ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「〇〇感」は止めにしよう!

「国民に納得感を持ってもらえる丁寧な説明を行う」――首相就任後、初の記者会見に臨んだ岸田はこう言った。「説明しないスガ政治」を意識した発言と思える。しかし、なぜ「納得」ではなくて「納得」なのか。国民の多くが「納得」するよう「説得」するのが政府のトップたる者の仕事ではないか。
 「感じ」は主観的な物言いだ。こっちはこれで「納得」すると「感じている」のに、国民が「納得」しないと「感じている」だけだ、最終的には、両者の隔たりは埋まらないと、こうした「言い訳」が透けているように思える。あるいは、「スピード感」「やってる感」と同じで、そもそも実が伴う必要はないのであって、「見せかけ」だけで十分だという意味にもとれる。一事が万事、神は細部に宿る…。些細なことばづかいに岸田政権の本質が現れているかもしれない。

 さて、国民の「納得」を得るという点で、岸田政権の人事のことをひとつ。「身体検査」という用語は最近聞かなくなったが、「うまいこと言うもんだよねぇ」と死んだ母親がむかし笑っていたのを思い出す。しかし、この9年ほど、身辺に「汚点」がないことを明らかにすることは、公人任命の必要要件ではなくなってきているようだ。犯罪にもかかわるような醜聞があろうと、逮捕されなければかまわないと開きなおり。これはさらにハードルが下がり続け、起訴されなければかまわない、有罪判決がでなければかまわないになり、そのうちに、執行猶予付きならかまわない、とかになっていくかもしれない(!!) それなら、早い話、警察や検察に手を回して、どんなものでももみ消してもらえるようにしとけば「絶対的」に安心ということにもなるだろう。実際に政府は、昨年の春に検察トップに「官邸の番人」をつけようとして失敗したが、今年の秋の人事で、警察庁長官に「予定通り」強姦容疑者の逮捕案件を握りつぶした人物を就けた。

 こうして、いくら国務大臣や公務の重責を担う人に「醜聞」があろうが、鉄面皮を貫くことがならいとなってしまった。しかし、やはり「事実」でないことは(口先だけでなく)正さなければならない。それは、もはや「名誉」を棄てた当人個人のためではない。社会や国の「名誉」のためにである。人と社会に相応の信頼をおいて普通に生きていたいと思っている人を息苦しくさせないため、社会を窒息させないためにである。

 岸田総裁から自民党の新国対委員長に任命された高木毅氏について、6年前に取り上げられた「醜聞」がまた吹き出ている。甘利・新幹事長の場合と同じだ。こういう不名誉な過去を口先だけ否定して済ませている人* を党の代表として国対業務にあたらせるのか(敦賀の人は嘘つきなのか)? これを見せられることになる国民にはおぞましいかぎりだ。
* 自民党福井県連は独自調査の結果として、県連会長の山本拓衆院議員が「高木氏は、女性宅に侵入し現行犯逮捕されていた」と明言したという。
 高木前復興相の“パンツ泥棒逮捕”がいまさら事実認定! 安倍政権への配慮で追及しなかった新聞・テレビの責任|LITERA/リテラ

 10月4日付、デイリー新潮の記事より。

高木新国対委員長に「女性下着ドロボー」の過去 被害者の妹らが明かした「合鍵を作って侵入」「手には白い手袋をはめて」 | デイリー新潮

<従前略>
無論、高木氏の行為が犯罪であることは言うまでもないが、少なくともこの件は「立件」されていない。
「姉が〝騒がんといてくれ。勤め先にも迷惑かけたくない〟って。父は〝(高木氏の父親の)市長も頭下げてきた〟〝敦賀でお世話になっとるし〟と言ってて、それで、示談っていうか……。それにしてもあんな人が大臣にまでなって、不思議やなーと思います」(同)
 これら一連の経緯について高木氏に取材を申し込んだが、締め切りまでに回答は寄せられなかった――。
「高木さんについては、政治家になって以来、ずっと〝ある噂〟が囁かれ続けてきた。それは、〝高木さんは過去に女性の下着を盗んだことがある〟という噂で、彼の地元・敦賀や彼の周辺では知らぬ者がいないほど有名な話だったのです」
 と、永田町関係者。
「その高木さんが大臣になったものだから、まず、噂を知っている関係者が騒ぎ出した。〝高木といえばパンツだぞ。大丈夫か?〟とか、〝下着ドロボーを大臣にするとは、官邸の身体検査はどうなっているんだ〟と。で、内閣改造後、噂は爆発的に永田町じゅうに広まり、〝高木=パンツ〟という奇妙な図式が定着してしまったのです」
 もっとも、永田町じゅうで囁き声が聞かれたその時点では真偽不明の噂話に過ぎず、過去、誰もその噂話の〝ウラ取り〟をきっちり行った者はいない。あるいは、真偽を確かめようとして失敗してきた。

