ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「そんたく」とは「共謀・共犯」のことか?

 連日の暑さと連日明らかにされる統一教会報道にはゲンナリします(「真相」が報道されること自体はよいのですが、その内容には唖然、慄然とさせられることが多いです)。“統一教会汚染” とも呼ぶべき、特に自民党の、とりわけ清和会(安倍派)の国会議員たちの関わり方は尋常ではありません。カルトだから問題というより、彼らは「信者」から多額の金を巻き上げてきた反社会的集団です。個々の議員が、私は関わりました、私は関わってません、というのは特定個人への攻撃を避ける=人身御供にされるのを防ぐための、あるいは、自民党自体の関わりから世間の目をそらすための「人海戦術」になっていないかと思ってしまいます。こんなところにも「数は力」を見るのは実に不快です。
 岸田首相はコロナ対策と同様(史上最多の感染者が出ているのに)、この件についても、ほぼ何もしないで様子見するつもりのようですが、これでは支持率は下がるわけです。7月末の共同通信世論調査によれば内閣支持率は12.2ポイント減の51%。このまま静観していれば、「事実」の重みに耐えきれなくなる気がします。勢いだけで安倍国葬を決めたことも、国民のあいだにじわじわと不信感を広げている印象です。
安倍晋三元首相の国葬反対53% 岸田内閣支持率が発足以来最低51%に急落 共同通信社が電話調査 - 社会 : 日刊スポーツ

 昨日毎日新聞の「みんなの広場」(読者からの投書コーナー)を見ていて二つの記事に目が留まりました。
一つは、新聞社に寄せられた一週間の投書内容についての編集部のコメントです。それによれば、投書の7割以上が国葬に反対しているというのです(先の共同通信の調査では反対は53%になっていました)。続けて、統一教会関係に関する読者の意見をこう紹介しています。

読者の声:国葬に「違和感」も | 毎日新聞

政治家と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係に対する読者の関心も高く、さまざまな意見が届いています。
 「日本の政治は大きくひずんでいる。徹底的に調べてほしい」「国葬までに自民党との癒着を追及して」などと本紙の奮起を促す声は少なくありません。一方、「ようやく社説(7月22日朝刊)で取り上げた。与党へのそんたくがひどい」「実態解明はマスコミの役目だ」などと本紙報道への不満の声も頂きました。……

「そんたく(忖度)」という言い回しは、第二次安倍内閣のモリトモ問題以降、国民のあいだでもすっかりなじみとなりましたが、上にあるような「与党へのそんたく」という表現には違和感もあります。たとえば、この編集部の記事のすぐ上にある、中学生の投書と比べてみるとどうでしょうか。

 学校からの帰り、バスに乗っていると、「ヘルプマーク」をつけた人が隣の座席に座ってきて、窓側に座っていたこの中学生に「どこで降りますか?」と尋ねたそうです。彼女は停留所の名前を答えながら、どうしてそんなことを聞くのかといぶかしく思った、と。その続きは、こうです。

みんなの広場:相手を気遣える人になりたい=中学生・佐藤桃音・12 | 毎日新聞

……やがて私の降りるバス停に着いた。その時だ。隣に座っていた男性は、早めに席から立ち上がって体をよけてくれた。そしてお辞儀までしてくれた。
 やっとわかった。男性は体が不自由なため、私が降りることがわかってから自分が立ったのでは時間がかかってしまう。だからあらかじめ私が降りるバス停を聞いたのだ。私がスムーズに降りられるように。
 私は男性の心遣いに気付き、とてもありがたく思った。そして私も男性にお辞儀をしてバスから降りた。……

 この男性の中学生への配慮が「そんたく」だとすれば、「与党へのそんたく」など、「そんたく」に値しないと思います。むしろ、自己利益や保身目当ての共謀、共犯(グル)という方が適当です。モリトモの佐川氏は「それ」で国税庁の長官になり、亡くなった赤木さんの近畿財務局の上司たちもまた次々と「栄転」しました。ご褒美と無縁の人たちも(あとで何かされるのを怖れて)黙っていたわけですから、自己保身が無気力や無関心を呼び、こうした構造が出来上がっていった。まさにイジメと同じだと思います。

 毎日新聞には、「実態解明はマスコミの役目だ」などと本紙報道への不満の声も頂きました、とあります。報道機関は「与党と共謀、共犯(グル)」でないことを示す最後のチャンスととらえて、真相を明らかにしてほしいと切に願います。

 昨日もまたひとつ、統一教会が名称変更の申請時に提出した書類に「間違い」があることが明らかになりました。行政がまともなチェックもせずに、短期間に、政治の力で強引に名称変更をしたことがうかがわれます。
https://twitter.com/miyamototooru/status/1553946074158489600

