おとといのブログで子どもを「素人」同然みたいに書いてしまって、ちょっと言い訳がましいのですが、反省の意味合いを込めて(苦笑)、昨日11月20日が国連「世界子どもの日」だったことと子どもの権利条約について書きます。
この地球上のある地では、空爆により多くの子どもたちが命を失っています。子どもの権利を云々する前に、子どもの生存そのものがないがしろにされる状況を何とかしないといけないと思うのですが、結局のところは、「安全」な場所で一時的な嫌悪感や虚無感に苛まれるだけなのです。
彼の地に比べると、「差し迫った」感じのないこの国で、子どもの生存を確保し、権利を守れと言うのはますますズレて、間が抜けている感じもします。しかし、個人的な思いで言えば、家庭や学校など、日本の子どもたちをとりまく状況は年を追って厳しく、綻びが目立ってきているように感じています。
国連総会で子どもの権利条約が採択されたのは1989年で、それから今年で35年です。11月20日は採択が決まった日です。日本は1994年にこの条約を批准しましたが、相変わらず条約の精神に後ろ向きと言うんでしょうか、条約では「子ども child」は18歳未満と定義づけられていますが、日本政府はこの条約を相も変わらず「児童の権利条約」と称して(訳して)います。「児童」とは常識的には小学生以下の子どもを指すわけで、なぜchildを「子ども」と訳さないのか。児童福祉法(児童相談所)の「児童」が18歳未満であることにかこつけて(?その他に同様の例を知りません)、不自然なまでに「子どもの権利」ではなく「児童の権利」という訳語にこだわります。
児童の権利条約(児童の権利に関する条約)|外務省
おそらくこれは条約の内容を理解した中学生や高校生が自身の権利に目覚めることを恐れてのことなのでしょう。髪型やスカートの丈、靴下の柄など、世間から一時指弾された「ブラック校則」の例を出すまでもなく、小生も学校の中にいた人間なので、その「くだらなさ」は身にしみていますが、今でも日本の学校は、「中学生らしさ」「高校生らしさ」、あるいは「清潔感」とか「勉学にふさわしい」などといったおおよそ内実のない(主観的にいかようにでも解釈できる)建前でもって、生徒たち(児童を含む)を「指導」しています。これはほとんど従順さの刷り込み(=統治・支配)と言っても過言ではありません。近年全国的に教員のなり手がいなくなっていることが話題になりますが、その現実的理由の第一は、もちろんあまりに多忙な勤務形態にあるとはいえ、学校現場の最前線で子どもに「指導」と称して、実際はたいして「逸脱」しているわけでもない頭髪やスカートを直せ、と言うのは、教員に「良識」があればあるほど、身に応えるものでしょう。
「ルールを守れ」というのは、教員が生徒によく言うフレーズですが(最近は日本の総理大臣まで言うようになりましたね 笑)、そのルールづくりに生徒を参加させたことなど、ごく少数の学校を除いて、ほとんどないのです。だから、そのルールがどうして必要なのか、生徒は考えないし、考えさせません。面従腹背でも何でも、とにかく「形」だけは言われたとおりにしろというわけです。これは授業で答えを暗記しろというのと一緒です。これのどこが「教育」か、ということです。
日本弁護士連合会は昨日、渕上玲子会長名で子どもの権利の保障をさらに推進していくことを求め、以下のような声明を出しています。一部引用します。
日本弁護士連合会:世界子どもの日制定70年を迎え、改めて子どもの権利条約に基づく子どもの権利保障の推進を求める会長声明
……現在においても、子どもたちを取り巻く状況は非常に厳しく、自死者数、児童相談所の虐待相談対応件数、いじめ重大事態件数、不登校児童生徒数などいずれも過去最多の水準が続いており、家庭でも、学校でも、子どもの権利が保障されているとは到底言える状況にない。
