ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

トランプ大統領就任まであと10日

 トランプ米新(再)大統領就任まであと10日となって、周囲が戦々恐々とするのを楽しむかのように、当人は傲慢な姿勢を露わにしています。曰く、「世界中の国家安全保障と自由のために、アメリカ合衆国グリーンランドを所有し、管理することは絶対的に必要だ」/「カナダの多くの人々は(米国の)51番目の州になることを望んでいる」(翌日にはカナダを米国に取り込むため、「経済力」の行使も辞さないとSNSに投稿)/「(パナマ運河は)中国によって運営されている。(1999年に米国がパナマに管理権を返還したのは)大きな間違いだった」、等々。
トランプ氏がパナマ運河の管理主張、軍事・経済圧力の可能性も排除せず…メキシコ湾の「アメリカ湾」改称も : 読売新聞

 これだとメキシコ湾を「アメリカ湾」に改称したいなどという彼の発言が霞んでしまいそうですが、ハードルを高くして、大きくふっかけて、相手の様子を見る。決して主導権は渡さない――これがよく言われる彼流のビジネス・テクなのでしょうか。小生には、(口ほどにない)自身を大きく見せたいだけの虚栄かはったりに思えますが、まるで「西部開拓」の時代にでもいるかのような時代錯誤をした大統領の再登板とその物言いには、わかっていたこととはいえ、少なからず驚き、不快な気持ちにさせられます。

 今朝の新聞のインタヴュー記事で寺島実郎さんは、トランプ新大統領は1期目よりも劣化し、操り人形になる恐れがあると述べていました。

 ……(アイゼンハワー大統領は退任時に米国の「産軍複合体」化に警告を発したが)米国は今、「デジタル金融複合体」に変わりつつあります。現にハイテク産業の集積地、シリコンバレーを総本山とする「デジタル金融資本主義」、金融の中心地、ウォールストリートを総本山とする「金融資本主義」の二つが米国をけん引しています。
 大統領に就くトランプ自身が不動産業の業界人です。その右腕となる新政権の財務長官には、ヘッジファンド出身のスコット・ベッセント氏を指名しています。
 象徴的なのがイーロン・マスク氏。電気自動車(EV)のテスラで台頭し、「ツイッター(現X)」を買収したうえ、仮想通貨(暗号資産)をビジネスの柱の一つにしようとしています。
 マスク氏は昨年7月、突然トランプ氏支持を表明し、180億円超もの大金を献金しました。まるでカネでポストを買うかのように、新政権では歳出削減や規制緩和を推進する「政府効率化省」のトップになる予定です。
 そんな陣容を見ても、トランプ氏は1期目よりも劣化が進んでいると私は見ています。

――劣化とはどういうことですか。
 トランプ氏は彼を奉り、ちやほやする人たちを率いて専制君主になるかのように捉えられていますが、現実はその逆です。さまざまな思惑を持った人たちがトランプ氏に絡みつき、トランプ氏をもり立てるふりをしながら、操り人形のように都合良く利用し、米国政治の中枢であるワシントンを動かしていくという危うさを感じます。
――マスク氏らの狙いは何でしょう。
 ブラジルの最高裁が2024年8月、Xの国内利用を禁じる命令を出しました(後にX側が一定の対応をして利用再開)。また、オーストラリアでは11月、世界で初めて、16歳未満の子どもがインスタグラムやXなどのネット交流サービス(SNS)を利用することを禁じる法律ができました。さらに欧州ではIT企業への「デジタル課税」の導入が広がりつつあります。
 世界ではビッグテック(巨大IT企業)に対する規制を強める動きが活発になってきています。こうした動きに対し、「一民間企業だけで戦うのは難しい。だから米国という国家と一体となって立ち向かおう」――。マスク氏らがそんな戦略を立てているのではないかと考えられます。
 大統領選後にトランプ氏がゼレンスキー・ウクライナ大統領と電話協議した際、マスク氏も同席しました。ウクライナの通信環境は今、マスク氏が創業したスペースX社の衛星通信サービス「スターリンク」で成り立っています。ここに、トランプ氏が描いているウクライナ戦争の停戦への方法論が垣間見えます。
 「デジタル金融複合体」としての米国がどうなっていくのか。第2期トランプ政権の本質を見抜かなければいけません。
<以下略>
論点:2025年の指針 トランプ政権と日本 インタビュー 寺島実郎・日本総合研究所会長 | 毎日新聞

