今ロシアでは反戦の意思表示をするだけで警察に拘束されるようです。何も書いていない白紙のプラカードを持っているだけで連行された人がいましたが、唖然としました。「モス子@日露間で働くマン」さんが上げている下の動画も一瞬ギャグかと思いました。戦争に反対だろうが、賛成だろうが、どっちにしたって逮捕!? 現実はつくられた話よりも何倍も奇異で深刻です。
https://twitter.com/Hmaru_ru/status/1503140933793366019
なかなか笑える心境にはなりませんが、ロシア人の小咄(アネクドート)の「プーチンもの」を拾ってみました。こういうときだからこそ、全能者気取りの独裁者は笑いとばし、笑い倒さなければと思います。といっても、たいしたことはないのですが…。
ロシアでもこういう風刺が大っぴらにできる姿に早く戻れるよう、ロシアのニュース番組のキャスターの後方で「戦争反対!…プロパガンダを信じないで この人たちは嘘をついている」のフリップを掲げ、連れて行かれたという一人の勇気あるスタッフを見て、思いました。黙っていれば、一見生温いこの国だって、どうなるかわかりません。
BBC News Japan on Twitter: "BBCニュース - 生放送中に「戦争反対」のプラカード ロシア国営テレビで https://t.co/vdDq7PJyg4… "
〇クレムリンの祝賀式典でエリツィンはプーチンに核のボタンのついたケースを渡しました。後でプーチンを脇に連れて行って、最高の国家機密を伝えました。「そのボタン、こわれてんだよ」
〇クレムリンでの記者会見にて、
――大統領、柔道に熱中しているようですが、どのような技の原理を政治に用いていますか?
――大事なのは、ライバルの小股すくい
(※原文は「小股すくい」ではなく「投げる」だが、「投げる」には俗語で「欺して奪う」の意味がある)
〇国歌に関するプーチン大統領とのインタビューから、
――新国歌演奏の際は必ず起立することになるのでしょうか?
――各人には選択の自由というのが与えられるでしょう。起立したくない人は(「別荘」で)座ることになります。
(※「座る」という動詞には俗語で「刑務所に入る」という意味がある)
(以上、さとう好明『ロシアのジョーク集』、2007年、147-148頁より)
〇大統領選挙前、チュクチ人のもとへ、モスクワから人道援助物資が届けられた。中身は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、肉の缶詰だった。
チュクチ人はラジオをつけてみた。そこではプーチンが話していた。チュクチ人はテレビをつけてみた。そこにはプーチンが出演していた。チュクチ人は新聞を開いてみた。そこには、ページごとにプーチンの顔写真があった。雑誌を開いても――同じだった。
チュクチ人は動揺に震えた。缶詰を開けるのが恐ろしかったのだ。
(※チュクチ人はロシアの東端、アラスカの対岸に居住する少数民族)
〇 2000年3月の大統領選挙の際、民主主義者で反共産主義の人が、選挙前に尋ねられた。
――ジュガーノフ(共産党)とプーチン、どちらに投票しますか?
――ジュガーノフです。
――なぜですか? あなたは共産主義者が嫌いでしょう?
――昼間っから党委員会に呼び出される方が、真夜中にルビヤンカに引っ張られるよりマシですからね。
(※ソビエト時代では、党委員会は、工場や施設において反体制的な考えを持つ者を呼び出して、批判し断罪する場所だった。他方、「ルビヤンカに行く」ことは、「反ソビエト的プロパガンダの罪でKGBに逮捕される」ことを意味した)
〇クレムリンにプーチン宛の手紙が届いた。
「親愛なるヴラジーミル・ヴラジーミロヴィッチ!
法によって保障された私の年金の、2000年1月から2月までの分は、
一体いつ支給されるのでしょうか? 敬具
年金生活者、ボリス・エリツィン」
(※エリツィン政権時代、何百万人ものロシア人が賃金や年金の受給を止められエリツィンに反感をもっていた。エリツィンは引退して同じ境遇となるはずが…)
(以上、2000年7月~9月 しゃりばり/アネクドート2000年)
〇ロシアの監獄で囚人たちが話し合っていた。
――わしはフルシチョフのときも、ブレジネフのときも投獄された。エリツィンとゴルバチョフのときは無事だったが、プーチンになってまたぶち込まれた。
――あんたは暗黒街の顔役なのか?
――わしはアネクドートを作っただけだ。暗黒街の顔役は皆、政権に入っている。
〇プーチン大統領がモスクワの学校を訪れ、授業を視察した。すると、生徒のイワンが大統領に質問した。
イワン「大統領、二つ質問があります。一つは、ベスランの学校占拠事件で治安部隊に突入を命じたのは誰ですか? 二つ目は、チェチェン戦争のきっかけとなった99年のアパート爆破事件は誰の犯行ですか?」
プーチン大統領が答えにたじたじとなっていると、突然、終業ベルが鳴った。再び始業ベルが鳴り、大統領が教室に入ると、今度はミーシャが質問した。
ミーシャ「大統領、四つ質問があります。一つは、治安部隊に突入を命じたのは誰ですか? 二つ目は、アパート爆破事件の犯人は誰ですか? 三つ目は、終業ベルがなぜいつもより早く鳴ったのですか? 四つ目は、イワンはどこへ連れて行かれたのですか?」
(以上、おそロシア! と言わざるを得ないプーチンジョークまとめ | 大学入学・新生活 | 学生トレンド・流行 | マイナビ 学生の窓口)
毎日新聞・外信部記者の篠田航一氏がこう書いていました。戦争前の2月6日付の記事です。
ジョークから考えるウクライナ問題 「ロシアに逃げた犬が戻ってきた。なぜ?」 | 世界時空旅行 | 篠田航一 | 毎日新聞「政治プレミア」
……キエフでは2014年3月、かつて北海道にも来たことがあるという60代の元船員ワシーリー・チョースさんからこんなジョークを聞いた。
「騒乱で経済がまひしたウクライナから、ついに犬までエサを求めてロシア側に脱出した。でもすぐに戻ってきた。ロシアでは自由にほえることができなかったからだ」。当時はちょうどロシアによる一方的なウクライナ領クリミアの編入が進行中だった。
<中略>
欧米との距離についても以下のような小話を聞いた。ウクライナ人の親子の会話だという。「パパ、僕たちウクライナ人とロシア人は本当に兄弟なの?」「そうだよ」「でも仲悪いよ」「兄弟はどんなに仲が悪くても離れられない。でも西欧や米国は友人だ。彼らは都合が悪くなれば、すぐに離れていく」
本当に欧米はウクライナを助けてくれるのか。この小話からは、人々のそんな不安がうかがえる。
ジョークではないが、ウクライナには「泣く人を信用するな」という格言があるという。長引く混乱の中でも涙を見せず、確かにタフでユーモアあふれる人が多かった印象だ。
印象深いのが、14年7月に起きたロシア・モスクワ地下鉄事故の直後のこと。多くのキエフ市民が事故の犠牲者を追悼し、ロシア大使館前に花を手向けていたと報じられた。私は当時キエフにいたが、たとえロシアとの紛争の最中でも、ロシアの人々を思いやるこうした健全な市民意識は失われていなかった。精神的にタフな人たちだと思った。
<以下略>
笑いに込められている思いが身にしみる感じです。
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