ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

気の早い岸田政権の「総括」

 泥沼と化した統一教会問題に足をとられる岸田政権。国民からそっぽを向かれて支持率が急降下し、反転に必死です。今度は電気ガス料金の負担軽減など総合経済対策を打ち出すようですが(自民党から額が少ないと言われて、何と4兆円!も積み上げるとのこと)、所詮はバラマキです。財源は国債依存で、最終的には国民の負担になります。しかもその裏では、政府税制調査会で消費税率の引き上げに向けた議論が必要だなどと言っているのですから、この状況で何を、と正気を疑いたくなります。

 このチグハグさが何に起因しているのか。もちろん岸田政権に統制力が欠如しているのは大きな理由でしょうが、これは岸田さん個人の資質や能力よりも、政権自体の構造(力関係・特質・変遷)を見ないといけないと思います。
 この点で、「毎日新聞・政治プレミア」に連載されている政治学者・白井聡さんの記事には得心するところが多かったです。岸田政権が潰れたとき、論評はこれをふまえないといけなくなる気がしました。まだ倒れてもいない岸田政権の、ちょっと気の早い「総括」ですが、一部概要を引用させてください。
民主主義の危機とは何か 岸田政権を「総括」する | | 白井聡 | 毎日新聞「政治プレミア」
背後に隠れているエースの専制 岸田政権を「総括」する | | 白井聡 | 毎日新聞「政治プレミア」

 ……戦後日本の民主政治における権力の核心部は、ジャンケンのような三すくみの構造によって成り立っていると言われてきた。核心部を成す三つの要素は、政(政府与党)・官(官僚)・財(財界・大企業)である。
 政は官に対して「任命権・人事権」を持つので優位に立つが、財界からのカネと集票に依存するので逆らえない。官・行政機構は、法令のつくり方ひとつで企業の活動を左右でき、場合によっては業務を停止させる権限さえ持つが、政治には負ける。財界は、官・行政機構には負けるが、政治に対しては優位に立つ。ジャンケンと同じように、三つのうちの一つが絶対優位になることはなく、この三つの力の微妙なバランスによって政治が成り立ってきた。……

 2012年に成立した第2次安倍晋三政権は、「官邸主導」を追求し、「安倍1強体制」とまで言われる政治の優位を確立した。内閣人事局の設立による官僚人事の一元支配は官に対する優位を徹底化するものだったが、同時にそれは、平成の全時期を通じて唱えられてきた「政治主導」の制度的完成でもあった。
 しかし、この政治主導は見せかけのものでしかなかった。なぜなら、本来の意味での政治主導が機能するためには、主導する政治家は、それぞれの分野の専門家である官僚を説得し、納得させて協力させなければならず、政治家には知性が求められるはずが、それを欠いたまま人事権力だけが肥大化してしまった。安倍政権とは、その結果がどうなるかの社会実験のようなものだった。安倍政権期には「官邸官僚」の存在感が異常なまでに高まったが、それは政権の特定の官僚への深い依存を物語っていた。
 安倍政権の人事の特徴は「傍流人事」であったと言われる。鮫島浩氏は次のように述べている。

突然の安倍退場 霞ヶ関の「傍流人事」は消える(ニュースソクラ) - Yahoo!ニュース

 <安倍政権は人事で官僚機構を掌握した。霞ケ関主流派である財務省と外務省を遠ざけ、傍流扱いされてきた経産省警察庁を重用した。そればかりではない。各省庁の本流といわれるエースではなく、そのライバルをあえて登用し、忠誠を誓わせたのだ。北村(滋)氏は警察庁長官を務めずに国家安全保障局長に抜擢(ばってき)されたし(菅政権末期に退任)、今井(尚哉)氏は経産事務次官を経ずに首相補佐官として官邸に君臨した。安倍政権で事務方トップの官房副長官を務めた杉田和博氏も警察庁長官を務めていない。各省トップを経験していない官僚が官房副長官に就くのは異例だ。警察庁傍流の杉田・北村ラインを重用する安倍官邸に警察庁本流には不満が募っていた>