 昨日の新聞には、メタのザッカーバーグCEOが7日にファクトチェック機能を廃止すると発表し、SNS上のデマやヘイト対策を後退させると、懸念や批判の声が上がっているという記事がありましたが、「商売上手」というか、トランプ政権に迎合しているように見せておいて「実」をとるというか、上の寺島さんの見方を裏づけている感じをもちました。
「危険な領域に」 米メタのファクトチェック廃止、デマ対策は後退か | 毎日新聞

 他方で、トランプ政権の意向にかかわらず、国際社会とともに問題に向きあおうとしている米国の人々もいます。温暖化対策に後ろ向きなトランプ政権は、発足後パリ協定から離脱するのではと危惧されていますが、昨年11月バクーで開かれたCOP29(国連気候変動枠組み条約第29回締約国会議)について、小西雅子さんは次のようにレポートしています。

 ……COP29には5万人が参加した。なぜこんなに多いのかというと、ルール交渉にあたる政府関係者だけでなく、いまやCOPは脱炭素にかかわる企業や団体の大見本市と化しているからだ。企業、中でも機関投資家、そして往々にして国よりも積極的な温暖化対策を実施している都市や自治体の連盟、研究者、若者団体、先住民族、市民団体など、政府以外の主体「非国家アクター」が、会場のいたるところで熱気あふれる活動を繰り広げていた。
 アメリカ大統領選の結果、温暖化対策と国際協調に消極的なトランプ政権の誕生を前にして、世界の温暖化対策の後退を心配する声も聞かれるが、ひるむことなく前向きな姿勢を見せたのもこれら非国家アクターたちだ。
 中でもアメリカの非国家アクターが5000以上も参加する連合「AMERICA IS ALL IN(アメリカはみんなパリ協定にいる)」は、11月14日から三日間、数々のイベントを開催し、連邦政府の方針にかかわらず、揺るぎなく温暖化対策を進めることを印象づけた。……アメリカでは州政府の権限が強く、連邦政府の方針にかかわらず、様々な温暖化対策を進めることができるため、AMERICA IS ALL INのブースは多くのメディアでにぎわい、会議参加者全体を勇気づけていた。
 中でも印象的だったのは、アメリカ大手食品企業MARSのチーフ・サステナビリティ・オフィサーのバリー・パーキンス氏のスピーチで、「我々は、自らネットゼロ(引用註:CO2など温室効果ガスの排出量が森林などによる吸収量・除去量を差し引いてゼロになった状態)を掲げ、移行計画を進めている。ネットゼロ達成の2050年までにアメリカ政権は何度も変わるだろうが、政権にかかわらず、我々は自らの約束を粛々と果たしていく」と力強く述べたことである。……
(小西「気候変動と国際協議の現段階 COP29会議報告」『地平』30-31頁)

 当たり前ですが、トランプに擦り寄るのも米国人ですが、そうでない米国人がいるのも確かです。彼らの活動からは元気をもらえます。


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ハン・ガン『少年が来る』

 年が明けて一週間が過ぎてしまいました。年末から少し書いては挫折を繰り返していて、ひと頃のようにすらすらといかなくなって来ましたが、今日は頑張って最後まで書こうと思います。

 毎年ノーベル文学賞の受賞者が決まると、程なく街の(大きな)本屋に受賞者の著作を並べたコーナーができたりしますが、今年は少し「出店」が遅かった印象があります。毎年のことながら、村上春樹さんならば出版社も書店も準備万端で、受賞の翌日にでもコーナーが出来上がったかもしれませんが、ハン・ガン(韓江)さんの選出は想定外だったのかも知れません。それでも1ヶ月もしないうちに、いろいろな書店に例年どおり特別棚が設けられたようで、小生も、大袈裟ですが一念発起して、大きな本屋に出かけて行って、居並ぶ彼女の歴代の著作群をざっと眺めてみました。ハン・ガンさんについては全く何も知らなかったので、立ち読みだけとはいえ、冒頭だけけっこう時間をかけて数冊目を通しました。結果、光州事件*をテーマとする『少年が来る』に目星をつけて、いろいろと下調べをし、購入することにしました。それが去年の12月の中旬です。年明け最初に読むのはこの本と決めていました。