【速報】赤旗一面で報じられた統一教会の名称変更におけるあり得ない承認プロセスについて - YouTube




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「犬の連鎖」 トルストイ『文読む月日』8

 土曜にTBSの番組「報道特集」を見ました。1960年代から70年代にかけて、アメリカで統一教会・政治部門の幹部をしていたというアレン・ウッド氏のインタビューの中に唖然とする話が出てきました。7月30日付紹介記事から引用します。

「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った"選挙協力"と"高額報酬"の実態【報道特集】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

■『私は文(鮮明)氏の犬だ』
日本での献金アメリカでの信者獲得にも使われたという。
1960年代から70年代にかけてアメリ統一教会の政治部門の幹部だったアレン・ウッド氏。報道特集の取材に応じ、教団の実態を証言した。

アメリ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
文鮮明氏らは権力者たちを支配しようとしていました。信者に“組織が世界を牛耳っている”と信じ込ませるためです。そのために権力者たちのビデオを作成し、若者に見せるのです」
ウッド氏自身、脱会するまではこうした講演を通して洗脳されていったという。

1970年に日本武道館でおこなわれた統一教会と関連する政治団体国際勝共連合」のイベント。ここでウッド氏は司会を務めた。日本からは右翼の大物・笹川良一氏も出席。ウッド氏は笹川氏の発言が忘れられないと話す。

アメリ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「彼(笹川)は胸をたたきながら『私は文(鮮明)氏の犬だ』と言いました。驚くべき発言でした。日本で最強の人物が自分を文氏の下に位置づけたのです。あの時、『我々は世界を支配できる』と思いました」

 教団による「世界支配」など “犬の連鎖” です。「末端」に母親が繋がれ、喘いできたのが、安倍氏を銃撃した山上容疑者です。教団によって「奴隷」のように繋がれた人が、この国にどれだけいることでしょう。

 トルストイ『文読む月日』8月1日の記述。

 (二) どんなにして自由を手に入れたらよいかと尋ねるのだね。そのためには世間の人に教えられてではなくて、自分で善と悪を区別することを学ばねばならないのだよ。                             (セネカ

 (五) ある特定の思想に固執することは、地に立てられた柱に自分を紐で繋ぐようなものである。人間が自由を享受する度合いはその繋がれた紐の長さに完全に比例する。それゆえ万人の幸福という理念に自分を繋ぐ者こそ、最大の自由を享受するであろう。                      (リュシー・マローリ)

 (七) 自分の欲するとおりに生きてゆく人間だけが、自由な人間だと言うことができる。賢者はいつも自分の欲するとおりに生きる。なぜなら彼は自分の手に入れることができるものだけを欲するからである。だからして、ただ賢者のみが自由である。
 誰も罪人になろうとは思わない。誰しも迷妄と不正のうちに生きようとは思わない。誰しも、ことさら悲しみや苦しみを招くような生活に入ろうとは思わない。誰しも自分を汚らわしい堕落した生活をしたいなどとは言わない。
 それゆえ、現に不正な生活を送っている者もみな、自分の希望でそうしているのではなく、自分の意思に反してそうしているのである。彼らとしても、悲哀や恐怖は望まないのに、やっぱり絶えず苦しんだり、恐れたりしているのだ。彼らは自分の望まないことをしている。つまり彼らは自由ではないのである。
 賢者ディオゲネスは言った。「常に死を覚悟している者のみが自由である」と。彼はまたペルシャ王に次のような書面を送った。
 「あなたは魚を奴隷にすることができないように、真に自由な人々を奴隷にすることはできない。たとえあなたが彼らを捕虜にしても、彼らはあなたの奴隷にはならないだろう。もし彼らが捕虜になってそのまま死んでゆくとしたら、せっかくあなたが彼らを捕虜にしても、何の得にもならないではないか」
 これこそ、自由な人間の言葉である。こんな人間こそ、真の自由が奈辺にあるかを知っているのである。                   (エピクテトス

 (八) われわれは、精神的にも肉体的にも本性に反した生活をでっち上げ、その生活のなかに浸りながら自由になりたがっているのだ。

 (九) 従順も、それが善と真への従順であれば大いに結構だし、必要なことである。しかしそれが悪しきもの、偽りのものへの従順であれば、反対にそれは、人間的に極めて下劣な恥ずかしい行為である。            (カーライル)

 (十) 煩悩の焰に身を焼く者、快楽を渇望する者は、絶えず自分の肉欲を募らせ、われとわが身を鉄鎖に繋ぐ。
 ただ心の平安のみに思いを潜め、わが心を深く省み、人々が幸福とせぬところに幸福を見出す人――そのような人はその死の鉄鎖を断ち切り、永遠にそれを棄て去るであろう。                    (仏陀の金言)

 (十一) 自由は自由を探すことによってではなく、真理を探すことによって得られる。自由は目的ではなくて、単に結果であるにすぎない。

 (十二) 自由は、人間が人間に与えるものではない。誰しも自分で自分を自由にするほかはない。

(『文読む月日(中)』 330-333頁)

