昨日衆院の補選の投開票がありまして、東京・島根・長崎の三選挙区、いずれも前は自民党の議席でしたが、結果は三議席とも立憲民主党の候補が当選しました。自民党は、東京と長崎では候補を立てていません。裏金問題への批判が強く、逆風の最中だったとはいえ、候補者を立てないということは、選挙区の自民党支持者にとっては投票する先がないわけで、党中央や県組織に不満はあるでしょう。地元の支持者にとって何とも失礼な話です。それでも(東京や長崎は捨てても)島根の一議席だけは落としたくなかったらしく、ここに精力を注ぎ込んで選挙に臨みましたが、結果はやっぱりダメでした。
今朝新聞で投票前日に島根の選挙区入りした岸田首相が演説で放った言葉というのを知って、全敗も無下なるかなと思いました。そのセリフというのが「自民党改革ののろしを島根から上げていただきたい」です――党の1・2年生議員が言うんならいざ知らず、こんなことを党のトップである総裁が言うんだと知って驚きました。党の改革ののろしを島根の有権者に託す? しかも、自民党議員が当選したら党改革が進む? 有権者も聞いてて呆れたんではないかと思います。まず、おめぇがやれよ、です。岸田さんの語法やしゃべり方には前から違和感がありましたが、ここに至って理屈も何もなく、自党の問題にも「他人事」感がまる見えになった気がします。
衆院補選:衆院補選 立憲、「裏金」受け皿に | 毎日新聞
驚いたのは東京15区です。立憲候補の酒井さんがリードというのは下馬評どおりでしたが、テレビを見ていた限りでは「対抗馬」は乙武さんのような印象でした。ところが、フタをあけたら、2番手は須藤・前参院議員で、乙武さんは何と5番手まで沈みました。千葉の田舎にいると、東京の選挙区内の空気はまったくわかりませんでしたが、これは、メディアも完全に情勢を読み違えていたということなのでしょうか。競馬やスポーツ競技の順位予想など以上に、選挙結果を読み切るのは困難な面があるとは思いますが、それにしても、落差が大きすぎます。ひょっとしたら、読み間違えとは別に、乙武候補を「対抗」と見たり、あるいは、見たくなるような “力” が作用していたのではないかと疑念をもってしまいます。
マス・メディアの中でもテレビのアナウンス効果はなお絶大で、その影響力は大きいと思います。今朝のテレビ・ニュースもそうでした。空港や景勝地など、人の集まるところで取材をすれば、多くの旅行者の声が拾えます。それをテレビで放映すれば、見ている方は、ゴールデンウィークに入ったことだし、旅行する人が多いんだろうなと思います。しかし、国民全般の実際の姿はどうなのでしょう。
昨日、小生は自治会の仕事で地元の家々を何軒か訪問して回りました。年寄り世帯が多かったとはいっても、中には若夫婦の世帯もありました。旅行等々で外出して不在だったら、また後日出直さなければならないと覚悟はしていましたが、意外にみなさんどこも在宅で、一度で用件が済んで助かりました。人気ブロガーのきっこさんも、自身のX(twitter)で4月25日に浜松町駅前で、ラジオの文化放送の番組が行った街頭調査の結果をとりあげていますが、それによれば、ゴールデンウィークにどこに行きますか、との質問に対して、50人のうち、どこへも行かないと答えた人が37人だったということです。この限りでは、7割超の人は出かける予定はないということになります。確かに周囲を見回しても(みんなけっこう働いてるし)、実感としてこれに近い感じを受けます。テレビで見ていると、出かける人の方が多数派のような印象をもってしまいますが、これは実態から乖離しているかも知れません。
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1784520500519276758
さすがに今朝のテレビ・ニュースのトップは、補選の結果でしたが、補選を3つもやって、自民党がそれまでもっていた3議席を全て失うなどという事態はかつてないことで、これは衝撃をもって伝えられるべき「おおごと」です。ところが、予想されたことだったからでしょうか、冒頭で一瞬ザワついたくらいで、報道の「空気感」はけっこう冷静というか、政局につながるような内容には抑制的で、他の事件事故と大差ない情報量を伝えて以後は、いつもの「通常運転」に戻りました。テレビに対する人々の需要というのは、報道と娯楽が相半ばしているとは思いますが、今日もまた、政治よりもエンタメ、岸田政権よりも大谷選手の活躍といったところでしょうか。確かに、三補選とも投票率が過去最低ということですから、世間的な関心はこの程度なのかも知れません。しかし、卵が先か、鶏(親鳥)が先かではありませんが、互いの「共犯関係」「共棲関係」なしに、こうした「無関心」「無行動」は生まれ得ないでしょう。これでいいのか、これで大丈夫かという思いは残ります。
「パンとサーカス」とはよく言ったものですが、テレビのニュース番組を見ていると、このローマ時代の詩人の警句を痛感させられます。ガザやウクライナの戦闘で多くの人が亡くなったとか、自民党の裏金議員たちの多くが罰せられず、税金も払わないで済んでるとか、報道されれば、多くの人が情感的に反応します。しかし、キャスターが別のニュースを読み始めると、その余韻もだんだんと薄れていきます。我々は日々身に余る量の、洪水のような情報に晒されながら、キャスターの「次のニュースです」の一言で、情感を切り替えるように仕向けられ、また、その術を身につけています。そのうちに、うまい店や犬や猫の愛らしい様子を紹介するコーナーでも始まれば、さっきの悲しみや怒りはどこへ行ったやら、というほど感情は和らぎ、大谷選手がホームランを打った映像を見せられれば、「日本人として誇らしい」などと思うわけです。個別の番組名を挙げて何ですが、テレビ朝日の朝のニュース番組「グッド!モーニング」に「エンタメワイド」なるコーナーが新設され、芸能人の情報を他のニュースなどと同列で「報道」するようになったとき、歯車がまたひとつ回ったと思いました。いや、それは、たまたまテレ朝だったという話で、他のテレビ局も内容的に大差ないでしょう。
多岐にわたる個別専門チャンネルが放送されるようになって(もちろん有料ですが)、地上波テレビのニュース番組はますます「総合的」というか「寄せ集め」の風情が増していますが、見ていると、もうそろそろ「限界」というか、飽きられてきた感じもします。新しい「感覚」によって、新しいニュースの「風情」を生み出せないものかと、年寄りなりに考えているところです。