ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

真鍋さんのノーベル物理学賞受賞

 昨日の夕方テレビを見ていて、真鍋淑郎さんノーベル物理学賞に選ばれたことを知った。何か聞き覚えのある名前だなと思っていて、しばらくしてから、ああそうだ、NHKの番組「地球汚染」に出ていた人だと思い出した。
 「地球汚染」は1989年3月に2回にわたって放送され、大きな反響を呼んだ。小生の記憶では、その第1回「大気に異変が起きている」で、CO2濃度の上昇と地球温暖化の相関をコンピューターで分析する場面があり、そのときご登場されたのが真鍋さんだったと思う。今から32年も前の話で、逆算すると、真鍋さんは当時58歳。番組内では確か「真鍋博士」と呼ばれていた。

 10月5日付毎日新聞の記事より。

ノーベル物理学賞の真鍋淑郎氏 「温暖化が大きな問題になるとは」 | 毎日新聞

 今年のノーベル物理学賞受賞が決まった米プリンストン大上席気象研究員の真鍋淑郎(しゅくろう)さん。
……1931年、現在の愛媛県四国中央市新宮町生まれ。祖父や父が医師という家に育ち、自身も一時医師を志した。しかし、結局は東京大で正野重方教授(当時)の研究室に入り、気象学を専攻した。気象学を選んだのは「記憶力は悪いし、手はぶきっちょ。空を眺めて物思いにふけるくらいしか取りえがないと思った」からだ。
 当時、米国ではコンピューターで物理の法則に基づいて天気予報をする「数値予報」の研究が進んでいた。一方、東大の木造の研究室で、真鍋さんらは手計算で数値予報に挑んでいた。
 そんな中、大学院生だった真鍋さんの論文に目を留めた人がいた。米気象局大気大循環セクション(後の米海洋大気局地球流体力学研究所)を率いていたジョセフ・スマゴリンスキー博士だ。真鍋さんを自分の組織に招き、渡米直後は自宅に滞在させた。真鍋さんは「何も分からず、ぼけっとしていたら、スマゴリンスキーさんの奥さんが家の探し方などを教えてくれた」と話した。
 スマゴリンスキー博士は、着任したばかりの真鍋さんに新しい「気候モデル」を開発するという大きな構想を語り、開発を指示した。その気候モデルは、天気予報のための数値予報モデルを基に、長期的な気候の変化の予測や再現を可能にするものだ。「温暖化がこんなに大きな問題になるとは夢にも思わなかった」というが、博士のプランは魅力的だった。「実に興奮しましたよ。大変な研究だと思ったけれど、面白いテーマだし大喜びで飛び込んでみたら案の定大変でした」
 その後、真鍋さんは大気の状況を地面から垂直に立った1本の円柱に見立て、温度分布を考える手法「一次元大気モデル」を開発。その手法を生かして、気候変動予測につながる画期的な研究成果を次々と発表した。
 取材では当時の研究環境を「天国だった」と振り返った。スマゴリンスキー博士は莫大(ばくだい)な研究費を確保し、真鍋さんらの研究に予算をつけた。外部から2~3年で成果を出すことを求められるようなプロジェクトの話が来ると「そんな短期間で期限を切られたらできない」と断るような人だった。研究の進め方も真鍋さんに任せてくれ、いちいち相談することもなかった。
 「スマゴリンスキーという人がいなかったら私のキャリアは存在しなかった」。真鍋さんはそう話して、博士への畏敬(いけい)の念を見せた。

 今朝のNHKでは、真鍋さんの奥方が「彼はラッキーだった。家庭のことなど一切顧みないで365日、四六時中研究できたのだから」みたいな話をされたあと、真鍋さんが苦笑交じりに「女房のおかげです」と言わされていたが(笑)、真鍋さんの人生の、横断面には奥様や家族、研究者仲間らがおり、縦断面には過去から続く膨大な研究や思考と文化の蓄積があるだろう。真鍋さんにとってはスマゴリンスキー博士の存在が大きかったかもしれないし、主観的事実としては確かにそうなのだろうが、その実績の背景には膨大な “層” があると思う。

