ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「親ガチャ」のこと

 きっこさんのブログ記事「親ガチャ、国ガチャ、時代ガチャ」をおもしろく読んだ。
 ご多分に漏れず?小生も「親ガチャ」なる語は今年の夏頃はじめて知った。カプセルに入ったおもちゃが出てくるガチャガチャというのがあるのは知っていたが、あれと同じように、親にも当たり外れがあって、子どもはどんな親のもとに生まれるかによって人生が左右されるが、子どもの方は親を選べず、運任せだという意味だと解していた。まったくひどい言葉だと思ったが、この「ガチャ」は、きっこさんによれば、本来はソーシャルゲームでキャラクターやアイテムを抽選で入手する方法の「ガチャ」に由来する表現とのこと。こちらはさっぱり意味不明である(笑)。それはともかく、彼女が「親ガチャ」から派生させた「国ガチャ」「時代ガチャ」の方は大いに共感した。
 11月18日付「きっこのメルマガ」より該当部分の引用を許されたい。

「親ガチャ」大アタリの安倍麻生が、日本という「国ガチャ」をハズレにする - まぐまぐニュース!

…そんなわけで、「親ガチャ」なんてものは、常に隣りの芝生が青く見える人たち、何でも他人のせいにしてばっかの人たちが考え出しそうな「言い訳」に過ぎない。自分の資質不足や能力不足や努力不足を親のせいにするための詭弁であって、平均的年収の家庭に生まれたのに成功できなかった人は、その10倍、20倍の年収の裕福な家庭に生まれても成功できない可能性が高い。逆に、平均的年収の家庭に生まれて成功できた人は、貧しい家庭に生まれても成功できる可能性が高い。
だから、あたしは「親ガチャ」という考え方に否定的だけど、「子どもはどんな時代に生まれるかによって人生が大きく変わるが、どんな時代に生まれるかは自分では選べない」という「時代ガチャ」は肯定する。これは「親ガチャ」という考え方から連想してあたしが考えたものだけど、今、これを読んでいるあなたが、今と同じ両親から同じ場所で生まれたとしても、もしも生まれた時代が違っていたら、あなたの人生は大きく変わっているかもしれない、という仮説だ。

たとえば、…あたしと同世代の人たちが、もしも50年早く生まれていたら、どうなっていたか?あたしの場合なら、17歳の時に第二次世界大戦が勃発し、23歳で東京を火の海にした東京大空襲を受けていた。あなたが大阪生まれなら大阪大空襲を受けていたし、他の地方都市の生まれなら、それぞれの空襲を受けていた。あなたが広島や長崎の生まれなら、原爆を受けていたのだ。
そして、あたしたちの父親は召集されて戦地へ送られ、あたしたちの世代でも、男性なら徴兵され、その一部は特攻隊員として空や海へ散って行ったのだ。ちなみに、最も有名な「神風特攻隊」でも命中率は1割以下、9割以上の若者が犬死にさせられたけど、特殊潜航艇「海竜」、人間魚雷「回天」、特殊特攻艇「震洋」などの海軍による特攻の他、戦車による特攻など陸軍の作戦も含めると、特攻隊員の総死者数は5,845人に上る。そして、「回天」を搭載して出撃したが、特攻作戦を決行する前に撃沈させられて未帰還となった母艦や潜水艦の搭乗員の総死者数は8,164人、分かっているだけでも、若者を中心に計1万4,009人もの男性が特攻作戦によって死亡している。
もしも、この1万4,009人の人たちが50年後に生まれていたら、つまり、あたしと同じ時代に生まれていたら、何人かは交通事故や病気などで死亡したかもしれないけど、大半の人たちは今も元気に生きていただろう。そして、若者には無限の可能性があるのだから、生きてさえいれば、この中から世界的なアーティストが生まれていたかもしれないし、日本を代表するトップアスリートが生まれていたかもしれないし、本当に国民のことを考えてくれる本物の総理大臣が生まれていたかもしれない。

