爆者支援にも概して後ろ向きな日本政府の姿勢に対する批判に(たぶん意図的に)スポットが当たらないようにしてきたことです。これは最初の違和感とも関連しますが、当初からノーベル賞受賞のお祝いムードを先行させ、話題を「戦争反対」と「核廃絶」の一般論や(今と切り離した)過去の話へと「囲い込んだ」のです。……と思っていたら、宮崎園子さんが(米国の責任を含め)的確な記事を上げていてくれました。一部引用させてください。
ノーベル平和賞 授賞式 日本被団協 田中熙巳さん【演説全文】 | NHK | ノーベル賞2024
喜ばしいがどこかひっかかる日本被団協のノーベル賞受賞、彼らの訴えの「芯」をノーベル委員会は見落としていないか(JBpress) - Yahoo!ニュース

■訴えるだけでなく、闘ってきた人たち
 日本被団協の結成は1956年。原爆被害を受けてから、GHQ連合国軍総司令部)によるプレスコードによって沈黙を強いられた時期も含めて11年の月日を経て立ち上がり、「原爆許すまじ」「三度(みたび)許すまじ」と訴えてきた人たちの足跡について、「核兵器の使用がもたらす人道上の破滅的な結果について認識を高めるため、たゆまぬ努力を続けてきた」と評価されたことについては、大変喜ばしいことだと思う。
 一方で、授賞理由の中において、日本被団協の活動の重要部分には言及がなかった。それが、とても残念でならない。彼らが訴えてきたのは、核兵器廃絶だけではない。日本被団協のメンバーは、「証言活動に取り組んできた人たち」であるというだけではないのだ。
 日本被団協は、「ふたたび被爆者をつくらないために」として、今からちょうど40年前の1984年に、「原爆被害者の基本要求」をまとめている。この時点ですでに原爆投下から40年が経とうとしているころ。「被爆者はもう、黙ってはいられません」と記したその内容は、「核戦争起こすな、核兵器なくせ」、そして「原爆被害者援護法の即時制定」の二本柱で構成されている。
 つまり彼らは、「被爆体験の語り手」なだけではないのだ。国家補償に基づく被爆者援護、要は、核戦争の被害に対してきちんと責任を認め、その上で、原爆死没者に対する補償も含めた援護法を制定せよ、と米国政府や日本政府を突き上げてきたのだ。
 そして、これら二本柱の要求はいずれも、それからさらに40年が過ぎ、被爆80年を目前にした今に至って、実現していない。
<中略>
 原爆被害に対する国の責任をきちんと問い、国の補償をはっきり確立することが、再び惨禍を繰り返さないために必要不可欠であると日本被団協は訴えてきた。広島弁について書いた9月6日の本連載で触れた、日本被団協初代事務局長の藤居平一氏(1915~1996)の評伝のタイトルにもなった彼の言葉「まどうてくれ」(「元通りにしてくれ」「償ってくれ」の意)は、まさに国家補償を求める悲痛な叫びの象徴のような言葉なのだ。
 なのに、どうしてノーベル委員長はこの部分について、一言も言及してくれなかったのだろうか。被爆者たちの悲願が結実し、2021年に発効した核兵器禁止条約に対してのみならず、国家補償の援護にも背を向けている日本政府に対して、なんらか配慮のようなものがあったのだろうか、などと考えるのは穿った見方だろうか。……

 ……とはいえ、日本政府の問題はおくとしても、ノーベル平和賞が世界の人々の関心を核廃絶や戦争反対に向ける効果は大きいと思います。単純な自国(自民族)擁護、他国(他民族)批判は草の根のナショナリズムとなって、世の中を覆い尽くさんばかりです。ネット空間にも憎悪と中傷が溢れていて、見ていて閉口します。世の耳目がノーベル平和賞に向かっても、それは一時的で、年が替われば、他の物事同様に、「熱」は冷めて、憎悪と中傷の波に飲み込まれていきかねません。どうやってここに「楔」を打ちむのか。大人たちは子どもたちに何をどう語っていくべきか。

 昨日宮田律(おさむ)さん(現代イスラム研究センター理事長、専門イラン史)の著書を読んでいたら、最後にこんな詩が引用されていました。スウェーデンの中学教科書に載っているそうですが、四六時中憎悪や中傷にさらされた子どもたちが、狭量なナショナリズムを乗り越えていくことはできないと思います。

 子ども

 批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる
 殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる
 笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる
 皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる
 しかし、激励をうけた 子どもは
 自信を おぼえる
 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる
 ――ドロシー・ロー・ノルト
  (アメリカの著述家・家族カウンセラー)
(宮田律『ナショナリズムと相克のユーラシア』、279ー280頁)

