ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

日米首脳会談と岸田さんの「笑い」

 毎日新聞論説委員伊藤智永さんが、担当コラムの「土記」で、2週続けて、岸田首相の訪米と日米共同声明の意味を取り上げています。
土記:前例なき高みという深み=伊藤智永 | 毎日新聞
土記:銃を取れ、命を懸けろ=伊藤智永 | 毎日新聞

<4月20日付>
 「米国と一緒にいることの覚悟が示された。同盟とは、守るべきものを共に守るために戦うこと。必要なら銃を取ってでも、命を懸けてでも守ることである」
 岸田文雄首相の米議会演説と日米共同声明の意味を、杉山晋輔元駐米大使は17日、日本記者クラブで……解説した。外務省とすり合わせて会見に臨んだというから、政府見解の代弁である。問題は、何をどこまで守るのか。
……杉山氏は、聞き逃せない核心をしれっと言った。
 「この同盟に基づいて、日米安全保障条約に依拠する場合も、そうでない場合も、日本近傍の地域、北朝鮮台湾海峡の平和と安定のため米国と戦うと共に、グローバルに米国のパートナーとしてやっていくことを表明した」
 安保条約の対象範囲でない地域や情勢でも、地球上のあらゆる事態に米国と共に命を懸ける?……

<4月13日付>
 「3年間を経て日米同盟は前例のない高みに到達した。我々がこの歴史的瞬間に至ったのは、数年前には不可能と思われた方法で、共同での能力を強化するために勇気ある措置を講じたからだ」
 高揚した表現で始まる「日米首脳共同声明・未来のためのグローバル・パートナー」(11日朝刊)をじっくり読んだ。内閣支持率の低迷する岸田文雄首相が、いつの間にかそんな「高み」にいたとはつゆ知らなんだ。
 技術、投資、宇宙、気候変動、核不拡散、外交……。70以上の合意がてんこ盛り。岸田氏は米国で大歓迎され、国内では見せない笑顔とジョークを振りまいた。
 しかし、歓待はウクライナ支援1・8兆円、5年間で防衛費43兆円、ミサイル共同開発や米軍艦船・航空機の整備などを約束した気前よさへの称賛だと考えたら、とても一緒に笑えない。
 「高み」と「勇気」の中核は、防衛・安全保障協力の日米融合である。自衛隊在日米軍の「指揮統制枠組み向上」は「一体化」ではないというが、海上自衛隊幹部から「現場ではすでに一体化が進んでいる」と自慢げに聞かされることは珍しくない。日本のプロ野球選手が大リーガーになるのと似た心境なのだろうか。……

 岸田さんがどのように「自覚」しているのかわかりませんが、今回の訪米によって日本はますます米国と軍事面で共同歩調をとる決意を世に宣言したととらえられます。いや、そんなことは前からそうなのですが、それでも日米の一体的行動に齟齬をきたすというか、一抹の不信と不安の要素がなくもなかった。相互協力にあたって、唯一と言っていいくらいの「足枷」は、80年前の日米戦と原爆の記憶です。言及すれば、多かれ少なかれ「被害=敵対感情」が頭をもたげ、状況によってはナショナリズムに火がつくでしょうし、すんなりと全面協力という展開にはならないかも知れません。だからこそなのか、そこが、今回完全にスルーされて、一切出てこないで、まるで日米が交戦した歴史などなかったかのようです。これはよしあしはさておき、政府の意図だけでなく、「80年」という年月の長さがもつ重みなのかもしれません。「好意的」すぎるとは思いますが……。
 そうは言っても、日米同盟は「前例のない高み」「歴史的瞬間」に到達したなどとさらっと前置きして、日本が米国とともに戦う “新段階” に入ったというのですから、「ただ事」(ただの外交辞令)ではありません。実態を正確に言えば「ともに」戦うというよりも「米国の指揮下」で戦うのでしょうから、近隣地域の紛争はもとより、そうでないところの米国の軍事介入に、日本の自衛隊が駆り出され、国民や企業もそれに協力させられる可能性が、今まで以上にいっそう高まったように感じます。岸田さんは、バイデン米国大統領や米国議員らに始終「笑顔」で応じたかもしれませんが、伊藤さんと同様、こちらは一緒に「笑う」気持ちにはとてもなれません。

