南丹市で行方不明になっていた小学生が遺体で発見された事件の報道が延々と続いています。おそらく情報の出どころはほとんど警察でしょうから、どのTV局のニュースを見ても内容的には大差ない感じです(逐一確かめたわけではありませんが)。戦争とはちがいますが、何か「大本営発表」に近いものを感じます。
それにしても、この事件報道に対するTV各局の執着ぶりはちょっと異様です。捜索の重点が学校周辺から被害者宅の周辺に移った時点で、多くの人は、警察が小学生の家族を疑っているなという印象を受けたと思いますが、TV局は取材の早い段階でそのことに気づいたのでしょう、想定するある種のストーリーに乗せることをほのめかしながら、警察の捜査の様子を報道していた節があります。
近年こうした事件報道のTV解説に警察関係者(OB)が出演することが多くなりました。捜査現場を熟知する人の話は、普通の人には知らないことが多いので、興味深いと思っている人は多いのかもしれません。しかし、当然ながら視線はどうしても捜査目線で、その先には犯人の特定と逮捕があります。容疑者は「被疑者」であって、まだ「犯人」かどうかはわからないという大前提はありつつも、こうした報道に慣らされた視聴者は、怪しいのは誰で、真犯人は誰か、犯人の動機は何かと、まるでTVの刑事ドラマでも見るような目線で事件報道を追いかけるようになっていくのではないか。
しかし、ドラマはやはりドラマでしかなく、現実とは異なります。ドラマは決まった時間が来れば、真犯人がわかって、事件の謎は解き明かされ、万事終了となりますが、現実の事件には「終わり」がありません。被害家族や近い人たちは、事件の後も「痛み」を抱えながら、今後も進んでいかなければならない。特に亡くなった小学生と同じ学校に通う子どもたち、とりわけ同級生は強いショックを受けていると思われます。学校も地域も防犯や連絡の体制に不備があってはならないと、一層の対策を迫られるでしょう。私たちにしても、この事件は何が特殊で、何が普遍的なのか、時代性や事件と社会のかかわりやあり方について、考えるべきことはいろいろとあると思います。
そうした点を考慮すれば、報道のしかたは変わってきてよいはずですが、現実には(しらじらしく)「謎が多い事件」などと称して、好事家的、野次馬的な興味関心を煽る内容が続いています。
1つ、余計なことを書くと、数日前TVを見ていたら、TBSのキャスターが容疑者の自宅近くからライヴ中継するリポーターに対し、いまあなたが見ている方向をカメラで映せないかと要望しました。すると、カメラはぐるっと180度回りながら容疑者の自宅周辺を映し出したのです。キャスターは、素朴に容疑者宅の周りが山あいのひなびた土地で、こんなところで殺人事件が発生したことを確かめたかったのでしょうか。それにしても、そんな映像を視聴者に見せる必要が本当にあったのか。被疑者宅というのは今回の場合、被害者宅でもあるでしょう。子どもの母親や親族のことを想像しないわけにはいきません。万が一にも「二次被害」のきっかけにでもされたら大変だと感じたのですが、そういうのは杞憂なのでしょうか。
TVコメンテイターを務める脳科学者の中野信子さんは一連の報道に「出口が感じられない」と言っています。小生には彼女のコメントには「政治的ふるまい」性を感じることがよくあるのですが、今回のコメントには共感します。
中野信子氏「出口感じられない」安達結希さん報道に一石 ナジャも「動機知らなくていい」 | 東スポWEB
……17日放送の「大下容子ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)で「野次馬根性を満足させるためだけのニュースだったら、どうなのかなと思います」と切り出し「親が味方であると限らない場合に子供はどうやって逃げたらいいのか。(報道は)そういう手段を教えるものであってほしいと思うし。動機の解明とか、そんな動機をもし持っている人がいたら、全員が犯罪者になるのかとか。出口が感じられない報道でとても辛く感じます」と訴えた。……
話はちがいますが、自治会の巡回活動で各家を訪れると、朝から晩までずっとTVを見ている人もいます。先日ブログで書いた映画「小学校――それは社会の縮図」の英語タイトルである Making of a Japanese (日本人のつくり方)ではありませんが、子どもを「日本人」として作っていくのが学校だとすれば、学校を卒業してから「日本人」としての「仕上げ」の作業をするのはTVなのかもしれません。少なくとも60・70代以上の人たちにはそんな感じがします。
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