 ……でも、「彼ら」は「自分で自分を自由にするほかない」人たちとは言えないと思います。社会が、政治が、救わないでどうするのか、ということです。




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竹中平蔵退任とロスジェネ世代

 パソナ会長の竹中平蔵氏の不可解な退任発表がネットをザワつかせているという記事があります。
竹中平蔵氏パソナ会長退任にネットがザワつく…安倍氏死去直後だけに"非常に不可解"の声も(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

 時系列で言うと、安倍氏が亡くなった7月8日の10日後なので、その関連を疑う声もありますが、他方で、竹中氏がオリックス社外取締役を6月24日付で退任(5月11日発表)しているところから、安倍氏の死とは関係なく、「身ぎれい」にしなければならない理由が何かあるのではないかという憶測もあります。現在、東京オリンピックにかかわる贈収賄容疑で捜査を進める東京地検の捜査情報を早い段階でつかんでいた可能性もあります(ちなみに、AOKIの前会長・青木拡憲氏が退任したのは6月29日付でした)。

 竹中氏退任の真意はわかりませんが、7月27日付「一月万冊」を眺めていて、少々戦慄を覚えた部分があります。
 聞き手の清水有高さんは、自身が「ロスジェネ世代」(生年が1970年頃から1982年頃)に当たり、バブル崩壊後の超就職難のエピソードをよくお話されていますが、安倍氏を殺害した山上容疑者は1981年生まれで、同世代だと述べています。余計なことを付け加えると、京都アニメ放火事件(2019年)の容疑者は1978年生まれ。先日刑が執行された「秋葉原通り魔事件」(2008年)の死刑囚は1982年生まれ。みなこの「ロスジェネ」世代に当たります。

 清水さんと佐藤章さんは、動画でこう話していました。

安倍晋三が亡くなって動き出した東京地検特捜部。竹中平蔵の命が危険?安倍関係に向けられる警察の捜査。AOKIの次はパソナか?元朝日新聞・記者佐藤章さんと一月万冊 - YouTube

 佐藤:……竹中さんの場合は、山上容疑者が41歳で「ロストジェネレーション」であったということが、たぶん恐怖だったと思うんですね。
 清水:「一月万冊」を見ている人は私よりも年上の人が多いんですが、私と同世代かそれよりも下の人たち、安倍さんが撃たれて、容疑者41歳というのを聞いたときの反応は、「そりゃそうだよ、今まで踏みつけられてきたんだから、40代の「ロストジェネレーション」、暴発するわ」というのが第一印象だったんですね。これだけ恨みが溜まって、踏みつけられて、最後は絶望して撃っちゃったんだと、こんな事件がこれからいっぱい増えるんだと、最初はそんな反応だったんです。その後、統一教会の関連とかが(情報で)出てきて、ああ、こういう流れだったのね、という風になっていったんですけど。だから、40代や30代中盤の人たちは、これはリアルに、犯人に対しては、やってはいけないことなのは分かっているけど、でも、そうだよね、俺たち確かに踏まれてきたもんねというような「共感」が生まれてしまうんですね。だから、竹中平蔵が引退するって聞いたとき、お前も危ないよっていう声が多かったんです。
 佐藤:山上容疑者の場合は、「ロストジェネレーション」とは直接関係はなかったんですけど、でも、統一教会によって人生や大切な家族を台無しにされてしまったという深刻な思いがあるわけです。それと、今清水さんが話してくれた「ロストジェネレーション」。雇用形態では正規雇用が少なくなって非正規雇用が増えて、雇用が非常に狭き門になってしまったんですね。それまでは、僕みたいな凡才でも(何をおっしゃる!)就職できたんですけど……。
 清水:「凡才」ではないけど、就職はしやすかった、と。
 佐藤:(笑)ところが、優秀な人でも、就職はなかなか難しくなってしまって、それを「恨み」に感じるのは当然なところもあるんですよ。竹中さんは、そういう意味では、これまでにもかなり批判されているわけです。だから、竹中さん自身も、そのことはよーく分かっているんですね。ということで、(退任したのは)怖れを抱いたと考えても不思議ではないということです。

 昔クラス会に呼ばれて、1974年生まれの教え子たちと話をしていたら、やはり就職氷河期に直面させられ、ぼやきというよりは、怒りの感情を露わにしていたのを思い出します。はからずも、今回の安倍氏の事件によって、自民党政治が、彼ら彼女ら「ロスジェネ」世代のことよりも、統一教会の方を大事にしていたことが白日の下にさらされているわけですから、これに怒りを感じないはずがありません。にもかかわらず、自民党議員のみなさんときたら、「知りませんでした」「何が問題なんですか」と、まるで自分たちは関係がないかのようにふるまいます。これでは、悪い方向へ進んでいく予感だけが膨らんでしまいます。「暴発」などという惨劇は何としても避けなければいけませんが……。



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