 金子みすゞの詩「こだまでしょうか」にも似たところがありますが、こちらは他者に映し鏡の自分を見るというか、日本の人にはより詩情豊かに響くかも知れません。最後の最後はここなのかも知れません。

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「ばか」っていうと
「ばか」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。



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トランプ支持の「リアリティ」

 アメリカの次期大統領に決まったトランプ前大統領は、支持者ともども過激な「言動」やネット戦略が話題になりますが、ジャーナリストの立岩陽一郎さんのルポを読んでいて、過激に映る「表層」だけでなく、「深層」をもしっかり見ないといけない気がしました。確かに接戦と言われつつも、一時はハリス優位とも報道されていた今回のアメリカ大統領選挙が、予想外の雪崩現象でトランプ勝利に終わった面はありましたが、記事に登場する、トランプに票を投じたアメリカの有権者の声はわりと冷静で、彼ら彼女らの「リアリティ」自体を見誤ってはいけないと思いました。自省を込めつつ、トランプに嫌悪感を抱くことと、それは別個です。以下、長くなりますが、立岩さんの記事からの引用です。

トランプ支持のジョージア州
……11月2日、フロリダからジョージアに飛んだ。アトランタ空港で迎えてくれたのが……(旧友の)デールだ。そしてチェロキー郡の彼の家に向かった。美しいゴルフ場のような青々とした芝が続くチェロキー郡に私は前回の選挙でもお邪魔し、デールの紹介で周辺の人々と話をしている。白人が多く住む町で、私が会った人で言えば、ただ一人を除いてトランプ支持者だった。その一人も、「私がトランプを支持していないことをここでは言えない」と小声で言った。
 家でデールと(妻の)ニッキーに話を聞いた。「投票はもう終えたんですか?」と尋ねると、デール、ニッキーともに「既に」と話した。「誰に投票したんですか?」と聞くと、デール、ニッキーともに「トランプ」と笑顔で話した。これは私の来訪目的を知っているからで、当然、次は「なぜトランプ?」と尋ねられることも織り込み済みだ。
 デールは事前に整理していたのだろう。コンパクトに次のように話した。
「中絶、移民政策、そして経済です。移民政策と経済はリンクしています。今の政権は登録なく入国する移民に対応しないだけでなく、その移民を手厚く保護しています。例えばハリケーンの被害には7000万ドルしか支援しないのに、登録なく入った移民にはクレジットカードを与える状況です。私は外国人がこの国に入ることに反対はしませんが、それは適切にすべきだし、経済的な支援に関して言えば、まずは自国民を支援するべきだと思います。中絶については女性の身を守ることはもちろん大事です。でも、生まれる子どもの命も大事です。その命を奪うことはしてはいけません。それができるのは神だけです」
 ニッキーが続けた。
「私も移民政策は重視しています。私はメキシコで育ちました。だから外国を知り、外国の人との関係を大事にしています。でも、その私だってメキシコでは外国人ですから正規の手続きで出入国していました。それがまともな国です。私は手続きなく入国する外国人を規制しない国を知りません。私が求めていることは、適切な手続きで入国させるべきということです。それとインフレーションは凄いです。私は主婦としてそれを実感しています。食費は倍になっています。私たちはまだ食事を制限する必要はありませんが、貧しい人々は本当に大変だと思います」
 真面目に暮らすまともなアメリカ人の普通の意見と言えるだろう。ニッキーに問うた。ハリスが大統領になれば女性初の大統領だが、それはプラスなのかマイナスか?
「女性だからどうということは考えません。白人でないかそうかも考えません。ハリスの発言を聞いたらわかります。彼女にその能力はありません。言っていることが支離滅裂で、何を言っているのかわかりません」
 そこであえて尋ねてみた。「あなたは人種差別主義者?」予想外だったのかニッキーは吹き出しつつ答えた。
「違います。例えば、私が飛行機に乗る時、パイロットの性別や人種を気にするか? 全くしません。良いパイロットかどうか、そこだけです。」
 最後に「トランプは勝ちますか?」と尋ねた。デールは少し考えて答えた。
「Cautiously optimistic(注意深く楽観視しています)