*光州事件 1980年5月18日より10日間、大韓民国 (韓国) の全羅南道、クアンジュ (光州) 市で起こった学生・市民による暴動事件。1979年10月26日のパク・チョンヒ (朴正煕) 暗殺事件後、韓国国内では民主化要求の動きが活発化していた。しかし同年12月12日の「粛軍クーデター」で権力を握ったチョン・ドファン (全斗煥)少将を中心とする若手将軍グループは、1980年5月17日に戒厳令の全国拡大を宣布し、キム・デジュン (金大中)ら与野党の大物政治家を逮捕するなどして民主化の動きに歯止めをかけようとした。その直後光州市で起こった街頭デモが戒厳軍部隊と衝突、戒厳軍部隊の手荒な対応もあって激昂した市民の一部は武器を手に対抗、市内で銃撃戦が行なわれ、多数の死傷者が出た。27日に戒厳軍によって制圧されるまで光州は解放区の様相を呈した。事件についての論議全斗煥政権下ではタブー視されたが、ノ・テウ (盧泰愚)政権成立 (1988) 後実施された総選挙の結果、国会が「与小野大 (少数与党) 」の状態となり、そこで事件の性格規定や被害補償などについて論議され、責任者も追及された。盧政権は光州事件民主化運動と評価し、被害者に補償金を支払った。
                               (ブリタニカ国際大百科事典より)

 読後の印象は、以前目取真俊さんの『眼の奥の森』を読んだときとよく似ていて、事実を抱え込めない(ある意味「拒絶」している)自らの狭量さというか、軽薄さというか、足を地に着けて踏ん張れない感覚も覚えました。
 目取真さんの文章には沖縄の過去、沖縄の人々の経験が深く刻まれていました。今から30年も前の話ですが、沖縄に駐留する米国海兵隊員が少女暴行(強姦)事件を起こしました。米兵による事件や事故はそれまでも繰り返されていて、それは何度も何度も「執拗に」と言っていいほどです(今もそれは変わりません)。沖縄の多くの人たちの怒りは頂点に達し、大規模な抗議集会が開かれました。主催者発表で85,000人が参加したといいます。
 むかし学校に勤めていた頃、この様子を紹介した映像を生徒と一緒に見たことがあります。そのとき、見ていた生徒の一人が「日本ではなくて、外国みたいだ」と言ったのをおぼえています。当時の生徒の「原体験」から言ったら、そう感じるのも無理はないのかも知れません。春闘ストさえ影を潜めていたのですから。しかし、こうした言葉に現れ出ているように、「本土」の人間に沖縄の人々の怒りの核心や心底を理解するのは、概して難しいのかもしれない、自分はどうなのだろうかと考えました。当時の集会の写真に「沖縄よ負けるな!! 東京から応援に来たぞ!!」という(ある意味独善的な)幟をもった人の姿が写っていて、一部で物議を醸しました。この文言(というか認識)は、沖縄の人々に顰蹙を買うとまでは言わないまでも、あまりいい気持ちはしないだろうなと思ったものです。
 小生が読んだ目取真さんの文章は、不正義にさらされてるのにどうにもならない怒りが溢れ出るようでした。ハン・ガンさんの文章も同じです。でも、目取真さんの語り口よりもさらに「静か」というか、私的な出来事や感覚、たわいもない動作が全然「私的」では済まない。何か地面すれすれの低いところから上を見上げている感じがします。しかも、人間の二面性などというと陳腐ですが、暴力と安堵の同居、気高さと残虐性の合わせ鏡を、人として正視せざるを得ない。そんな気持ちにさせるのです。
 たとえば、警察の取り調べの最中に何度も顔を張られ、頬が腫れ上がった女性。……自分の部屋に戻って床に就くも、まだ暗い朝方に目が覚めてしまって眠れないこの女性について、彼女はこんな風に書いています。

