さすがに弔問客は一段落したと思って、届け出や買い物などで外出したら、その間、意外にも来宅されていた人がいたりする。昨晩、弔問にいらした方は、留守中に2度も来宅されたと聞いて恐縮してしまった。
東京から夫婦で移住してきて10年というこの方、父親から畑を借りて野菜作りを始めたと、それは知っていたが、曰く、「周りに知ってる人もいないし、何もわからずに始めたから、お父様にね、これはこうやった方がいいよって、いろいろとアドバイスされて、本当にありがたかったですよ。落花生とか枝豆とか、〇〇さん、いい苗があるから、これ植えてみなよ、って持ってきてくれてね。おいしい枝豆ができて、本当うれしかった。…」と。
同じような話はここ数日で何度も聞いたし、自分の知らない父親の一面を数多く知ることができた。焼香だけで済ませることもできるのに、こうして父親のいろいろなエピソードを語っていく人たちを見ているうちに、思い出話をできるだけ語り聞くことが父親の供養になると感じた。弔問する人たちも、型どおりに弔問すればいいと思って家に来たわけではない。何かしらの思いがあるから来たのだ。遺影の父親は、前で交わされる話を聞きながら、目を細めていることだろう。
夕方、思い出して、録画しておいた100分de名著『戦争は女の顔をしていない』を見た。膨大な証言による「苦しみ」の交響曲、「事実」ではなく「感情」で描く証言文学の金字塔などと銘打たれているこの作品、作者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチはノンフィクション作家として初めてノーベル文学賞を受賞した。小生も、ノーベル賞の受賞後、本屋に積まれていたので、『チェルノブイリの祈り』とともに買って読んだ。こうした聞き書きに「文学的価値」を見出すということに新鮮な感じがしたのを覚えている。
作者とこの番組についての紹介は以下。
100分de名著 アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 | NHK出版
「証言の記録」といいながらも、聞き役のアレクシエーヴィチの表情が垣間見える部分もある。番組では2つほど例を紹介していた。なるほど、さして気にも留めずに読んでしまったが、そういう視点で改めて読み直すと、証言の内容の過去性とそのインタヴュー・シーンの現在性のようなものが立体的に浮かび上がる。まさに多音声交響曲の感。
ローラ・アフメートワ 二等兵(射撃手)
戦争で一番恐ろしいのは何かって? あたしの答えを待ってるの? 何を言ってほしいのか分かってるよ…あたしが、戦争で一番恐ろしいのは死だって答えると思っているんだろ? 死ぬことだって?
そうだろう? あたしはあんたがジャーナリストってものを知っているからね、ハハハハ、どうして笑わないのさ、え?
あたしはそうじゃないことを言うよ…戦争で一番恐ろしかったのは、男物のパンツをはいていることだよ。これはいやだった。…第一とてもみっともない…。祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて、はいているのは男物のパンツなんだよ。こっけいなかっこしてるなんてばかげてるよ。間がぬけてて。そのころ男物のパンツって長いのだったんだ。がばがばで、つるつるした生地で縫ってあって。あたしたちの土壕には十人の女の子がいて、みな男物のパンツをはいていた。まったく、どうしようもない! 夏も冬も。四年間だよ。
…ポーランドの最初の村で新しい衣服が支給された…そして、初めて女物のパンツとブラジャーがもらえたんだ。戦中通して初めてだよ。ハハハ。分かるよね…あたしたち初めてあたりまえの女物の下着をもらったんだよ。
どうして笑わないのさ? 泣いているのかい? どうして?
(三浦みどり訳、岩波現代文庫、124-125頁。)
アナスタシヤ・レオニードヴナ・ジャルデツカヤ 上等兵(衛生指導員)
あたしの夫が仕事に出ていてちょうど良かった。しっかり言いつけていったの。あたしが二人の恋愛のことを話すのが好きだと知っているから。一晩かかって包帯のガーゼで花嫁衣装を縫い上げたことを。包帯は仲間の女の子たちと一緒に一ヶ月前から少しずつ集めておいた宝物。それで本格的な花嫁衣装ができたの。写真が残っているわ。ドレスに軍用長靴。憶えているわ。パイロット帽の古いのを細工してベルトにしたの。すばらしいサッシュだったわ。あら、こんなことを話してしまって…夫は「恋愛のことは一言も言うな、戦争のことを話すんだぞ」って言いつけて行ったのに。夫はきびしいの。地図を出して教え込んでいったわ、どこに何ていう戦線があったか二日がかりで教えてくれた…どこに味方の軍がいたとか…いま、メモを見るわね、彼に言われたことを書いたのよ…読むわね。あら、何を笑っているの? あなた、何ていい笑い方なの? あたしを歴史家にしようなんて無理よね。包帯で作ったドレスを着ている写真を見せるほうがあってるわ。あれはとっても気に入っているの…白いドレスで…
(同上、352頁。)
「聞き書き」と「証言録」は同じではないようだ。弔問客との語り聞きも「過去の父親の回想」と同じではないのだなと思う。
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