……月曜日の早朝は、デールの仲間に会った。F3と呼ばれる信仰と体力維持を目的とした全米に拡がる取り組みで、地域ごとに集まってそれぞれトレーニングを行う。……この日は約20キロの重りを背負って山道を駆け足で45分進むというものだった。月曜日ということで参加者は少なく、8人だった。当然のように白人の男性しかいない。終わって神に感謝を捧げた後、取材に応じてくれた。皆既に投票を済ませていると話した。私が「誰に?」と問うと、当然のように口々に「トランプ」と答えた。なぜ?
「彼は命を大事にする。中絶反対もそうだし、彼がいた四年間は戦争がなかった」
 軍隊もどきのマッチョなトレーニングをする彼らがこう言うと、一瞬違和感を覚えるが、トランプ政権時に戦争がなかったというのはトランプ氏が選挙戦でも主張する話だ。皆が口々にトランプ支持の理由を語る。そして現政権の批判とハリス氏への批判も。
「今の経済状態は最悪だ。ガソリン、食料と、値段はどこまで上がるんだ? それなのにバイデン政権は何もしない」
「ハリスはそもそも予備選挙ですぐに敗退した人物だ。それがバイデンが途中で降りて指名されるという形で、いきなり大統領候補になった。つまり彼女は有権者から選ばれた候補じゃない。そんな候補者に票は入れられない」
 どれも、トランプ支持者の語る内容として私も何度も耳にしている話だが、理屈で説明する彼らの言葉は納得できないものではない。特に、ハリス氏は予備選挙を勝ち進んだ候補者ではないという点。これは選挙後に民主党内でも議論になった点だ。
 ただ、私には疑問に思う点があった。……
「トランプの言動は、皆さんにとって不快なものではないのでしょうか?」
 苦笑いするF3メンバー。大手企業でコンサルタントをしていて現在は独立しているという長身の男性が言った。
「確かに。トランプは人間的には尊敬できない。好きにもなれないだろう。しかし、私は彼の性格にではなく、政策に票を投じた。それが大事なのだと思う」
 その隣の宗教団体で勤務しているという男性が続けた。
「候補者のどちらを選ぶか。それが二大政党制のアメリカの選挙だ。だからトランプかハリスか、その選択をするなら、絶対にトランプ、となる」
 そこでデールが、「あなたは人種差別主義者とは聞かないのか?」と笑って言ってきた。それを耳にした全員が、大笑いして、「アメリカのメディアは我々をそう描きたいんだ。もちろん、我々の誰一人、人種で人を差別したいとは思っていない」。
 では、なぜここには白人しかいないのか? その問いを発しなかったのは、「たまたま参加者が白人だっただけだ」との答えが予想できたからだ。
 このジョージアだけが例外なのではなく、過去にオハイオペンシルベニアといったラストベルトでトランプ支持者を取材した際も、その温かいもてなしと説得力ある語りを感じた。彼ら、彼女らが極めてまともな人たちであると書くと、それ自体が失礼なことかもしれないが、それは私の実感として書いておきたい。

          (立岩「穏やかな雪崩」『地平』2025年1月号 44-47頁)

 上に出て来る人たちは白人(の中間層?)ばかりですから、そこは相応に考慮しなければならない点だとは思いますが、中には4年前の選挙ではトランプに投票しなかった人たちも含まれているはずです。今回トランプの言動の何がリアルに響いたのか、それはそれで尊重というか、よく考えてみないといけない「現実」があると思います。蛇足ですが、兵庫県の知事選についても同様で、5期20年に渡って続いた井戸県政への県民の視線をよく見ないといけないのかも知れません。




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韓国の非常戒厳のこと

 今朝のニュースで韓国で「非常戒厳解除」という見出しを見て、はて?何のことかと思っていたら、昨晩韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が緊急のテレビ演説で「非常戒厳」を発したことを知りました(夜は早めに床に就くので全然知りませんでした)。大統領曰く、今韓国の国政は「麻痺状態」にあり、北朝鮮の共産勢力の脅威から韓国を守るためだということですが、これに対する韓国国会や市民の動きも急で、国会は今日未明に非常厳戒の解除を求める決議案を可決し、市民も大勢国会前に集まって反対の意思表示をしました。その結果、尹大統領は今朝解除を発表し、「非常戒厳」は一晩で終わることになりました。小生みたいにボーッとした人でなくとも、何か悪い夢でも見たような気分かもしれません。
【速報中】韓国大統領 非常戒厳を宣布 解除 高官ら一斉に辞意 | NHK | ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領

 尹大統領はどうしてこんなドタバタ劇を起こすことになったのか。BBCは次のように伝えています。
韓国大統領「非常戒厳」を宣布、国政がまひ状態と 国会の要求受け解除を表明 - BBCニュース

