20年前のNHKラジオのロシア語講座のテキストを見ながらロシア語の勉強をしていておもしろい記事に出会いました。テキストの中に、NHKの特派員として、むかしテレビにもたびたび出ていた小林和男さんの連載エッセイがあり、2005年1月号の記事にはこう書かれています。
(2004年)11月マリインスキー劇場の指揮者ゲルギエフがウィーンフィルと日本にやってきて、各地で公演した。……
日本公演を前にしてゲルギエフの故郷北オセチアで不幸な事件が起った。学童を、しかも入学式の当日に狙った非道なテロ事件だ。ゲルギエフは故郷をこよなく愛している。オセチア人である誇りを持っている。彼の強靱な神経を養ってくれたのは故郷の自然と人だと言っている。5年前に結婚した奥さんもオセチアで生まれ育った人だ。3人の子供にもオセチアの伝統に則った名前を付けている。郷土と民族に彼ほど強い愛着を示す人には余りお目にかからない。
その故郷で悲劇が起こってしまった。世界の中でほとんど知られていなかったオセチアが悲劇の舞台として世界中に知れ渡ってしまった。今回の日本公演の主催者であるサントリーホールはただちに何かをしなければならないと考えた。チャリティーコンサートができないかと考えた。しかし、公演スケジュールはびっしり組まれていて、新しい公演を入れる余裕はない。ゲルギエフに連絡を取ると、ロンドンでもニューヨークでもパリでもチャリティーをやる、東京でも小さなものでも良いからやりたいと言う。……<そこでリハーサル時間を短縮してできた隙間にコンサートを入れてはどうかという提案を、ゲルギエフ本人もウイーンフィルもただちに了承した>
収益金は最大限チャリティーのために活用したいとサントリーホールは考えたのだが日本の税制ではチャリティーを銘打っても収益金の40パーセントくらいは税金になるのだという。そこで考え出されたのが主催者をロシア大使館にする方法だ。これだと収益金をすべて使える。ロシュコフ大使は、「素晴らしいアイデアだ」と主催者になることを電話一本で引き受けてくれた。
関係する人たちの気持ちが一つになってチャリティーコンサートは短期間に準備が整った。チケット発売の前日になって新潟中越地震が起こった。こんな時にオセチアの子供達のためだけの催しで良いのだろうかと心配している時にゲルギエフから連絡が入った。チャリティーを地震の被災者のためにも使いたい、というのだ。チラシはオセチアのチャリティーとなっている。結局公演の冒頭で説明し、収益金をオセチアと地震の被災者のために半分ずつにする了解を求めることになった。ことのいきさつから私がその役割を引き受けることになったが、会場の人々は大きな暖かい拍手で賛成してくれた。
チャリティーコンサートは感動的だった。チャイコフスキーの「悲愴」は子供達や被災者への思いがこもって響き、終わりは祈りの中で拍手はなく会場はシンと静けさが続いた。一時間の公演で2200万円近い収益金が集まった。
サントリーホールはロシア大使館のために50枚の招待券を渡した。大使館は一旦受け取ったが、30枚を返してきた。「目一杯チャリティーのために使って欲しい」というメッセージがついていた。ロシュコフ大使夫妻も会場に姿を見せていた。二人の席は普通招待者が座るところではなかった。後で聞くと大使は自分でチケットを買っていたのだ。仮にも主催者自身がである。
ロシアの人たちの言動については日本のメディアは悪く伝えることが多い。そのために一般の日本人のロシア嫌いは、残念だが定着している。ロシアの嫌な側面を伝えるメディアには、ロシア人と心を割った付き合いもせず、表面的な観察でものごとを伝えている者が多いのは、これまた残念だが事実である。しかしこのコンサートは何よりも私を含め、この企画に関わった者の心に、温かいものをともしてくれた。……
(『NHKラジオ ロシア語講座(2005年1月号)』、76-77頁)
人がそれぞれの持ち場で良心にしたがって最善を尽くせばこういうこともできるという「お手本」のような出来事に思えます。それから約20年後の今、ロシアに対する見方は、国も人も文化も(ロシア語も)ますます厳しくなっています。総体として日本の人々の社会的な関心のありかたも内向きになりがちな中、同じケースで同じことができるかどうか、少し懐疑的になってしまいます。<追記>現在のゲルギエフのプーチン寄りの立場はさておき……。
話はちがいますが、衆議院が解散され、今朝の新聞に千葉県選挙区の候補者の「横顔」を紹介する記事があります。千葉県小選挙区の第2区は千葉市の花見川区や八千代市が該当し、小生のような千葉県内の田舎とはまた雰囲気がちがうと思いますが、ここには先の自民党の総裁選に名乗りを上げたコバホークこと小林鷹之氏が立候補していて、曰く、「総理・総裁になって、『世界をリードする日本を』とのビジョンを実現したいとの思いは強くなった」と再挑戦に意欲を燃やすと紹介されています(毎日新聞 2024年10月17日付・16面)。
この今の日本、千葉県の状況で、何で、そんなに世界をリードしたい(しないといけない)と思うのか。それより能登の被災者を「安心」させてほしいし、一日三食食べていない子どもたちに手を差し伸べてほしいし……。足もとで実際に困っている人を通り越して世界をリードなんかしなくていいよと素朴に思うのですが、こういうスローガンの方が千葉の花見川や八千代の人にはウケる(と思ってる)んでしょうかね。ゲルギエフのチャリティーコンサートのことが頭に浮かんでしまい、この国はこの20年間でやはり「退歩」「退化」している面がある(ある意味強い)のでは、と思ってしまいます。