こんなふうに考えると、現在のあたしたちは、裕福であろうが貧乏であろうが、どんな親のもとに生まれようが、取りあえずは「戦争のない時代に生まれた」というだけで「時代ガチャ」は「当たり」を引いたことになる。そして、もう1つの「国ガチャ」でも、あたしたちは「当たり」を引いている。
あたしたちが現在と同じ誕生日に生まれたとしても、もしも生まれた国が日本じゃなくて、独裁者が牛耳る独裁国家だったら、激しい砲撃や空爆が続く内紛状態の国だったら、クーデターを起こした国軍や武力勢力が市民に向けて銃を乱射する無政府状態の国だったら、最低限のインフラも整備されておらず、小さな少女が毎日何往復も、何キロも先の川まで水を汲みに行かされるような途上国だったら…。
そう考えると、あたしたちは決して「戦争のない時代に生まれた」というわけじゃないことが分かる。今も世界のあちこちで戦争は続いているからだ。あたしたちは、日本が世界に誇る平和憲法によって、二度と同じ過ちを繰り返さないように生きて来たからこそ、今は砲撃や空爆に怯えずに日々を過ごしていられるわけだ。そして、戦後の復興も、震災後の復興も、日本人は決して諦めずに一丸となってがんばって来たからこそ、遠くまで水を汲みに行かなくても、自宅の蛇口から清潔な水が出る生活をしていられるわけだ。
だけど、もしも「国ガチャ」で「ハズレ」を引いていたら、今、この瞬間も、砲撃や空爆に怯えていたかもしれないし、何キロも歩いて不衛生な水を汲みに行かされていたかもしれないのだ。そして、せっかく引いた「日本」という「当たり」にしても、何もせずにホッタラカシにしていたら、いつ「ハズレ」に変わってしまうか分からない。
たとえば、党内の最大派閥のトップに安倍晋三が居座ってしまった今の自民党政権がこのまま続いて行くと、近い将来、平和憲法が破壊されて自衛隊は国軍となり、軍事同盟国として米国主導の戦争に参加するようになる。日本に米軍の核弾頭ミサイルが配備され、徴兵制が復活される。そうなれば、日本は米国の前戦基地となり、米国の防波堤となるわけだから、米国を敵視する国々は、まずは日本をターゲットにするようになる。

<以下略>

 念のため「親ガチャ」について補足すれば、たとえば、東大生の親の世帯年収は950万円以上が54.8%を占め(その親と同世代の世帯年収で年収950万円以上は22.0パーセント 2014年)*、経済格差と教育格差の相関が話題にされることが多い。これはフランスの社会学ブルデューをもちだせば、経済的な格差というよりも「文化資本** の差の方が大きいという話になるかも知れないが、単純に個人の努力の結果に還元できない隠れた構造があることも否定はできない。
 * 教育社会学舞田敏彦氏の調査による。
 東大生の親「年収950万円以上が半数超」経済格差の不条理 | 富裕層向け資産防衛メディア | 幻冬舎ゴールドオンライン
 **「私たちは、生み落とされたそのときから、家族の中で、身振りや言葉遣い、趣味、教養といった、体に刻み込まれていく文化能力をも相続していきます。そのように相続されたものを「文化資本」と呼びます。文化資本は、蓄積することで学歴や社会的地位、経済資本へと変換可能になり、大きな利益を生みます。文化資本の多寡は、自らが属する社会的階層によってあらかじめ決定づけられ、格差を生み出していく要因になっていきます」
 名著104「ディスタンクシオン」:100分 de 名著

 …しかし、だから何だという話である。話のレヴェルがちがうが、身長が高い方がバスケットボールには有利だとか、手が大きい方がピアノを弾くのに有利だとか、…それはそうかもしれないが、それは有利かどうかと言ってるだけで、アドヴァンテージがいくらあっても何もしなければそれまでである。東大に合格するのも同じことであろう。意志のないところに道は開けない。努力すれば成功するわけではないが、成功した人はだいたい努力した人である――これはいつの世でも変わらぬ真理ではなかろうか。

 「親ガチャ」と聞いて、苦笑すらせずに真に受ける人が多いとしたら、その世相や社会の方が心配だ。「親や祖父が総理大臣だと子どもも(能力がなくても)総理大臣になれるんだなあ」とは思わないまでも、「親が大臣だと授業に出なくても大学を卒業できるんだ」とか「親が大臣だと大企業に就職できる」とか「悪いことをしても捕まらないんだ」とか…。こういう事例が繰り返されれば、この言葉が歪んだ真実味を帯びてくるだろう。「特権」をふりかざして、範を示すべき人間が範を示せないことへの社会の反応のひとつがこの言葉なのではと思えてくる。閉塞感の現れなのでは…?




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