ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

金平さん「筑紫哲也NEWS23」の時代を語る

 TBSの「報道特集」でおなじみの金平茂紀(かねひら しげのり)さんは、かつての報道番組「筑紫哲也NEWS23」の編集長だった。「NEWS23」は今も続いているが、初代キャスターだった筑紫さんは2003年3月の「多事争論」の出演を最後に、同年11月に亡くなった。1990年代の世論を引っ張るニュース番組として「NEWS23」は、久米宏さんをメインキャスターに据え、先行していたテレ朝の「ニュース・ステーション」と双璧をなしていたと言ってよい。
 今月、『筑紫哲也NEWS23』とその時代』(講談社)が発刊され、ジャーナリストの鈴木耕さんが著者の金平さんに話を聞いている。キータームは「品性」「品格」だと思う。実におもしろかった。11月20日付の「デモクラシータイムス 著者に訊く! 第10回」より。

金平茂紀 筑紫哲也『NEWS23』とその時代【著者に訊く!】 20211117 - YouTube

……(番組は)夜11時から始まるじゃないですか。終わって反省会とかやると1時くらいなんですよ。で、まだ反省が足りないときとかあるじゃないですか(笑)。それで外に繰り出したりしてね。帰ってくると、もう夜中の3時とかね。ひどいときになると、夜が白々と、どころじゃないですよ、世の中の人が出勤しているときに一人だけ逆方向に歩いているわけですよ(笑)。出勤時に帰宅するみたいなね。めちゃくちゃな生活だったですけど、今から考えると、何と恵まれた幸せな日々だったか、やりがいのある日々だったかと思うんですが、いい時代だったとか、よき日々だったみたいなパッケージにして封じ込めるというのは、僕らの仕事柄よくないことだと思ってるんですよ。せっかくあのときにみんなが経験した、いい体験とか、いい思い出、実践みたいなものがちゃんと生かされているだろうか、引き継がれているだろうか、ちゃんと引き継いだだろうか、伝承されただろうか、というのがこの本を出そうと思った一番の理由ですね。

 筑紫さんはもともと新聞記者で(テレビに)越境してきたわけです。新聞記者にとどまらないで積極的にテレビ出ていった、当時メディアの状況で言うと、圧倒的に新聞が飛び抜けていて、新聞があって、テレビがあって、…という具合。当時、筑紫さんが言っていましたが、「はっきり言って、当時、テレビを馬鹿にしてたよ」と。テレビなんかに行く新聞記者なんていうのは、掟破りというか、「手が腐る」とか、ひどいこと言われてたんですから。そういう時代があったと言ってましたね。「おまえ、そこまでやるのか?」「身を汚すなよ」とまで言われたとはっきり言ってるんですね。ただ、そこで(筑紫さんがキャスターを)やってみたら、メディア状況も変わったし、それは大きな意味で時代の変化を体現したと、そういう方だったと思いますね。

 久米さんのニュースステーションと筑紫さんのNEWS23が同時並行で共存してて、張り合って、切磋琢磨していて、これは視聴者にとってはとてもいい時代だったと思いますね。…ニュースの中身とか、内容とか、特集の切り口とかで、お互いに高め合って、それに視聴者がついていって、やっぱりおもしろがってましたよね。まず、やってる人たちがやっぱりおもしろがってました。そうでないと、見ている人たちはおもしろがらないですよね。それは今から考えるといい時代だったなと。

 NEWS23の番組ゲストでもあった)立花隆さんが今年の6月23日に死亡という報道があったんですけど、実際亡くなっていたのはそれより前の4月30日で、ずっとその間、信頼関係のあったジャーナリストもたくさんいるんですけど、密葬が済むまで、立花さん本人の遺志で、家族葬と、それから自分は墓に入りたくないから樹木葬だと、孫世代までの5人の立会いで樹木葬をやったんですよ、7月の半ばに。それが終わるまでは伏せといてくれと言われていて、そうしようとしてたら感づかれて(笑)。で、6月23日に毎日新聞が第一報を書いたんですけど、その日が筑紫さんの誕生日だったんですよ。…何という縁なんだろうなと思ったりして。
 それから、つい最近、瀬戸内寂聴さんが亡くなりましたよね。寂聴さんも、筑紫さんはものすごく親しくしていて、…ニュースキャスター時代に東京都知事選挙に出ないかと口説かれたことがあって、石原慎太郎の三選を阻みたいという人たちがたくさんいて、出馬要請を受けたわけですよ、密かに。本人は、自分は政治家なんか向かないと思ってたんですけど、あまりに熱心に口説かれたんで、心が動いたんですね。それを相談しに行った相手が瀬戸内寂聴さんで、京都まで行って。これは後から聞いたんですけど、そのときに、自分は政治家には向いてないから、知事にはなったとしても、副知事さんに優秀な人を据えて、その人にやってもらおうということで、…それを寂聴さんと二人で決めちゃったっていうめちゃくちゃな話があって(笑)。でも、戻ってきて家族会議をやったときに、奥様がね、「あなた、自分の性格を考えてみなさいよ」「ボロボロになるわよ」と言われて、それで思いとどまって、都知事選に出るのはやめたんですね。
 歴史に if はないけど、もし出てたら僕は勝ってたと思いますよ。それで石原三選がなかったら、尖閣列島だってどうなってたか。それから、今のような小池都政だってなかったし、その前の猪瀬都政もなかったし、全部なかった話で(たぶんオリンピックもなかった)。そういうことを考えるときに、やっぱりいろいろな人との出会いというのがあるんですけど、僕、個人的には、筑紫さんは知事にならなくてよかったなあと、最後までジャーナリストだったのはよかったと思ってるんで…。