 ……洗面場に張り渡した紐に洗濯物を干して部屋に戻ったけれど、夜が明けるまではまだ時間があった。
 布団を畳んで箪笥の上に載せ、机の上を片付けて引き出しを整理したけれど、夜明けはまだ遠かった。化粧台代わりにしている四つ足膳まできれいに整え、その上に掛けた姿見の前で彼女はしばらく手を休めた。鏡の内側はいつものように静かで冷たい世界だった。その世界で眺めている見慣れた自分の顔を、まだ痣で青みがかった頬を彼女は何げなく見つめた。
 誰からも愛らしい顔立ちだと言われている時期があった。……だけど……もう彼女は二十四歳で、人々は彼女にきれいであることを期待した。林檎のように頬が赤いことを、きらめく生の喜びが愛くるしいえくぼにあふれることを望んだ。しかし彼女自身は早く老いることを願った。いまいましい命があまり長く続かなければいいと思った。
 彼女は濡れ雑巾で部屋の隅々を拭いた。雑巾を洗って干して戻り、机の前に座ったものの、明るくなるまでには遠かった。何も読まずにじっと座っていようとしたら空腹を覚えた。母が送ってくれた早稲米を茶碗によそって再び机の前に座った。黙々とご飯を咀嚼しながら彼女は思った。後ろ暗いところがある。食べるということには、と。なじんだ恥辱の中で彼女は亡くなった人たちのことを思った。あの人たちはもう永遠に空腹ではないのだ。生きていないのだから。でも彼女は生きていて空腹だった。この五年間、彼女を執拗に苦しめてきたことがまさにそれだった。空腹のせいで、食べ物に食欲をそそられること。……
                    (井手俊作訳、同書、104-105頁)

 ハン・ガンさんは光州で生まれ、9歳まで過ごした後、事件発生の数ヶ月前にソウルに引っ越したそうです。転居は偶然で、その後に事件が起こったわけですが、自らを<生き残った者の(側の)一人>において、この作品を書いたといいます。彼女はこの本で光州事件の暴虐さを露わにしました。もちろんフィクションでしょう。でもフィクションに「事実」がないとは言えません。彼女は膨大な事件記録を読み込み、悪夢にうなされたと書いています。
 そして、光州事件の暴力によって亡くなった人、傷を負った人も人間、その暴力を行使し是認したのも人間です。もちろん同じ人間ではありません。しかし、どちらの立場にあるにしても、単純な善悪二元論だけで片づけられることではないでしょう。人間が善良だったら、こんな事件は起こりえないし、人間が暴虐で悪漢だったら、このような小説は書かれないでしょう。

 1980年の光州事件の概要については、上の引用に書いてあるとおりですが、辞書的にはともかく、事件の実相、当時を生きた(亡くなった)人の思いを説明するには、当然ながらあまりに素っ気ない。しかし、読んでいると現在の韓国の政治状況とこの45年前の事件が頭の中で交差します。昨年12月、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳」を宣布したことに抗議して、大勢の人々が国会議事堂の前に集結し、その結果、国会の解除要求決議もあって、翌日朝に大統領自ら解除を表明するという顛末となりました。韓国の人々にとって「戒厳令」がどんな記憶を呼びさますのか。くわえて、韓国民主化の起点であり、それゆえに戒厳と弾圧の象徴でもある光州事件に対する人々の視線は、45年後の今でも変わることなく厳しいのではないかと感じました(なお、雑誌『地平』の最新号の記事**によると、今回ユン大統領の弾劾デモに参加している人々の多数は若者で、光州事件を知る老世代よりも、圧倒的に20代の特に女性が多いということです。事件の記憶の語り継がりがあるとしても、光州事件とのつながりを持ち出すのは的外れかも知れません。念のため)。

