昨日の朝NHKを見ていたら、今話題となっている山崎エマ監督のドキュメンタリー映画「小学校 それは小さな社会」とその撮影現場となった東京都内の小学校の話題が短く取り上げられていました。この映画は海外でかなり注目・評価され、フィンランドではロングラン上映されるほどヒットし、フィンランドの先生方が実際に視察のために撮影の舞台となった小学校を訪問して感嘆する様子などが紹介されていました。これまで学力先進国として世界のトップを走って来たと自他共に認めるフィンランドでも、近年は、たとえば、今年の4月に12歳の子どもが学校で発砲事件を起こし、国民のあいだに大変なショックを引き起こしたようです。社会全体にこのままでいいのかと、これまでの個性重視の学校教育にある種の「行き詰まり」を感じる空気が強く、積極的に海外の事例に学ぼうとする姿勢があるようです。
フィンランドの学校で銃撃 児童3人死傷 12歳の児童を身柄拘束 | NHK | フィンランド
実際に映画を見たわけではないので、皮相な印象だけですが、日本の(小)学校教育が日本の集団主義の原点を形づくっているというのは、その良し悪しはともかく、万人が認めるところでしょう。それを「よいもの」ととらえれば、フィンランドほか海外で評価されているとおり「コミュニティーづくりの教科書」にもなるのでしょうが、そのように言われても手前味噌というか、こそばゆいというか、実際にある程度「内実」を知る者にとっては、あまり手放しに評価できるものでないのは、毎年“いじめ”の認知件数が過去最多を更新していることからも明らかでしょう。
いじめ認知件数は過去最多を更新 2024年|一般社団法人 全国PTA連絡協議会
この映画の監督・山崎エマさんのインタヴュー記事がネット上に上がっていたので、いくつか読みました。その中のひとつで彼女はこう話しています。
山崎エマ監督が語る『小学校~それは小さな社会~』 教育について考えるちょっとした時間を|Real Sound|リアルサウンド 映画部
――改めて基本的なところからお伺いします。山崎監督の出自として、どのような学生生活を送ったのでしょうか?
山崎エマ(以下、山崎):お父さんがイギリス人で、お母さんが日本人で、生まれは神戸です。育ちは、小学校の時は大阪の北の方の茨木市というところで、映画に出てくるような大きな公立の小学校に、自分も6年間通いました。中学校から高校までは神戸のインターナショナルスクールに通い、大学はニューヨークに行きました。なので12歳以降は、だんだんとアメリカ人になっていったというか。……
……この映画を作ったのは、ニューヨークで大学を終えて社会人になって、編集や助手の仕事をしていたのがきっかけなんですけど、やっぱり普通に仕事しているだけなのに、「すごく働きますよね」とか「すっごい頑張りますね」みたいに言われて。「すごく責任感があって、時間通りに来て、チームワークがすごい」みたいな評価を受けたんです。でも、日本人として普通に振る舞っているだけで、自分が特別すごいとは全然思えなくて。そのときに、なんで自分はこういう人になったんだろうって考えたんです。振り返ると、日本の小学校で学んだ6年間が、明らかに自分の考え方とか行動の当たり前の軸になっていて、自分の強みとして海外生活のときに活かされたということに気づいて。でもアメリカだと、掃除とか給食を自分でやるのは当たり前じゃないし、さっき言ったように、行事も全然次元が違う。調べていくと、こういうことは万国共通じゃないことにも気づいたんです。
――私も海外生活をした経験があるのでよくわかります。
山崎:一方で、ニューヨークにいると、日本のことといえばお寿司とか侍とかアニメとか、本当に断片的なことしか伝わってこないんです。日本ってもっといろいろあるのにな、みたいなことを思ったりします。日本のことを知ってもらいたいなら、お寿司もいいけど、日本人の心が見えるもの、例えば私の前作『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』で映した高校野球のあり方とか、今作での小学校教育などを見れば、日本のことがわかるんじゃないかと思いました。それはもっと複雑な日本の状況も含めたもので、小学校を撮るならば世界に発信したいし、教育というのはつまり子どもたちについて考えることなので、日本の未来も考えることになります。そういう土俵として撮りたいなと思ったのがきっかけでした。
――撮影する学校を選ぶ際は、どのような過程を経たのでしょうか?
山崎:公立の小学校から選びました。ここを見れば、日本の大体の典型的な小学校が分かるから。でも、それも特定のクラスだけじゃなくて校舎すべてを撮りたくて(笑)。そういう条件を受け入れてくれる学校を見つけるのに苦労して、6年で約30校くらい行ってダメだったんです。その中で、いろんな縁で、世田谷区が東京のオリンピックがある年にはアメリカのホストタウンでもあるというきっかけがあって。私は、プロデューサーの夫がアメリカ人であったりとか、自分も結構アメリカンな感じなので、そういう年に特別にその世田谷の小学校を世界に発信したいという話なら聞いてくれるんじゃないかなってアイデアが生まれて。それから世田谷区にご縁があって、教育長とかにも賛同していただいて、それから区の中で学校を探して、ここになりました。
……結局振り返ると、自分が行った小学校に一番似ているところを選んだなって思います。映画で取り上げたかったのは、算数とか理科の授業じゃなくて、やっぱり行事で6年生が1年生を助け合うとか、合間の時間に人間形成がなされる瞬間です。そして休み時間や、子どもたち主体の時間に力を入れている学校。でも、やっぱりどこにでもありそうな、都会のど真ん中でもなく、かといって地方の田舎でもない場所という条件も含めて、この学校を選びました。
――150日間の撮影を通して、日本の学校の特徴や変化を感じられたことはありますか?
