ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「手袋を買いに」

 今朝の新聞の書評欄を見ていて、新潮文庫から新美南吉さんの作品選集が出ていることを知りました。新美さんと言えば、何をおいても「ごんぎつね」でしょうが、小生にとって、子どもの頃に読んでとても印象に残っているのは、評者と同じく、「手袋を買いに」です。
今週の本棚:荒川洋治・評 『ごんぎつね でんでんむしのかなしみ 新美南吉傑作選』=新美南吉・著 | 毎日新聞
https://www.nankichi.gr.jp/Dowasyo/pdf/R02/tebukuro.pdf

 雪の中、手がかじかんで冷たいと言う子狐に、霜やけになったらかわいそうだから手袋を買ってあげようと思い、子狐と一緒に町まで下りてきた母狐が、町の灯を見たとたんに、昔人間に追いかけられた記憶がよみがえり、足が止まってしまいます。「どうしたの、お母ちゃん、早く行こうよぉ」とせがむ子狐に、母親は子狐の片方の手を人の子どもの手に変えて、こう言うのでした。
「坊や……まるいシャッポの看板のある家を探したら、トントンと戸を叩いて『こんばんは』って言うんだよ。少し戸が開くからね、そしたら、こっちの、ほら、人間の手の方を出して、『このお手々にちょうどいい手袋をくださいな』って言うんだよ。こっちの手を出したら絶対ダメだよ。わかったかい」と。そして白銅貨2枚を持たせたのでした。
 この後の展開は、ご存じのとおりで、子狐は戸の隙間から差し込んだ明かりに目がくらんで、出したらダメと教えられた方の手を出してしまったのですが、お店の人のはからいで無事に手袋をもらって帰って来るのです。そして、「お母ちゃんは人間は怖いものだって言ったけど、ちっとも怖くないや。僕、間違えてほんとの手を出しちゃったのに、帽子屋さんは手袋をくれたよ」と言い、母親は「ほんとうに人間はいいものかしら、いいものかしら」と繰り返すのでした。
 これは1933年(昭和8年)の作品です。こんな心温まる作品を残した新美さんを心より尊敬します。若くして亡くなったことがとても残念です。

 霜やけと言えば、亡くなった小生の母親も、冬になると霜やけとあかぎれがひどく、手が腫れて、それはかわいそうでした。昔は今のように蛇口から温水が出るようなことはなく、水仕事は本当に冷たくてきつかったと思います。何かの集金を頼まれて近隣を何軒か回ったときに、あるお宅で手袋をはめたままお金を受け取ろうとしたら、そのお宅の人から「今年も霜やけで大変なんですね」と言われたと、本人は苦笑いをしながら何度も同じ話をしました。小生もその「血筋」のせいか、子どもの頃は手がよくあかぎれになり、ひび割れしたこともあります。中1の頃、真冬に外をランニングすることになり、軍手をつけていたら、2つ上の怖い先輩から「お前、その軍手、貸せよ」と言われて、「ちょっと、霜やけなんで……」と断ろうとしたら、「嘘ついてんじゃねえよ!」と言うので、仕方なく軍手をとったら、その先輩、小生の手を見て「いや、ごめん、悪かった」と何度も平謝りするのでした。母親のように手が腫れていたわけではなかったので、こういうケースでは、それでも軍手を強引に「借りていく」先輩も中にはいたとは思いますが、このときの先輩はそういう人ではなかったのです。別に感心はしませんでしたが、先輩風を吹かして威張り散らす人ばかりだと思っていたので、中にはこういう先輩もいるんだなあと思ったのです。新美さんが童話を書いていた頃よりは古くないですが、もう半世紀を超える大昔の話です。

 ここ数日、都民でもないのに都知事選の「落選運動」を書き連ねてきました。いよいよ投票日が明日に迫りました。政治的リーダーというか、為政者はいろいろな立場や境遇にある人を束ねていかなければなりませんし、求められるものも様々です。しかし、いろいろな人が指摘していたように、食糧配付に並ぶ大勢の人の真上に、何十億という巨額の費用をつかってゴジラの映像を映し出すことに何の疑問も感じず、疑念を呈する人に自らほとんど説明らしきこともしない為政者というのはどうなのでしょうか。あるいは、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に知事名で必ず追悼文を送ってきた慣例を破るというのも、あの石原慎太郎でさえ追悼文を送っていたのですから、東京大空襲の犠牲者と一緒にして追悼することにどんな積極的理由があるのか、主催・賛同する側からしたら、「敵意」や「悪意」を感じないではいられないでしょう。これも小池氏お得意の「排除します」の一環なのでしょうか。しかし、それはいろいろな立場・境遇・主張の人々(都民)のトップに立つ首長のやるべきことではありません。
 子狐に手袋をくださいと手を出された帽子屋さんは、手を見て狐であることがわかって、欺されるかも知れないと思いつつも、代金として正真正銘の銅貨2枚を差し出されると、「排除する」ことなく、子狐に手袋を渡したのです。また、小生の先輩も、自分が後輩に惨い要求をしたと気づいて、「悪かった、ごめん」と謝ったのです。庶民感覚では普通のことだと思いますが、こういうのが理解できない人、狐だからという理由だけで手袋を売らなくてよいと思う人、相手の手がひび割れしてても軍手を奪い取っていくような人には、首長になってほしくないというのが多くの人の共通感覚だと思います。

 数日間、部外者なのに都知事選に関係する投稿を連ねてきましたが、都民のみなさんには、是非普通の感覚が理解できる方を都知事に選んで欲しいと切に願います。



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