ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「犬の連鎖」 トルストイ『文読む月日』8

 土曜にTBSの番組「報道特集」を見ました。1960年代から70年代にかけて、アメリカで統一教会・政治部門の幹部をしていたというアレン・ウッド氏のインタビューの中に唖然とする話が出てきました。7月30日付紹介記事から引用します。

「我々は世界を支配できると思った」米・統一教会の元幹部が語った"選挙協力"と"高額報酬"の実態【報道特集】(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース

■『私は文(鮮明)氏の犬だ』
日本での献金アメリカでの信者獲得にも使われたという。
1960年代から70年代にかけてアメリ統一教会の政治部門の幹部だったアレン・ウッド氏。報道特集の取材に応じ、教団の実態を証言した。

アメリ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
文鮮明氏らは権力者たちを支配しようとしていました。信者に“組織が世界を牛耳っている”と信じ込ませるためです。そのために権力者たちのビデオを作成し、若者に見せるのです」
ウッド氏自身、脱会するまではこうした講演を通して洗脳されていったという。

1970年に日本武道館でおこなわれた統一教会と関連する政治団体国際勝共連合」のイベント。ここでウッド氏は司会を務めた。日本からは右翼の大物・笹川良一氏も出席。ウッド氏は笹川氏の発言が忘れられないと話す。

アメリ統一教会の元幹部アレン・ウッド氏
「彼(笹川)は胸をたたきながら『私は文(鮮明)氏の犬だ』と言いました。驚くべき発言でした。日本で最強の人物が自分を文氏の下に位置づけたのです。あの時、『我々は世界を支配できる』と思いました」

 教団による「世界支配」など “犬の連鎖” です。「末端」に母親が繋がれ、喘いできたのが、安倍氏を銃撃した山上容疑者です。教団によって「奴隷」のように繋がれた人が、この国にどれだけいることでしょう。

 トルストイ『文読む月日』8月1日の記述。

 (二) どんなにして自由を手に入れたらよいかと尋ねるのだね。そのためには世間の人に教えられてではなくて、自分で善と悪を区別することを学ばねばならないのだよ。                             (セネカ

 (五) ある特定の思想に固執することは、地に立てられた柱に自分を紐で繋ぐようなものである。人間が自由を享受する度合いはその繋がれた紐の長さに完全に比例する。それゆえ万人の幸福という理念に自分を繋ぐ者こそ、最大の自由を享受するであろう。                      (リュシー・マローリ)

 (七) 自分の欲するとおりに生きてゆく人間だけが、自由な人間だと言うことができる。賢者はいつも自分の欲するとおりに生きる。なぜなら彼は自分の手に入れることができるものだけを欲するからである。だからして、ただ賢者のみが自由である。
 誰も罪人になろうとは思わない。誰しも迷妄と不正のうちに生きようとは思わない。誰しも、ことさら悲しみや苦しみを招くような生活に入ろうとは思わない。誰しも自分を汚らわしい堕落した生活をしたいなどとは言わない。
 それゆえ、現に不正な生活を送っている者もみな、自分の希望でそうしているのではなく、自分の意思に反してそうしているのである。彼らとしても、悲哀や恐怖は望まないのに、やっぱり絶えず苦しんだり、恐れたりしているのだ。彼らは自分の望まないことをしている。つまり彼らは自由ではないのである。
 賢者ディオゲネスは言った。「常に死を覚悟している者のみが自由である」と。彼はまたペルシャ王に次のような書面を送った。
 「あなたは魚を奴隷にすることができないように、真に自由な人々を奴隷にすることはできない。たとえあなたが彼らを捕虜にしても、彼らはあなたの奴隷にはならないだろう。もし彼らが捕虜になってそのまま死んでゆくとしたら、せっかくあなたが彼らを捕虜にしても、何の得にもならないではないか」
 これこそ、自由な人間の言葉である。こんな人間こそ、真の自由が奈辺にあるかを知っているのである。                   (エピクテトス

 (八) われわれは、精神的にも肉体的にも本性に反した生活をでっち上げ、その生活のなかに浸りながら自由になりたがっているのだ。

 (九) 従順も、それが善と真への従順であれば大いに結構だし、必要なことである。しかしそれが悪しきもの、偽りのものへの従順であれば、反対にそれは、人間的に極めて下劣な恥ずかしい行為である。            (カーライル)

 (十) 煩悩の焰に身を焼く者、快楽を渇望する者は、絶えず自分の肉欲を募らせ、われとわが身を鉄鎖に繋ぐ。
 ただ心の平安のみに思いを潜め、わが心を深く省み、人々が幸福とせぬところに幸福を見出す人――そのような人はその死の鉄鎖を断ち切り、永遠にそれを棄て去るであろう。                    (仏陀の金言)

 (十一) 自由は自由を探すことによってではなく、真理を探すことによって得られる。自由は目的ではなくて、単に結果であるにすぎない。

 (十二) 自由は、人間が人間に与えるものではない。誰しも自分で自分を自由にするほかはない。

(『文読む月日(中)』 330-333頁)

 ……でも、「彼ら」は「自分で自分を自由にするほかない」人たちとは言えないと思います。社会が、政治が、救わないでどうするのか、ということです。




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