ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

立憲代表選と『文読む月日』4

 昨日、日本記者クラブ立憲民主党代表選の立候補者討論会が行われた。衆院選の総括、特に比例区立憲民主党が得票を減らした一番の原因について尋ねられた候補者4人(逢坂氏は別の質問の回答ですでに「日常活動が足らなかった」と述べている)は以下のように答えた。

【ノーカット】立憲民主党代表選 日本記者クラブによる立候補者討論会 - YouTube

 小川4年前、旧立憲で約1,000万票、旧国民民主で約1,000万票、合わせて2,000万票近い得票が「発射台」になっていました。それからすると、今回の1,200万弱というのは、かなり取りこぼし、取り逃がしたものが大きい。それは、例えば穏健保守層、自民党に入れようかどうしようか、迷っているような人たちを、吸引力というんですかね、引きつける力が弱かった。結果としてウィングが狭まってしまった。それ自体が、党の現状での魅力であり、地力の弱さが出たんじゃないか。ですから、政権の受け皿として認知されていれば、そのあたりを全部取りこぼさなくて済んだと思いますが、結果として…一定のウィングの方々から支持、得票を得られなかった、…と受け止めております。

 小選挙区では議席を伸ばしたので、選挙の結果というのは紙一重だなと思いますけど、…比例区では立憲民主党という訴えがやはり弱かった、できなかったんだと思っています。これは、たとえば、比例選挙区で国民民主党と一緒に選挙区で協力し合いながら戦っていくときに、比例区での訴えというのはしにくくなるというのは当然でてきますし、共産党さんやれいわさん、社民党さんと一緒に街頭演説をするときには、候補者としては比例区は〇〇と、特定の名前を言いにくい環境というのがあったと思います。そういう中で、選挙区での活動は活発に行われたんですが、比例区については我々の活動は十分ではなかったという点があったのではないかと。このあたりは今後よく検証をした上で見直しをしていく必要があろうかと思います。

 西村今回の総選挙で立憲民主党は確かに議席を減らしました。しかし、立憲民主党としての訴え、あるいは目指している社会像が否定されたのではないと考えています。ただ、議席を減らしたというのは厳然たる事実ですので、重く受け止め、そして、この選挙を通して、私たちの考え方を本当にクリアに有権者の皆さんに届けきることができたのかどうか、そこはよく反省をしてみる必要があると考えています。それぞれの選挙区で全国の仲間たち、候補者、本当にいい戦いをされました。しかし、党として見直していくべきところは、たとえば、戦略、戦術、訴え方、スケジュールの見通しの立て方、こういったことがあると思っています。

 逢坂(日常の活動を基盤としていくという考えについて)我々は様々な方々に支援をいただいているんですが、支援をいただいている人のところだけを回るというのでは、日常活動が強化されないんですね。だから、支援をいただいていない人のところにもどんどん日常からアプローチをしていくことが大事だと思っています。それに加えて、我々に親和性をもってくれる地方議員や地方の首長さんを少しでも増やしていくことが非常に大事なことだと思っています。ただ、その活動が、わが党は少し弱いと思っていますので。この二つですね。支援をいただいていない人のところにもどんどん行って課題を発掘し、それに対する具体的な解決をしていくということ。それから首長や議員を増やすという努力を今まで以上に重ねるということが大事なことだと思っております。

 政権の受け皿や党勢拡大、自党への得票はもちろん大事だろうが、それよりも投票率約55%を前提とした総投票数5,500万票争奪戦の構図を変えるいい知恵がないかなあとも思う。投票率が上がったからといって、みんなが立憲民主党に投票するわけではないが、政治不信だけでこうした低投票率になっているわけでもないと思う。東京8区(杉並)にならって61%、さらに65%と、まずは全体として10%増、1,000万人を投票所に向かわせる方法を考えられないか。結果として、それが得票にも結びつくのでは…。

 昨日、トルストイ『文読む月日』ちくま文庫)の11月22日の記述を読んでいたら、こうあった。

 (二) われわれは、特定の人々が他の人々――一般の人々――の生活を勝手に支配するのは当然という考え方にすっかり慣れてしまって、ちっとも怪しもうとしない。……そのような迷妄は、もともとある人々――それも大多数の人々――が、ある人々――それも少数の、最も道徳的に低劣な人々――に服従しなければならないという根拠は全然ないのだから、完全にナンセンスであるばかりでなく、他人に善き影響を与える唯一の実効を伴う方法は、自分自身を正すことであるのに、その迷妄は人々の、自分自身の姿勢を正すことが必要だという意識を弱める点においても、ことのほか有害である。

 (三) 代議制による支配の目的は、大きな社会正義を実現することではなくて、人々が悪しき支配に服従しながら、それに不平を唱える権利がないようにすることである。

 (六) 一人の人間が大勢の人々を支配する権利がないばかりでなく、大勢の人々が一人の人間を支配する権利もない。      (ウラジーミル・チュルトコフ)

 (七) 真理とは何か?――真理とは大多数の人々にとって本当らしきもの、賛成反対の票数で計られるようなものにすぎない。          (カーライル)

 (八) 投票数の多いことは、正義の尺度にはならない。      (シラー)

                  (北御門二郎訳、同・下巻、291-292頁)


 真理には「 」を付けて欲しいところだが、トルストイアナーキーな部分が垣間見える。
 しかし、これは1億人と言われる日本の有権者の半数近くが選挙に向ける眼差し、不信感にも通じるところがあるように思える。それでいいと言っているのではないだろう。むしろ反語的である。代議制は社会正義を実現するものであってほしいし、真理は大多数の人々にとっての本当であるべきだし、投票数の多いことが正義の尺度であってほしい。悪徳や不正にまみれる一部を除けば、国民の多くは、不正義よりは正義を望む。
 4,500万人もの有権者の中にも「我関せず」でない人はたくさん含まれていると思うし、そう思いたいのだが…。



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