<中略>

過去、噂の真偽に肉薄する記事を掲載した雑誌がある。地元で発行されている『財界北陸』だ。
「高木の〝パンツ泥棒疑惑〟について記事にしたのは、確か、96年の選挙の時だった。その頃すでに高木にはパンツ泥棒という噂がつきまとっていて、私の耳にも入ってきた。そこで、私は元々知り合いだった福井県警の警部補に、その噂が事実なのかどうか確認してみたんです」
 そう述懐するのは、件の記事を担当した『財界北陸』の記者である。
「すると、警部補は敦賀署が高木毅を、下着の窃盗と住居侵入の疑いで取り調べたのは事実。犯行現場は敦賀市内。その後、事情は分からないが検挙には至らなかった、とほとんどの事実関係を認めた。当時、事件の詳しい内容や被害者については聞かなかった。記事を載せた後も高木サイドからは抗議がなかったので、事実関係を半ば認めたもの、と理解しました」(前出・『財界北陸』の記者)
 取り調べの事実を明かしたその警部補はすでに他界しているという。
 となれば、被害者に辿りつく術は噂の出所を丹念に追うしかないのだが、その作業の末、行き着いたのが事件の目撃者だ。その目撃者こそ、…被害者家族に高木氏の車のナンバーを伝えた。近所のおばさん、である。
「自宅の2階で洋裁しとったら、近くに車が停まったんや。で、1階におりてきて車のナンバー見て、また2階に戻ってアイロン台に鉛筆でそのナンバーを書き留めておいたんや。なんでそんなことしたかというと、車から降りた人がご近所の家に入っていったからやけど、車降りる前、その人、白い手袋出したんや、車の中で。ほんで、白い手袋してから出た」
 侵入する前に手袋までするとは何とも用意周到で、初めての犯行とはとても思えないが、実際、被害者の妹(前出)はこう明かす。
「ウチだけじゃなく他のとこでもやっとったって聞きました。もちろん警察も知ってて、またかって……」

“息子のことを悪く書かないでくれ”
 最後に、一体なぜ、下着泥棒の前歴がある高木氏が過去7回も当選を重ね、大臣にまで上り詰めることができたのかについて触れておこう。それは先に触れた高木氏の父、高木孝一氏の存在が大きい。
 そもそも高木氏が下着泥棒を働くも事件化を免れたのは、敦賀市長で地元政界の“ドン”だった父・孝一氏が被害者家族に頭を下げて謝罪したからだが、「高木氏が国会議員になれたのも、もちろん父親のおかげです。嶺南地区と呼ばれる高木氏の地元は原発と建設会社の街で、その両方を押さえれば選挙では安泰。孝一氏はこの地区の選挙で勝つ術を知り尽くした男でした」
 と、先の地元政界関係者は語る。
「高木氏は大学卒業後、孝一氏が設立した『高木商事』の社長をやっていた、ただのドラ息子で、地方議員を経験することもなく、1996年、いきなり国政選挙に挑戦した。この選挙では善戦の末落選しましたが、4年後の選挙で見事に当選を果たしたのです」
 96年と2000年、いずれの選挙でも「下着泥棒」について触れた怪文書がばら撒かれたが、その裏で孝一氏は“火消し”のため、涙ぐましい努力をしていた。
福井県では、小さなミニコミ新聞や雑誌が何十種類も発行されている。孝一氏はそういうところを回り、“息子のことを悪く書かないでくれ”と頼んでいた。お金も相当使ったのではないでしょうか」(同)
 ある地元雑誌の発行人もこう話す。
「08年の選挙の前、孝一さんが私を訪ねてきた。で、“息子がパンツ泥棒をやったという噂を流しているヤツがいるが、そういう噂が記事にならないように頼むよ”と言われました」

 来る総選挙は11月7日の投開票が予定される。国対委員長となった高木氏のパンツ泥棒の過去が蒸し返されるのだろうか。

 こんなことが繰り返される「不名誉」を、俺は感じないし、おまえも感じないだろう…(だから、いいんだ)で済ませようとするのが「〇〇」ではないのか。



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