**李起豪「戒厳令と韓国市民社会」(『地平』2025年2月号)にはこう書かれています。「……今回の弾劾デモには以前と違って目立った変化があった。他ならぬ二〇代女性たちの積極的な参加と彼らのデモ文化だ。朴槿恵弾劾集会(2016年)の時は四〇代五〇代が主だったが、今回のデモには二〇代の女性たちが……もっとも多く参加している。……」(38-39頁)

 蛇足ながら、この日本でも、調べてみると、今はともかく、過去には戒厳が敷かれたことがあったようです。現日本国憲法には戒厳の規定がないので、日本で戒厳が敷かれたのは、旧憲法下の日清・日露戦争の時まで遡らなければなりません。あとは日比谷焼き討ち事件や関東大震災、2.26事件の際、戒厳に準じた対処がとられたくらいだそうです。
 したがって、たとえば現在の日本政府にとっては、コロナ下で人々の行動を一律に規制したいと考えても、協力を呼び掛けるという形の「自粛」要請が精一杯で、だから対策が徹底できなかったんだ等々と、これには不満を覚える向きもあるようです(因果関係がこじつけのように思えますが)。彼らの念願どおりに、「戒厳令」を復活させるべきなのか。「非常事態令」でも「緊急事態令」でも、名前が違うだけで同じことです。この国で2.26事件時の「準戒厳」状態を肌身で知っている人はわずかしかいないでしょうし、関東大震災、日比谷焼き討ち事件は言わずもがなです。自国民の経験談から検証することが叶わなければ、他国の例に学ぶしかありません。この本を読む限り、日本は韓国とは違うのだとは、とても思えないのです。

[ハン・ガン 井手俊作訳『少年が来る』(新しい韓国の文学15) クオン 2016年]

 

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映画「小学校 それは小さな社会」のこと

 昨日の朝NHKを見ていたら、今話題となっている山崎エマ監督のドキュメンタリー映画「小学校 それは小さな社会」とその撮影現場となった東京都内の小学校の話題が短く取り上げられていました。この映画は海外でかなり注目・評価され、フィンランドではロングラン上映されるほどヒットし、フィンランドの先生方が実際に視察のために撮影の舞台となった小学校を訪問して感嘆する様子などが紹介されていました。これまで学力先進国として世界のトップを走って来たと自他共に認めるフィンランドでも、近年は、たとえば、今年の4月に12歳の子どもが学校で発砲事件を起こし、国民のあいだに大変なショックを引き起こしたようです。社会全体にこのままでいいのかと、これまでの個性重視の学校教育にある種の「行き詰まり」を感じる空気が強く、積極的に海外の事例に学ぼうとする姿勢があるようです。
フィンランドの学校で銃撃 児童3人死傷 12歳の児童を身柄拘束 | NHK | フィンランド

 実際に映画を見たわけではないので、皮相な印象だけですが、日本の(小)学校教育が日本の集団主義の原点を形づくっているというのは、その良し悪しはともかく、万人が認めるところでしょう。それを「よいもの」ととらえれば、フィンランドほか海外で評価されているとおり「コミュニティーづくりの教科書」にもなるのでしょうが、そのように言われても手前味噌というか、こそばゆいというか、実際にある程度「内実」を知る者にとっては、あまり手放しに評価できるものでないのは、毎年“いじめ”の認知件数が過去最多を更新していることからも明らかでしょう。
いじめ認知件数は過去最多を更新 2024年|一般社団法人 全国PTA連絡協議会

 この映画の監督・山崎エマさんのインタヴュー記事がネット上に上がっていたので、いくつか読みました。その中のひとつで彼女はこう話しています。
山崎エマ監督が語る『小学校~それは小さな社会~』 教育について考えるちょっとした時間を|Real Sound|リアルサウンド 映画部