 そう言えば、訪米中の岸田さんの「笑顔」の写真を何枚か見ました(以下のリンク記事参照)。バイデン首相とともに車内で「自撮り」したもの、米国議会で演説して拍手されたときのもの――どちらも「媚び」が映って、正直言って日本で揶揄されている「増〇メガネ」を彷彿させるようで、いやーな感情がわいてきます。3枚目は去年の1月の日米首脳会談の際のものらしいので、今回のものとはちがいますが、こちらは何というのか、「飼い犬」という言葉を連想してしまう写真です。「喜劇的」と言えば「喜劇的」ですが、我々にとっては「悲劇的」でしょう。
「世界のための」日米同盟 あらゆるレベルでの協働強調 首脳会談 [写真特集1/7] | 毎日新聞
「この人アカンわ」岸田総理の米議会“売国演説”を京大教授が激辛採点!新聞が報じぬ対米従属 日本を壊す不治の病 - まぐまぐニュース!
滅多に見れない満面笑みの岸田首相、渋い顔のバイデン大統領《グラビア》 | 週刊文春 電子版

 思想史家の藤田省三さんは、吉田松陰について述べている文章で、こんなことを書いていました。

……悲劇的精神がその自覚の究極にまで達する時、そこには却て喜劇的精神が生まれる。「運命」と「人間」との格闘と、その格闘における「人間」のドタバタ性を、一度び超越的眼でもって見直すことが出来るや否や、その戦いの様相は笑いをもって描かれるようになる。或いは笑いをもたらすべきものとして描かれるようになる。その場合にどのような性質の笑いを以てするかが喜劇的精神の性質と型を決定する。嘲笑的態度もあれば苦笑いもある。穏やかな微笑もあれば愉快な哄笑もある。皮肉なウイットもあれば洒落たユーモアもある。自分を笑う笑いもあれば他人を笑う笑いもある。戦いの笑いもあれば追従の笑いもある。全体の構図を笑って見る笑いもあれば部分的極点に縮小される笑いもある。「泣く」のと違って「笑う」ことには精神の全ての様相が含まれうる。「笑い」は表現としてそれ程までに複雑なものである。だからこそ喜劇の最高のものは「芸術」のみならず精神の表現として最高の位置を占めるし、最低のそれは底無しに下らないものとなる。……
  市村弘正編『藤田省三セレクション』、平凡社ライブラリー、326-327頁)

 悲劇が底を打つと笑い出すという経験は小生にもあります。冷静に考えて、他国からほぼ一方的に武器を(言い値で)買わされたり、軍隊(自衛隊は「軍」じゃないらしいですが)の指揮権のあけ渡しを迫られたりすることは、主権国家にとっては「悲劇的」なはずです。しかし、岸田さんは悲壮な覚悟をもって日米首脳会談に臨んだ形跡はありません。特に首脳会談をやらないとまずいような差し迫った日米間の懸案はなかったと思いますので、息抜きを兼ねて、裏金問題等で支持率を下げた局面の打開のため、米国側に開催を打診したのでしょう。岸田さんの一連の「笑い」に、藤田さんの言う「喜劇的精神」がどこまで反映されているのかわかりません。かりに「媚びた笑い」であっても、「戦略的」な意味合いはあるかもしれませんが。

 先週、岸田さんは米国議会で演説をした際、冒頭に拍手を受けて「日本の国会では、こんなにすてきな拍手を受けることは、まずありません」と、ご満悦だったと伝えられました。単なる「儀礼」(慣行)なんだから、とも思いましたが、この発言に「噛みついた」人もいました。たとえば、立憲民主党の泉代表は「(日本の国会で拍手されないのは)自業自得だ」と言ったり、安住国対委員長は「政治改革や疑惑追及でリーダーシップを取るなら喜んでスタンディングオベーションを送る」と言ったり……と、批判する側の「喜劇的精神」もどうなのかという感じは否めません。
岸田首相は「自業自得」米議会「すてきな拍手」発言に立民代表 帰国後に待つのは厳しい政権運営 - 社会 : 日刊スポーツ

 回想記を読んだ感じだと、英国のブレア元首相ならもっと機転の利いたことを返すように思えますし、小生なら、難しいけれど、「米国議会では『検討します』とか『注視していく』とか『高い緊張感を持って』などと言わないとウケがいいみたいですね。日本の国会でも試してみてはいかがでしょうか……」くらいがせいぜいです。お粗末……。


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