山崎:面白いことに、学校を回っていると「ここも来たことあるっけ?」と思ってしまうくらい、小学校の作りは構造上似ているんです。体育館の作り方や校舎とかも決まっているし。その中で、何がその学校独自のものなのかということはやっぱり撮影に入る前はわからなくて。逆に、自分の時代に比べて何が一緒で、何が違うかというところにはたくさん気づきました。変わってないところもたくさんあったんですけど、やっぱり25年、30年前の私の時代と比べたら、子どもを尊重することがより意識されている。正直、私の時代はそんなことは優先ではなくて、今よりも集団の中の一人、という感じでした。一人のために先生が授業を止めたり、クラスが止まって待つとか、そういうことがとても増えているなというのが実感です。
――タイトルに入っている「小さな社会」に込められた意味はなんだったのでしょうか?
山崎:小学校の中はまさしく『小さな社会』という通り、ある意味1つの小さな社会をそこにいる人間が作っているんです。1年生の時から配る係とか、電気つける係とか与えられて。それで、高学年になれば放送委員とか保健委員とか、その学校のための役割があって。もちろん大人の下支え、大人のサポートがあるんだけど、そこにいる子どもたちが、自分たちの学校のために行っている。みんなスローガンを決めるのに燃えたりとか、運動会になったら団結したりとか、その中で役割を見つけて責任を果たす。そういうやり方が成立しているんです。
……だからある意味理想的な、それぞれに責任があって、思いやりもあって、助け合いながらやっていくみたいな環境ですよね。それが日本の今の社会にも反映されている。時間通りに電車が来て、人々が譲りあって、配慮がある、とか。会社員であっても、社会の中でも、何かに対して、自分の職に対する責任とか役割を見つけて、そこに全うする色が強い社会だなと。小学校のときは、いま言ったことが結構理想的に動いています。でもそれがズレていくと、たとえば集団に対して違うことやりたいなとかっていうときに、自分のアイデンティティが崩れてしまう。その両方が交わって、日本のいいところと悪いところ、小学校、日本の社会はそうなっているのかな、みたいな感覚です。
――子どもたちもそうですし、先生方の役割についても、かなり特徴を捉えていると感じました。
山崎:先生って本当に難しい職業だと思います。特別活動とか行事を通してどう子どもを導くのか。直接言うのではなく、子どもからしたら自分でやってできたって思わせるためにどうやるのか。心を通わせて、一人の先生が何十人も見る。そんな難しい職業はないですよね。親御さんへの対応とか、いろんな上から降ってくる手続きとかもある中で、先生は本当に大変です。これだけ柔軟力と同時に信念が求められる職業ってないんじゃないかと思います。
――映画の中で先生方の葛藤や苦労も印象的でした。撮影を通して見えてきた部分はありますか?
山崎:やっぱり先生たちも人間です。先生の立場って、子どものころは何にも分かってない。先生も子どもの前とか親御さんの前ではちゃんとしないといけないって感じていて、悩みなんか打ち明けられたら、親御さんも不安になってしまう。「自信ない人が何やってるかわからない」とか。なかなか打ち明けにくいけど、みんな正解がない中で、悩みながらやっている。職員会議とか、先生同士の支え合いがあって学校が成立しているんです。1人1人の先生が個別に悩んでいるところも映しているけど、それを共有できるのが教員同士しかないのが難しいところです。本当はもうちょっと先生方と学校側の中の悩んでいるところも含めて、もうちょっとオープンになれば、親御さんがより協力するんじゃないかとか思いました。
……今回の映画の1つの反響で、「こんなに先生たちが考えている、悩んでいるなんて知りませんでした」とか、「親としては文句ばっかり言って協力してないけど、こんなに考えてやっているなら……」「私も協力しないと」みたいなお母さんがたくさんいました。
――海外の教育関係者からの反応はいかがでしたか?
山崎:先生という職業は、いま世界中で本当に大変な仕事だというのが共通しています。地位とか給料とか、こんなに低いのに、社会の大きなところを担っている。教育ってすぐに感謝されることでもないですし。私も、自分の小学校の先生のありがたみを感じたのって、15年とか20年後なんです。でも、この映画を観て、海外の先生も日本の先生も、やっぱり自分たちのやっていることの尊さや大事さに改めて気づけたから頑張れます、みたいな反応も多かったです。当たり前の日常なんだけれども、それをこうして映像に残すと、気づくことがあります。
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末尾に、先生方から「自分たちのやっていることの尊さや大事さ」に改めて気づき、頑張ろうという気持ちになったという反応があったことが紹介されています。教育関係者にとっては自身を奮い立たせる文言です。しかし、それを何度も何度も繰り返しながら、自身を「摩耗」させている先生が何と多いことか。他方で、子どもたちのいじめ(認知)件数は過去最大を更新し続けている――調整手当の10%など、教員の金銭的な待遇改善とは全然レベルのちがう話だと強く思います。そもそも高い給料が欲しかったら、先生方は教員という職業は選ばなかったはずです。