――改めて基本的なところからお伺いします。山崎監督の出自として、どのような学生生活を送ったのでしょうか?
山崎エマ(以下、山崎):お父さんがイギリス人で、お母さんが日本人で、生まれは神戸です。育ちは、小学校の時は大阪の北の方の茨木市というところで、映画に出てくるような大きな公立の小学校に、自分も6年間通いました。中学校から高校までは神戸のインターナショナルスクールに通い、大学はニューヨークに行きました。なので12歳以降は、だんだんとアメリカ人になっていったというか。……
……この映画を作ったのは、ニューヨークで大学を終えて社会人になって、編集や助手の仕事をしていたのがきっかけなんですけど、やっぱり普通に仕事しているだけなのに、「すごく働きますよね」とか「すっごい頑張りますね」みたいに言われて。「すごく責任感があって、時間通りに来て、チームワークがすごい」みたいな評価を受けたんです。でも、日本人として普通に振る舞っているだけで、自分が特別すごいとは全然思えなくて。そのときに、なんで自分はこういう人になったんだろうって考えたんです。振り返ると、日本の小学校で学んだ6年間が、明らかに自分の考え方とか行動の当たり前の軸になっていて、自分の強みとして海外生活のときに活かされたということに気づいて。でもアメリカだと、掃除とか給食を自分でやるのは当たり前じゃないし、さっき言ったように、行事も全然次元が違う。調べていくと、こういうことは万国共通じゃないことにも気づいたんです。

――私も海外生活をした経験があるのでよくわかります。
山崎:一方で、ニューヨークにいると、日本のことといえばお寿司とか侍とかアニメとか、本当に断片的なことしか伝わってこないんです。日本ってもっといろいろあるのにな、みたいなことを思ったりします。日本のことを知ってもらいたいなら、お寿司もいいけど、日本人の心が見えるもの、例えば私の前作『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』で映した高校野球のあり方とか、今作での小学校教育などを見れば、日本のことがわかるんじゃないかと思いました。それはもっと複雑な日本の状況も含めたもので、小学校を撮るならば世界に発信したいし、教育というのはつまり子どもたちについて考えることなので、日本の未来も考えることになります。そういう土俵として撮りたいなと思ったのがきっかけでした。

――撮影する学校を選ぶ際は、どのような過程を経たのでしょうか?
山崎:公立の小学校から選びました。ここを見れば、日本の大体の典型的な小学校が分かるから。でも、それも特定のクラスだけじゃなくて校舎すべてを撮りたくて(笑)。そういう条件を受け入れてくれる学校を見つけるのに苦労して、6年で約30校くらい行ってダメだったんです。その中で、いろんな縁で、世田谷区が東京のオリンピックがある年にはアメリカのホストタウンでもあるというきっかけがあって。私は、プロデューサーの夫がアメリカ人であったりとか、自分も結構アメリカンな感じなので、そういう年に特別にその世田谷の小学校を世界に発信したいという話なら聞いてくれるんじゃないかなってアイデアが生まれて。それから世田谷区にご縁があって、教育長とかにも賛同していただいて、それから区の中で学校を探して、ここになりました。
 ……結局振り返ると、自分が行った小学校に一番似ているところを選んだなって思います。映画で取り上げたかったのは、算数とか理科の授業じゃなくて、やっぱり行事で6年生が1年生を助け合うとか、合間の時間に人間形成がなされる瞬間です。そして休み時間や、子どもたち主体の時間に力を入れている学校。でも、やっぱりどこにでもありそうな、都会のど真ん中でもなく、かといって地方の田舎でもない場所という条件も含めて、この学校を選びました。

――150日間の撮影を通して、日本の学校の特徴や変化を感じられたことはありますか?
山崎:面白いことに、学校を回っていると「ここも来たことあるっけ?」と思ってしまうくらい、小学校の作りは構造上似ているんです。体育館の作り方や校舎とかも決まっているし。その中で、何がその学校独自のものなのかということはやっぱり撮影に入る前はわからなくて。逆に、自分の時代に比べて何が一緒で、何が違うかというところにはたくさん気づきました。変わってないところもたくさんあったんですけど、やっぱり25年、30年前の私の時代と比べたら、子どもを尊重することがより意識されている。正直、私の時代はそんなことは優先ではなくて、今よりも集団の中の一人、という感じでした。一人のために先生が授業を止めたり、クラスが止まって待つとか、そういうことがとても増えているなというのが実感です。

