ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

葬儀前 合間に

 お盆と重なり、お寺が一番忙しい時期に父親の葬儀をすることになった。通夜は18日と決まった。最初は早くても20日と言われていたので、これでも早くなってよかったのだが、夏場の暑い時期に葬儀まで一週間というのはちょっと長い。自宅に亡骸をいつまでも置いておけないので、今日は葬儀屋さんに頼んで、葬儀場へ運び、冷所に安置してもらうことにした。もうこれで、父親が自宅に戻ることはない。

 替わりに昼に遺影が届き、焼香台の前に置かれた。改めて父親の遺影を眺めてみると、十数年前の姿とはいえ、わりと「男前」で柔らかな笑みを浮かべていて、何か、ほっとするやら、おかしいやら…。

 弔問は相変わらず続いている。合間の世間話でコロナ感染の話を耳にしたのだが、ある小さな医院ではPCR検査が14人中12人陽性だったとか、別の総合病院ではコロナ病棟がすでに埋まってしまったとか、…こんな千葉の田舎でもコロナ感染が急拡大していることを実感する。ところが、新聞の市町村別の新規のコロナ感染者数を見ると、実態が反映されているとは到底思えない数字が並んでいる。やはり一部識者が指摘するとおり、検査は(意図的な)飽和状態にあり、東京などでは、その分数字の上で感染者数は5,000~6,000程度で頭打ちになっているが、実際の市中感染は爆発的に拡がっていると考えるべきではないのかと思う。

 これで24日からパラリンピックをやって、原則無観客開催のところを、子どもたちだけは「教育的見地から」観戦させようというのだろうか…。

 もちろん父親はコロナで亡くなったわけではないが、肉親を亡くした直後の者としては、毎日毎日コロナで亡くなる人が出ている中、その家族や縁者の気持ちを想像しないわけにはいかない。