昨晩エリザベス女王の国葬の様子をテレビで見ました。映像は世界各国で生中継されたので、バグパイプの音色に包まれながら進むこの葬列を、世界人口の半分以上、約41億ものが人々が目にしたかも知れません。ホスト国に国威発揚の気持ちが皆無ではないでしょうし、英国民がすべて等しく哀悼しているわけでもないとは思います。しかし、全体として「品よく」儀式が進んでいったことには敬意をおぼえました。それを「国力」とか「国の品格」とするならば、一週間後に「国葬儀」(というより「偲ぶ会」)をとり行う日本が、世にどのような品性(品格)を示すことになるのか。世論が割れる(反対の意見の方が多い)中で、手当たり次第に招待状を送り、参列者集めに汲々とする様などを見ていると、勝手にやればと思う半面、無事にできるのだろうかという不安もあります。
さて、岸田首相が「国葬儀」を行う意義(理由)として挙げていた「弔問外交」についてです。もちろん招かれた側は儀礼的にもホスト国に哀悼を示すでしょうが、それは「外交」と呼べるほどのものなのか。せっかく集まったのだからと、互いに「挨拶」以上の話をする、だから「外交」になるわけで、ホスト(主催)国としては、率先して自ら外国の参列者と会談するよりも、集まった国同士の会談、特に対立関係にあって関係改善のきっかけをつかめないでいる国同士の対話を取りもつ、仲介するのが務めではないかと思います。そこにこそ、国の品性、品格が現れるでしょう。この意味で、「国葬儀」をすれば(自国にとっての)「弔問外交」の機会となるというのは、欺瞞で、品がないと改めて感じます。
昨日(9月19日付)の朝日新聞に元外交官の美根慶樹さんのインタヴュー記事があります。部分引用します。
弔問外交 具体的成果「ほぼ期待できない」 延期が最善策と元外交官 [国葬]:朝日新聞デジタル
――今回の安倍元首相の国葬では、弔問外交によってどのような成果が期待できるのでしょうか。
「外交」の意味にもよりますが、ほぼ期待できません。直接あいさつをし、握手を交わすことが「外交」であるなら、一定の成果はあるでしょう。しかし、具体的な外交の成果としては、ほぼ皆無だと思います。なぜなら、外交で成果を上げるためには、どのような条件、表現で合意形成をするのかという、緻密(ちみつ)な準備が必須だからです。一方で、葬儀というのは基本的に不測の事態です。さらに、葬儀に参列する国は、どのような弔意を表明するのかについて準備をしますが、葬儀をきっかけに外交上の成果を上げようと準備をしているととらえられれば、それは儀礼を欠いているとして非難の対象になりかねません。
――海外も含めて、弔問外交で成果があった事例はないのでしょうか。
1980年5月の旧ユーゴスラビアのチトー大統領の国葬には約120カ国の代表が参列しました。その際、東西ドイツの首脳が10年ぶりに会談を行い、注目を集めました。同じ年の大平正芳首相の葬儀には100カ国以上の代表が参列し、当時のカーター米大統領と中国の華国鋒首相が米中国交樹立後初の首脳会談を実施しました。こうした事例を弔問外交の成果として指摘する人もいます。
しかし、当時は東西冷戦の構造が変容する特殊な時代で、両陣営の国々が互いに接点を求め、模索していたことが会談を実現させた大きな構造的要因として指摘できます。そのさなかに国家元首らの葬儀が偶然重なり、会談のきっかけになったととらえるべきです。
――現在は、ウクライナ侵攻をめぐってロシアと西側諸国の対立が先鋭化し、台湾問題や人権問題をめぐっても中国と西側諸国が対立しています。今回の弔問外交の機会を通じ、事態の打開が図られる可能性はあるのでしょうか。
ウクライナはシュミハリ首相が参列の意向を表明しました。危機的状況にあるウクライナ側が、日本などにさらなる援助を求める可能性は高いでしょう。しかし、ロシア側が交渉の材料を用意するとは考えられません。中国についても、歩み寄りを模索していた時代とは異なり、両陣営が譲らない状況で駆け引きを続けています。顔を合わせた程度で事態が動くことはまずないでしょう。
2013年には、南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ元大統領の追悼式で、当時のオバマ米大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長が握手を交わしたことが注目されました。その2年後に両国が国交回復を果たしたため、葬儀がきっかけになったと指摘する人もいます。そのことを否定することはできません。しかし、そうした成果が国家間の複雑な利害の調整なくして実現するというのは考えがたいものです。そもそもの国際情勢の変化と外交上の調整を重ねた結果ととらえるべきで、偶然重なった葬儀での接点を過大評価しているように思います。
――今回の日本の立場のように、葬儀の主催国として各国代表と会談する機会を得ることについては、どのような意義があるのでしょうか。
多くの各国代表と直接あいさつを交わすことになるので、各国との関係性を対外的にアピールしたり、協調関係の雰囲気作りをしたりする機会にはなるかもしれません。しかし、準備なき外交、会談では具体的な意見交換は期待できません。00年の小渕恵三前首相の葬儀の際には、当時のクリントン米大統領、韓国の金大中(キムデジュン)大統領ら元首も参列し、森喜朗首相は多くの重要な関係各国の代表と会談しましたが、具体的な外交の成果は乏しかったと思います。
――安倍元首相の国葬については現状、元首らの参列表明は比較的少ないようですが、なぜでしょうか。
まず、大平首相の事例とは異なり、現職の首相ではありません。また、岸田文雄首相は安倍元首相の外交上の功績をアピールしていますが、安倍元首相の戦争観なども含め、諸外国からの評価は一様に高いわけではないと思います。そして、最大の理由は、旧統一教会との関係などをめぐり、国葬に反対する声が強く、国論が二分される状況であるからではないでしょうか。
諸外国の元首ら要人は、対象国の国内事情をつぶさに分析しています。なぜなら、自国の内政よりも優先する意義があるのかどうかが国内で問われるからです。
たとえば、国連総会での演説時期に近接する日程ですし、米国は重要な中間選挙を控えています。参列することで費やす1~2日の時間的な問題に加え、対象国内で反発が強い国葬に参列することの大義を、説得力を持って説明することが求められるわけです。そうした状況を踏まえて、元首ではなく、別の要人を参列させるという判断が各国でなされている可能性があります。
米国はバイデン大統領ではなく、ハリス副大統領が参列する予定で、フランスのマクロン大統領は一度示した参列予定を変更しました。エリザベス女王の国葬に、バイデン大統領らがすぐさま参列の意向を表明したのとは対照的です。
<以下略>
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