――タイトルに入っている「小さな社会」に込められた意味はなんだったのでしょうか?
山崎:小学校の中はまさしく『小さな社会』という通り、ある意味1つの小さな社会をそこにいる人間が作っているんです。1年生の時から配る係とか、電気つける係とか与えられて。それで、高学年になれば放送委員とか保健委員とか、その学校のための役割があって。もちろん大人の下支え、大人のサポートがあるんだけど、そこにいる子どもたちが、自分たちの学校のために行っている。みんなスローガンを決めるのに燃えたりとか、運動会になったら団結したりとか、その中で役割を見つけて責任を果たす。そういうやり方が成立しているんです。
……だからある意味理想的な、それぞれに責任があって、思いやりもあって、助け合いながらやっていくみたいな環境ですよね。それが日本の今の社会にも反映されている。時間通りに電車が来て、人々が譲りあって、配慮がある、とか。会社員であっても、社会の中でも、何かに対して、自分の職に対する責任とか役割を見つけて、そこに全うする色が強い社会だなと。小学校のときは、いま言ったことが結構理想的に動いています。でもそれがズレていくと、たとえば集団に対して違うことやりたいなとかっていうときに、自分のアイデンティティが崩れてしまう。その両方が交わって、日本のいいところと悪いところ、小学校、日本の社会はそうなっているのかな、みたいな感覚です。

――子どもたちもそうですし、先生方の役割についても、かなり特徴を捉えていると感じました。
山崎:先生って本当に難しい職業だと思います。特別活動とか行事を通してどう子どもを導くのか。直接言うのではなく、子どもからしたら自分でやってできたって思わせるためにどうやるのか。心を通わせて、一人の先生が何十人も見る。そんな難しい職業はないですよね。親御さんへの対応とか、いろんな上から降ってくる手続きとかもある中で、先生は本当に大変です。これだけ柔軟力と同時に信念が求められる職業ってないんじゃないかと思います。

――映画の中で先生方の葛藤や苦労も印象的でした。撮影を通して見えてきた部分はありますか?
山崎:やっぱり先生たちも人間です。先生の立場って、子どものころは何にも分かってない。先生も子どもの前とか親御さんの前ではちゃんとしないといけないって感じていて、悩みなんか打ち明けられたら、親御さんも不安になってしまう。「自信ない人が何やってるかわからない」とか。なかなか打ち明けにくいけど、みんな正解がない中で、悩みながらやっている。職員会議とか、先生同士の支え合いがあって学校が成立しているんです。1人1人の先生が個別に悩んでいるところも映しているけど、それを共有できるのが教員同士しかないのが難しいところです。本当はもうちょっと先生方と学校側の中の悩んでいるところも含めて、もうちょっとオープンになれば、親御さんがより協力するんじゃないかとか思いました。
……今回の映画の1つの反響で、「こんなに先生たちが考えている、悩んでいるなんて知りませんでした」とか、「親としては文句ばっかり言って協力してないけど、こんなに考えてやっているなら……」「私も協力しないと」みたいなお母さんがたくさんいました。

――海外の教育関係者からの反応はいかがでしたか?
山崎:先生という職業は、いま世界中で本当に大変な仕事だというのが共通しています。地位とか給料とか、こんなに低いのに、社会の大きなところを担っている。教育ってすぐに感謝されることでもないですし。私も、自分の小学校の先生のありがたみを感じたのって、15年とか20年後なんです。でも、この映画を観て、海外の先生も日本の先生も、やっぱり自分たちのやっていることの尊さや大事さに改めて気づけたから頑張れます、みたいな反応も多かったです。当たり前の日常なんだけれども、それをこうして映像に残すと、気づくことがあります。
<以下略>

 末尾に、先生方から「自分たちのやっていることの尊さや大事さ」に改めて気づき、頑張ろうという気持ちになったという反応があったことが紹介されています。教育関係者にとっては自身を奮い立たせる文言です。しかし、それを何度も何度も繰り返しながら、自身を「摩耗」させている先生が何と多いことか。他方で、子どもたちのいじめ(認知)件数は過去最大を更新し続けている――調整手当の10%など、教員の金銭的な待遇改善とは全然レベルのちがう話だと強く思います。そもそも高い給料が欲しかったら、先生方は教員という職業は選ばなかったはずです。



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