選挙で与党大敗、支持率低迷
今年4月の総選挙で与党が大敗して以来、尹大統領は政策実行に必要な法案を議会通過させることができず、逆に野党が可決する法案に次々と拒否権を行使せざるを得ない状態に陥っていたと、BBCのジェイク・クウォン記者は指摘する。
 さらに大統領をめぐっては、妻・金建希(キム・ゴニ)氏に関するスキャンダルが相次ぎ、政権支持率が下がり続けていた。野党は、金氏に対する特別検察官による捜査を立ち上げようとしていた。
 最近では、政府と与党が提出した来年度予算案を、野党が大幅に減額して単独可決した。大統領は予算案に拒否権を行使できない。さらに野党は、金氏を立件しなかった政府の監査トップなど政府幹部への弾劾訴追を次々と発議している。
 クウォン記者は、尹大統領はこうした状況を受けて、「反国家」勢力が国をまひさせようとしていると主張し、秩序回復のためだとして非常戒厳を宣布したのだと説明した。

 何とも政治的な「非常戒厳」という印象です。しかし、これは隣国の出来事とはいえ、わが国も無縁ではない感じがします。自民党らが憲法改正案に盛り込もうとしている非常事態条項がこの国で発せられたと想像すると、同じ状況を彷彿とさせます(日本の人たちが韓国の人たちと同じように行動するかどうかはわかりませんが)。今朝のテレ朝の「モーニングショー」で玉川徹さんも同じ趣旨のことを述べていましたが、緊急事態条項は、(テロや災害といった)「緊急事態」に際し、一時的に政府や国会に強い権限が与えら、国民の諸権利が制限される根拠となる規定です。単純に言えば、内閣が出した「政令」が法律と同じ効力をもつということで、本来国会審議を経なければならない法律を、内閣の一存で決められるわけです。これは一時的とはいえ、内閣(総理大臣)による独裁です。「独裁」という言葉が嫌忌されるなら、「非常大権」とか何とか表現を変えてくるかもしれませんが、同じことです。
 昨日のブログで少し触れましたが、第1次大戦後のドイツでは憲法で大統領にこの「大権」が認められていました。曰く、

……大統領は、ドイツ国内において公共の安寧と秩序が著しく阻害され、あるいは脅かされるときは、公共の安寧と秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合に武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、共和国大統領は一時的に……人身の自由、……住居の不可侵、……信書・郵便・電信電話の秘密、……意見表明の自由、……集会の権利、……結社の権利、……所有権の保障に定められている基本権の全部または一部を無効にすることができる。……と。

 そして、当初は主に治安対策として発動されていた「緊急事態条項」が、やがて、法律に代わるものして乱発されていきます。1930 年代のドイツで国会が紛糾し、なかなか国会の立法機能(責任)が果たせなくなると、大統領はこれを「緊急事態」と捉え、緊急令を度々発動して対処します。当時のドイツの首相は国会に多数の基盤をもたなかったため、大統領大権に依存して局面打開を図っていたのです。まさに恣意的運用です。国会内の協議によらず最終的には大統領令で決まるのですから、国会はますます軽視・見放され、「国会不要論」も現れる始末です。ドイツの議会政治は行き詰まります。こんな状況で国民から支持を集めたのがナチだった……というわけです。
https://cpnet.bona.jp/data18/180126_1.pdf

 これも日本の今の政治状況に重なる面が出てこないかと想像します。石破内閣は少数与党で、国会議員の多数派の裏付けはありません。今までのように一方的な多数決で物事を決められない状態は、望ましいことではありますが、たとえば、政治資金規正法の再改正ひとつをとっても、企業団体献金の取扱いをめぐって、様々な思惑や駆け引きが見え隠れして、すんなりと決まりそうには思えません。やがて「国会は与党も野党も何をやってるんだ!」「もう『決められない政治』にはうんざりだ!」――そんな声が大きくなり、議会への失望の声が、やがて「非常大権」や「緊急事態条項」もやむをえないという空気を醸成していく、そうした下地になっていくことがありはしないかと危惧します。
 「非常事態令」とは結局のところ、国民の危機というよりも、発する側の「危機」や「保身」にもとづく、「政敵」の排除(逮捕)だったりすることが多いわけで、過去の歴史はそう教えているように思います。

 本当は5年前にアフガニスタンで亡くなった中村哲さんのことを書くつもりでしたが、なりゆきでこうなってしまいました。あらためてご冥福をお祈りし、手を合わせます。
医師の中村哲さん銃撃から5年 アフガニスタンの用水路で通水式 | NHK | アフガニスタン
「命の水」送った中村哲さん、市民の心に今も 記録映画が各地で上映(毎日新聞) - Yahoo!ニュース



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