ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』

 活躍中のロシア文学研究者の半生を綴った評判のエッセイを読みました。著者は研究者としては若手から中堅どころととらえるのがよいと思うので、「半生」という語はまだ適切ではないかもしれませんが、本の最後に「かつての自分といまの自分はまったく別人というくらい、私の内面は変わっていた。……私は確かにいま、新しく生まれたのだと」(258頁)と書いているように、自身の人生の節目、あるいは折り返し点を意識してこの本を書いた様子なので、文字通り「人生前半」の回顧録(ほぼ留学日記ですが)ということでよい気がします。

 どんな研究者であっても、振り返れば、その「入口」にある種の「偶然」が作用しているものかと思います。著者がロシア語の勉強を始めるきっかけも、語学好きの母親がドイツ語やスペイン語にはまっていて、思春期の反発心?で同じ言語をやりたくなかったからという理由らしいのですが、それでも、中国語やアラビア語などではなくロシア語を選んだのは、当時好きだった作家の一人がトルストイで、できれば原文で読みたいと思ったからということのようです。トルストイは、新潟在住の著者の祖父も愛好していた作家で、冬の新潟の姿が未知のロシアの光景と重なった面もあるようです。だから「偶然」の中に「必然」の糸がまったくたぐれないかというと、そういうこともないのですが、しかし、そこからロシア語にのめり込んでいく著者の姿がすごいというか、すばらしい。やはりこういう脇目もふらず……という人が学者となり、研究者になるのだと改めて思います。というより、学究はこうでなければウソだし、社会も学校も、こういう人が減っていくような環境にしてはダメだと思います。

 あまり内容に触れるのもどうかと思いますが、印象に残っている部分をいくつか引用してみます。

 人気ロックグループ、マシーナ・ヴレーメニー(タイムマシンの意)のリーダー、アンドレイ・マカレーヴィチの曲『空虚な約束を』の歌詞より――
 幾百年の世紀をまたぎ 悪がはびころうとも
 空がふたたび 煙で覆われようとも
 それでもこの世界の生は 死より少しだけ多い
 そしてこの世界の光は 闇より少しだけ多い……
(54頁 太字は当方が施した

 著者に大きな影響を与えたアントーノフ先生の「文学研究入門」の授業――
 先生は余計な雑談など一切せず、いきなりホワイトボードに文字や図形を書いて本題に入るのだが、学生たちはいかにその直前までわいわいがやがやとしていても、先生が話をはじめるとすうっと教壇に気配を吸いとられるように透明になる。授業のはじまりはいつも、まるで劇場の幕があがる瞬間だった。魅了される観客と化した学生は、息を呑んで前を見つめる。先生は講義をしているというよりは演技をしているふうで、文学言語の説明のための例文は生き生きとしたモノローグのように力強く教室に響く。そもそも歳がまったくわからない。たとえばシェイクスピアの登場人物になりきって台詞を楽々と暗唱しているときは三〇代にも見えるが、休みの日に寮や近所で見かけると、気が抜けているせいか酒のせいかその両方か、だいぶ歳上に見える。だが、ともかく授業ではそうした優れた俳優が客席を舞台の一部にしてしまうのとそっくり同じように、大教室を埋めた五〇人以上の学生たちがいつのまにか教壇との一体感を共有しているのである。初めて先生の授業を受けたあと、もう学生たちの出ていった教室にひとり残り、私はしばらく呆然としていた。いまのはなんだったんだろう。……
(97-98頁)

 教室に掲げられているトルストイの言葉――
 大学時代の私やマーシャ(友人)に「ロシアとウクライナが戦争をする」などと言っても、私たちは笑い飛ばしていただろう。……しかし、最終学年のころには、ウクライナとロシアの不穏な溝を感じる出来事が起こるようになっていた。そこで問題になるのはやはり言語だった。あるとき、文学史の教授が講義でウクライナ出身の作家を何人か挙げ、「ゴーゴリウクライナ語もできたのに、結局ロシア語で書くことに落ち着くわけで、やはりウクライナ語よりロシア語のほうが優れているというか、文学的で、文学作品に適しているんでしょうね。ほかのウクライナ出身の作家も多くがロシア語で書くようになっていますし」という、ありえない発言をした。……普段はおとなしいマルーシャが即座に「じゃあシェフチェンコウクライナの国民詩人)ウクライナ語の作品はどう説明するんですか!」と大きな声で反論したのがせめてもの救いだった。……
 しかし、こういった現象は、突如として現れるわけではない。……文学史の教授が「ロシア語のほうがウクライナ語より文学的に優れている」と言ってしまった瞬間を、私は二〇一四年(ロシアによるクリミア併合)以降に幾度も苦々しい気持ちで思い返した。仮にも言葉を教える大学である。ある大教室の壁には、レフ・トルストイの言葉が掲げられていた――「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を分断するような言葉には注意しなさい」。その教えは私たちにとって指標であり規範であった。……それなのに、教授が先陣を切ってあんなことを言うなんて。
(222ー227頁 ※( )内は当方の補足。太字も当方が施した

 最後にこれはどうしても引用したい一文。
 文学の存在意義さえわからない政治家や批評家もどきが世界中で文学を軽視しはじめる時代というものがある。おかしいくらいに歴史のなかで繰り返されてきた現象なのに、さも新しいことをいうかのように文学不要論を披露する彼らは、本を丁寧に読まないがゆえに知らないのだ――これまでいかに彼らとよく似た滑稽な人物が世界じゅうの文学作品に描かれてきたのかも、どれほど陳腐な主張をしているのかも。
(262-263頁)

 終わりに、蛇足かもしれませんが、この本は装丁も非常に気に入っています。カバーを外しても図柄がモノトーンでそのままなのは粋な感じです(平凡社ライブラリーにも似たものがあります)。著者や編集者の繊細な心遣いが現れている気がします。本を汚さないように丁寧に扱おうという気持ちになります。
 もっとも、一点だけ「難点」というか「苦情」を言うと、帯の推薦の言葉に「いまこそ読んでほしい本です。逢坂冬馬」とあるのですが、何とこの逢坂さん(作家)、著者の実の弟さんなんですと! まったくなあ……。洒落なのかなあ? まさか逢坂さんの本の帯には奈倉さんの推薦の言葉があるんじゃ……(笑)。

戦争文学で反戦を伝えるには|逢坂冬馬×奈倉有里|コロナの時代の想像力|note

 奈倉さんが訳した近刊のアレクシエーヴィチ『亜鉛の少年たち――アフガン帰還兵の証言 増補版』も手に入れたので、次の次に読むつもりでいます。

イースト・プレス 2021年10月刊 269頁]



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