ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

『戦争は女の顔をしていない』

 NHKの「100分de名著」のシリーズでも取り上げられていた、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』が、再び読まれているという話を知りました。番組の講師役だった沼野恭子さんは毎日新聞の取材を受けて、

「アレクシエービッチ氏は他の作品も含め、権力者ではなく、一貫して市井の人たちの声を集め続けてきました。彼女は彼らを恵まれない境遇に置かれ、虐げられてきたという意味で『小さな人間』と表現します。『小さな人間』が戦争に巻き込まれ、どんな経験をし、何を感じたか。アレクシエービッチ氏が引き出した重い声に、耳を傾けることが大切なのではないでしょうか」

と言っています。
声をつないで:なぜ志願兵に?「戦争は女の顔をしていない」が今問いかけるもの | 毎日新聞

 小生も昨年の夏にブログでNHKの番組を見て拙文を書いていたことを思い出しました。
100分de名著『戦争は女の顔をしていない』 - ペンは剣よりも強く

 本棚から引っ張り出して、付箋を貼った箇所を改めて読み直してみると、現下のウクライナとロシアの人びとのことが想像されました。いくつか引用してみます。

マリヤ・アファナシエヴナ・ガラチュク 准医師
 医科専門学校を卒業して……家に戻ると、父が病気でした。そこで戦争。朝のことだったのを憶えています。この恐ろしいニュースを朝、知ったんです。まだ木の葉の朝露も乾かないうちに、もう「戦争だ!」と言われた。木の葉や草にまだ光っている朝露にふと気づいた、そのことを、戦線でもはっきり思い出したものです。自然の美しさは人びとの身に起きてしまった事態とははっきりとコントラストを見せていました。太陽がまぶしかった……ヒナギクが咲いていました。私の大好きなその花が野原一面咲き乱れてました……
 どこかの麦畑で隠れていた時のこと。お天気でした。ドイツ軍の自動小銃がタタタタタッと鳴って、そしてシーンと静まりかえります。あとは小麦がさわさわといっているだけ。またドイツの小銃がタタタタッと。それで思ったんです。いつか麦のさわさわいう音を聴く日がくるだろうか? この音を……

三浦みどり訳、岩波現代文庫版、97頁)

ナターリヤ・イワーノヴナ・セルゲーエワ 二等兵(衛生係)
……
 冬にドイツ人の捕虜が連れて行かれるのに出くわしたときのこと。みんな凍えていた。穴の空いた毛布を頭からかぶって、焼けこげた軍外套を着ている。ものすごい寒さで鳥だって飛びながら凍え死んだほど。捕虜の中にひとりの兵士がいた……。少年よ……。涙が顔の上に凍り付いている。私は手押し車で食道にパンを運んでいるところだった。その兵士の眼が私の手押し車に釘付けになっているの。私のことなんか眼中になくて、手押し車だけを見てる。パンだ、パン……。私はパンを一個とって半分に割ってやり、それを兵士にあげた。その子は受け取った……。受け取ったけど、信じられないの……。信じられない……信じられないのよ。
 私は嬉しかった…… 憎むことができないということが嬉しかった。自分でも驚いたわ……

(同 129頁)

ワレンチーナ・パーヴロヴナ・チュダーエワ 軍曹(高射砲指揮官)
……
 私たちの汽車が前線に近づいて行って見たものは何だったと思う? 憶えているわ……決して忘れない。破壊された駅、ホームの上を水夫たちが手を使って跳ねて行くんです。両足がなく、松葉杖もない。その人たちは両手を使って歩いている。そういう人たちがホーム一杯にあふれている。その上タバコまで吸っているのよ。私たちに気づいて笑っている。ふざけあっている。心臓がどきどきしたよ。私たちが向かっていたのはそういうところなの? 景気付けに歌を唄った。次から次へと唄ったんだよ。

(同 173頁)

第5257野戦病院メンバーから聞き取った話
……
 看護婦さん、脚が痛くなってきた、と呼びかける人がいる。その人に脚はないのに。
 死人を運ぶのが一番怖かった。風が吹いてシーツがめくれあがると死人が私を見ている。眼を開いたままの死体は運べなかった。すぐに眼を閉じてやった……
……
 みんな死ぬのをいやがりました。私たちは呻き声、叫び声一つ一つに答えました。ある負傷者は死ぬんだと感じた途端、私の肩にすがりついたんです。抱きついて放そうとしない。看護婦でもそばにいれば命が消えてしまわないかのように。あと五分、あと二分でいいから、と頼むんです……静かに黙って死んでいく者、「死にたくない!」と喚く者。ひどい汚い言葉で罵る人、突然歌い出す人……モルダヴィアの歌だった……。

(同 199頁)

アグラーヤ・ボリーソヴナ・ネスチェルク 軍曹(通信係)
……
 道沿いにたくさんの看板が立っていたのを憶えています。十字架に似ていました。「見よ、これが憎むべきドイツだ!」この看板はよく憶えています。
 みなその瞬間を待っていたんです……今こそ分かるんだ、この眼で見ることができるんだわ……奴らがどこからやってきたのか? どんな土地で、どんな家に住んでいるのか。まさか、奴らがあたりまえの人間だなんて、当たり前の生活をしていたなんて! …私たちは火葬場を見ました。アウシュヴィッツ収容所を。山と積んだ婦人服や子供用の靴。灰色の灰。そういう灰が畑でキャベツやサラダ菜の肥料にされたんだ……私はもう(大好きだった)ドイツ音楽が聴けなくなりました。私がバッハをまた聴けるようになるまで、モーツァルトも弾くようになるまで長い年月がかかりました。
 そういう奴らの土地に来たんです。まず驚いたのは道路が立派なこと。大きな農家、花を植えた植木鉢、きれいなカーテンが納屋の窓にまで引いてあります。家の中には白いテーブル掛けのかかったテーブル。高価な食器。磁器です。そこで初めて電気洗濯機というのを見ました。どうしてこんなに良い生活をしている彼らが戦争なんかしなければならなかったのか、私たちには理解できませんでした。ソ連ではみんな地下壕に住んでいる時に、ドイツでは白いテーブルクロスですもの。デミタスカップでコーヒーを飲んで。博物館でしか見たことのなかった、そんなカップ。……
 家に荷物を送ってよいと許可がおりて、石けんや砂糖なんか……靴を送った人もいた、ドイツの靴は丈夫だった、時計とか革製品とか。みんなが時計を探していました。私はできなかった。汚らわしいって感じで。ドイツの物を手にする気になれなかった。母と妹は他人の家に居候していました。家は焼かれてしまったのですから。家に戻ってこの話をしたら、母は私のことを抱きしめてくれました。
「私だって、奴らのものなんか手にしたくなかっただろうよ。奴らがお父さんを殺したんだから」
 ハイネの詩集を手にすることができるようになったのは戦後何十年もしてからです。それと、戦前好きだったドイツの作曲家のレコードも。

(同 449-452頁)

 昨日は母親の命日と震災が重なり、午前は母親に、午後は震災で亡くなった人たちに手を合わせました。
 暖かくなってきたせいか、トイレや仏壇や、こういう日にかぎって、あちこちで小さな虫を見かけます。午後、庭の草を取っていたら、ヨトウムシまで出てきました。さすがに今日だけはそのままにしました。
 一刻も早く戦闘が止まることを切望して。

三浦みどり訳 岩波現代文庫 2016年 498頁/2008年 群像社刊の改訂新版 ※原著1985年刊)




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