 官庁のレベルでも、人選のレベルでも、トップ視されている存在を遠ざけ、二番手以下を重用する。この手法は、小泉純一郎氏に仕えた首相秘書官・飯島勲氏が唱えていた、「無能を引き上げ、有能を遠ざけろ」の支配術とも軌を一にしている。それによれば、有能な者を取り立ててやっても当人は「当然だ」と思っているので特段感謝されないが、無能な者を引き上げてやれば「この御方のおかげだ」と感じるので忠誠を誓わせられる。
 こうして、安倍政権の統治構造は、恣意的に取り立てられた二流の官僚による専制政治であった。なぜなら、「レガシーなき」と言われるように、その7年8カ月に及んだ統治が遺した「成果」に肯定的なものは見当たらず、統一教会問題と東京五輪汚職に代表されるように、強烈な腐臭が漂うばかりだ。見せかけの政治主導の下で、特定の官僚の権力が異常に肥大化したのが安倍政権の権力構造の本質だった。

 安倍晋三元首相が去り、岸田文雄首相は本来ならば自分のやりたかったことを妨害されずに実行に移すチャンスを得たはずであった。しかしこの間、「やりたかったこと」は、何も見えてこない。その筆頭が、岸田氏が政権獲得時に高唱していた「新自由主義を克服した新しい資本主義」であったが、金融所得課税の「1億円の壁」の問題すらまだ着手できていない。「所得倍増」のスローガンが「資産所得倍増」にすり替えられるに至っては、「新自由主義」という言葉の意味を知らずに使っていたとみなさざるを得ない。
 ところが、一方で、岸田政権が「挑発的」とも形容すべき尖った指針を出していることもまた事実だ。
 その代表が原発政策であり、積極的な再稼働のみならず、新設にまで踏み込み、さらには、原発運転期間のいわゆる「40年ルール」「60年ルール」の撤廃にも進もうとしている。そして、安全保障に関しては、米中の緊張が高まるなかで、米国寄りの姿勢をより一層鮮明にし、防衛費の大幅増額へと突き進もうとしている。米中両国に挟まれ、中国に対していかんともしがたく依存しているにもかかわらず、外交を通じて両者の緊張を緩和しようという姿勢は、まったく見受けられない。
 こうした原発政策の背後に、経済産業省を中核とする「原子力ムラ」の原子力回帰への執拗な意思があるのは見やすいし、より一層の対米追従一辺倒の安保政策の背後に、外務省・防衛省を中核とする「日米安保ムラ」の意向があるのは見やすい。首相の意志薄弱、思想の空洞を突いて、既得権益勢力の鉄の意志が遠慮会釈なく貫かれようとしている。つまり、安倍政権の統治が「政治主導」に偽装したむき出しの官僚専制であったとすれば、岸田政権の統治はそうした外観を取り繕うことさえしない官僚専制と化しつつある。

 ではその間、「戦後日本的民主主義」のもう一人の主役、経済界はどうなったのか。日本の経済力が全般的に沈下するなかで、アベノミクスを歓迎した財界は、為替操作=円安誘導による恩恵を享受した。それは、企業のすべてではなく、輸出による利益の大きい一部企業にすぎないし、内実は裏金地獄であった東京五輪の利権に群がっておこぼれにあずかろうとした。
 一般論的な次元で見ても、財界が自力で高い経済力を保持していれば、政界を買収することができるが、パフォーマンスが下がれば、政治を従わせるのではなく、政治による利益誘導に依存するようになる。日本の安全保障政策が中国敵視の方向へと刻一刻と向かっており、経済における中国依存との矛盾は明らかであるにもかかわらず、この方向性に対する財界からの批判の声がまったく聞こえてこないのは、財界の政治に対する権力喪失の証しであるように見える。

 そして、その政治は、すでに見たように、実質的には官僚専制と化している。つまり、政官財のジャンケンは、官の独り勝ちになった。この構造変動こそ、安倍1強体制がもたらしたものにほかならない。そして、岸田政権は、安倍政権から菅政権に引き継がれた「無能な官邸官僚による専制」を終息させたのではなく、「無能者」に代わって、矛盾と行き詰まりが明らかになっている路線を死守しようとする既得権益集団の代表者たちを前景化させたのである。

 現在Twitter上に「#自民党に投票するからこうなる」という#が上がっています。白井さんの結語にあるように「本来の意味での政治主導の実現、それを可能にするような政治家を権力の座に就けることは、有権者の仕事」です。いろいろな場面で頑張らないと、と思います。



 
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