 その “層” のひとつが研究環境だろう。真鍋さんと同様、過去にも日本に在住しない「日本人」がノーベル賞を受賞したことがあるが、やはり素朴に「なぜ、日本の研究機関や大学でなく、アメリカのプリンストン大学なのか?」という疑問は抱く。経歴を拝見すると、真鍋さんは1958年に東大の大学院を出てからアメリカに渡り、アメリカ国立気象局(現アメリカ海洋大気庁)の主任研究員を務めたあと、1968年からプリンストン大学客員教授を兼任、1997年に一時帰国し、科学技術庁地球フロンティア研究システム地球温暖化予測研究領域長に就任したが、わずか4年で辞任、2001年プリンストン大学研究員に転じている。なぜ、4年で再びアメリカへ戻ったのか。報道によれば、共同研究をめぐり科学技術庁の官僚と軋轢があったとも言われている。この「頭脳流出」について、6日付毎日新聞に、次のような記事がある。

日本の研究環境悪化「頭脳流出」懸念 ノーベル賞に米国籍の真鍋氏 | 毎日新聞

……これまでも日本出身で海外で成果を出し、ノーベル賞を受賞する研究者はいたが、近年日本の研究環境の悪化から、さらなる「頭脳流出」の懸念が高まっている。
 第二次世界大戦後、資金も研究職のポストも乏しかった時代に、よりよい研究環境を求めて海外に向かう研究者は少なくなかった。2008年に物理学賞を受賞した故・南部陽一郎氏は52年に米プリンストン高等研究所に留学。58年にシカゴ大教授に就任し、70年に米国籍を取得した。
 08年に化学賞を受賞した故・下村脩氏も米国での研究生活が長かった。60年にプリンストン大に研究員としてフルブライト留学。名古屋大助教授を経て再び渡米し、プリンストン大上席研究員や米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員などを歴任した。
 戦後復興を遂げ、高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たした日本。新興国のような経済成長の勢いはないものの、今でも世界第3位の経済大国だ。だが、近年の研究環境の悪化や、研究力低下を指摘する声は根強い。
 優れた研究成果を生み出すためには、研究開発費と研究人材が不可欠となる。研究への投資面で見ると、企業も含めた主要国の研究開発費(19年)は、日本は約18兆円で近年横ばい。一方、論文数で世界1、2位を争う米中は増加し続けており、米国は約68兆円、中国は09年に日本を上回り約54・5兆円で、日本の3倍以上の規模の投資額となっている。
 人口が異なり、単純比較はできないものの、中国の研究者が約210万人、米国約155万人に対し日本は約68万人(民間を含む)と、人材面での格差も大きい。また、日本の研究機関では研究スタッフの数が少なく、米国と比べて研究と教育などの分業が進んでいないと指摘されている。
 米国の日本人研究者に調査した早稲田大の村上由紀子教授は、海外に活躍の場を求める主な要因を「米国の優れた研究環境や研究成果が日本人研究者を引きつけている」と分析している。在米研究者はヒアリング調査で、主な渡米の理由に「一流研究者と一緒に働きたい」「設備や予算など環境が優れていて米国の方が高い成果を出せる」「先端技術や知識を習得できる」などを挙げている。
 日本は現在、国立大学の運営費交付金の削減を続け、公的研究費助成の「選択と集中」路線で特定分野に研究費を配分する方針を強化するなどし、研究環境を悪化させていると指摘されている。影響力の大きな学術論文数の国別ランキングでは過去最低の世界10位に後退するなど研究力の低迷も歯止めがかからない。
 21年8月には、藤嶋昭・東京大特別栄誉教授が中国・上海理工大の専任職のポストに就いたとの発表があった。藤嶋氏は光で化学反応を促進する「光触媒」を発見し、毎年ノーベル賞候補に名前が挙がる。政府は研究者支援のため10兆円規模の大学ファンドの設立を計画するなど対策を講じているが、有能な研究者の海外流出に抑止効果があるのかは不透明だ。

 昨年来の日本学術会議の会員任命拒否と有能な研究者が国外に出て行くこととは決して無関係ではないだろう。政府権力と学問の関係で言えば、そもそも真鍋さんが取り組んできた研究は、日本の政府や業界団体にとっては決して歓迎される研究ではないはずだ(80年代のNHKならともかく、2020年代、さらに「御用メディア度」が増したNHKが同じようにこうした番組をつくって放送できるだろうか)。

 そして、もう一点、真鍋さん他、これまでの「日本人」のノーベル賞受賞には「日本人として誇りに思う」という皮相的コメントが繰り返されてきたが、それで事足れりとしているうちに、個々の研究者に限らず日本に暮らす一人ひとりの背景をなす「教養」がどんどん痩せ細っている。そのことに目が向けられていないと思う。かつて、歴史家の阿部謹也さんが、これまで教養は個人単位で考えられてきたが、集団の教養というのを考えるべきだと書いていた。痩せ細っているのは、まさに、この「集団の教養」だと思う。




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