特に学校に関して、国連子どもの権利委員会は、教育は、子どもの固有の尊厳を尊重し、子どもの自由な意見表明や学校生活への参加を可能にするような方法で提供されなければならないと述べている(一般的意見1号)。ところが政府は、平成6年5月20日付け文部事務次官通知(以下「平成6年文部事務次官通知」という。)につき本年の参議院決算委員会においても撤回を拒んでいる。同通知は、条約発効によっても教育関係法令等の改正の必要はないとし、学校での子どもの意見表明権については理念を一般的に定めたものであるとし、必要な合理的範囲内で指導や指示を行い、校則を定めることができるなどとしたものであった。これは、子どもの意見表明への支援や子どもの意見への真摯な応答の重要性を軽視したものであり、かかる通知が今でもなお存在している。条約は、社会的養護の場だけではなく、学校においても子どもの意見表明権の保障を求めているのであるから、同通知は撤回されるべきであり、子どもの権利保障の観点から教育関係法令やその運用等の検討・見直しがなされるべきである。……
註)「平成6年文部事務次官通知」は以下を参照。
● 「児童の権利に関する条約」について 平成6年5月20日 文初高初149
今日読んでいた本の中にこんな一節がありました。著者の山本さんは建築家であり大学の先生です。
……O町という群馬県の町庁舎新築工事の設計コンペはそれまでにない画期的なコンペだった。「住民と共に設計せよ」という条件下のコンペだったのである。……住民の意見を取り入れるための何らかのシステムを考案すること。そのシステムによる建築は従来の建築の概念を超えて、全く新しい美学をもった建築でなくてはならない。
“住民の意見を聞くということは、その意見に従って建築をつくるということである。それは建築家の美学と矛盾する”。……(提案が評価され)私たちはO町の住人45人と共に設計した。彼らは自らの意志で集まった住人たちである。この町に長い間住んで、地域の特性を知りつくした人たちである。私たちは彼らに対して平面図をつくってそれを説明した。平面図はただちに1/20スケールの模型として立ち上げられる。そしてその場で変更できる。簡単に設計変更できるのである。実際、私たちは合計して25回も平面図を書き直した。その都度住民から意見や批評がある。……最初の頃の住民の要望は自分たちの個人的な願望だった。噴水をつくってほしい。広場をつくってほしい。カラオケの部屋がほしい。ありとあらゆる意見が噴出した。様々な意見を聞きながら、基本設計はいっこうに収束する方向に向かわなかったのである。この47人の建設委員会の人々はそれぞれ他人と違う感覚をもった45人である。それぞれに庁舎に対する考え方、このO町という地域に関する感じ方は違う。でも何度か建設委員会を開いている内にすこしずつ彼ら自身が変わっていったのである。きっかけは「だれのためにつくっているのか」という女性の一言だった。……その女性は「自分たちのことばかりみんな言うけれど、この建築は今この場所にいない子供たちに引き渡す建築だ」という意味のことを言ったのである。この建築は今の私たちのためだけではなくて、未来の遥か先までこの場所に残り続ける建築なのだ。その一言から建設委員会の人たちの意見は明らかに変わっていった。未来のO町はどうなるべきなのか。議場の使い方から多目的ホールの使い方、今までの庁舎建築の使われ方とは全く異なる意見が続出したのである。……それは自分たちのための庁舎を自分たちの責任で作るという、責任感であると同時に、強い意志であった。未来のO町に対する希望のようなものだったと思う。……
(山本理顕『権力の空間/空間の権力』2015年、210-215頁)
上の庁舎建築は「反動」があったりして、結局うまくいかなかったようですが、それはともかく、この話、学校のルールづくりでも、同じことになるように思います。最初は自分勝手な意見が「噴出」して収拾がつかなくなるかも知れませんが、無責任な意見や行動はだんだんと淘汰されていくでしょうから、気長に待てば、話は落ち着くところに落ち着くでしょう。でも、実際のところ学校は待ってくれません。教員一般は、というか、学校、もっと言えば、権力(機関)というのは、ポーズは見せても基本的にそういうことはしないところです。トップダウンはしょっちゅうしますがボトムアップは許さないのです――これが延々と続いてきたのが、この国の支配構造(の一端)なのだと思います。百歩譲って、異論があるなら掌の上で転がってろと、それなら許すということでしょう。
今はもう現場を離れた身とはいえ、その端くれにいて少なからず心を痛めた経験をした者としては、昨今の学校と子どもの状況に責任が皆無とは言えないので、この件は黙せず発言していこうと思います。三歩前進二歩後退でも一歩は前進するわけですから……。