 (基本的に筑紫さんは下品な人が嫌いでしたよね)嫌いでした。…品格っていうのかな。人前に出て、毎日知ったかぶりして何かを言うってことは、本来的に言うと恥ずかしいことですよね。そこについての含羞っていうのかな、恥じらいとか。大声で相手を圧倒すればいいんだという考え方とは違うんですね。そういう人たちとは明らかに一線を画すという。振り返ってみると、今のテレビには一番失われているものなんじゃないかと思うんですよ。声を出して、目立って、相手を圧倒して、それが何かテレビ的なんだと。露出することによって何か目先の利益を得たりとか、そういうものとしてテレビをつかうことに対しての恥ずかしさとか恥じらいがあって、それは全然違いますね。

 (筑紫さんは怒ったりとか、大声を出したりしない人でしたよね)怒らないというか、何でもありというか…。これはいろいろな言い方をしていましたけど、「君臨すれども統治せず」だとか、何でもありとか、拒否権なしとか、まあめったに怒らなかったですけど、ただ感情が露わになった瞬間というのも何度かあって、僕はたまたまそういうときにご一緒することがあって、この本にも書いてあるんですけど、二つだけ紹介しておくと、ひとつは、沖縄で1995年にいわゆる少女暴行事件というのがありまして、…9月にあったんですけど、ずいぶんたってから競争相手であるニュース・ステーションがトップニュースで延々とやってたんですよ。その年は確かテレビ朝日琉球朝日放送を開局するときだったんです。その準備のために東京から(沖縄に)たくさん人が入っていて、そのさなかに、何かこういう話があるらしいということをキャッチしたらしいんですけど、当時の沖縄の状況は、このニュースをあまり派手に大っぴらにやってはいけないという暗黙の合意があったんです。それはその少女を守ってあげたいというね。…その話を、当時のテレビ朝日のディレクターが、これは大ニュースだということで、(ニュース・ステーションで)夜10:00からやって、筑紫さん見てたんですよ。それで「君ら、これ、うちでやってんのか?」って。全くやってなかったんですね。当時うちらの琉球放送は短くニュースにはしてたけど、上にも上げてないし、いろいろな事情、判断もあったんでしょう。そしたら、怒ったっていう話を聞いて。僕はそのとき(持ち回りの)デスクじゃなかったんだけど、相方のデスクが言うには、ものすごく怒ったんだと。「君ら、何取材してんだ!」ってものすごい怒り方をして。悔しかったんでしょう。だって、沖縄への思いは格別だから。返還前の沖縄特派員をしてたから。
 もうひとつは、僕もご一緒してたんだけど、阪神淡路大震災のときですね。…現場をとにかく歩き回って取材して、ボロボロになったんですね。いろんなことがあったんですけど、1回目の取材が終わって帰ってくるときに、何ていうのか、無力感というのか、自分の取材が、この起きたことに追いついていかないことに直面して、嫌なこともいっぱいありましたけど、そのときにね、「辞める」って言ってね。これは奥さんもたまたま一緒にいらしたんだけど、「辞めたい」って、すごく怒ってましたね。それはテレビの表現の仕方とか、そこで起きたこととか、いろいろなことで、おそらく疲れ切っちゃったんでしょうね。それと、テレビ・メディアの限界みたいなものを、もしかしたら見たのかも知れないですけど。大阪のMBSの人たちだったか、「君たちはわかってない」っていうふうに怒ったですね。

…放送を行うこと自体が事件(になる)みたいなことがたくさんあったんです。(討論などで筑紫さんは)一緒になって考えるとかね、自分が諭すとかいう立場じゃない。そこにいて、どういうことなんだって悩むんですよね。…キャスターなんかになると、勘違いしちゃう人がいっぱいいて、俺は偉いんだみたいな。「諭す」とか「啓蒙する」とか、何を言ってるんだと思いますね。キャスターとかテレビに出る記者たちというのは、我々のうちの一人なんであって、それが高見に立って「啓蒙する」とかいう役割じゃないんだ、本当はね。それが、テレビの世界がここまで来ちゃうと、勘違いしちゃう構造が出来上がって、これは社会の中のいろいろなしくみもそうなんだけど、役割って偶然みたいなもんですから。その役割で行われている仕事は誰のためのものなのか。テレビだけじゃないけど、報道とかジャーナリズムって、結局自分のためじゃないんですよね。利己と利他でいうと、利他なんですよね。自分が有名になりたいからとか、自分が権力をもちたいからとか、富を稼ぎたいからとか、そうじゃなくて人のためなんですよ、残るのは。それだけ。そこがいつのまにか忘れられちゃったときにメディアに対する不信感、たとえば、「マスゴミ」とか、既成メディアに対するいわれのない敵意みたいなものが出来上がって、メディアとその受け手である国民、市民の関係というのが、どんどんどんどん相乗的に劣化していくような、お互いがお互いを低く見積もるような。本当はそうじゃない。そのために僕らマスメディアやジャーナリズム、文化産業全般、文化全体というのは、そういうためにあるんで、まさに「利他」ですよ。今みたいに売り上げとか、部数とか、視聴率とか、そんなものだけを目当てにしてやっている人たちが最初に忘れちゃうことですね。

 まだまだあるが、書き切れない。
 新刊本は極力買わないように心がけているが、この本は買うことにした。




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