ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ゼレンスキー演説を見て

 昨日の夕方、テレビでウクライナのゼレンスキー大統領の日本(国会)向け演説を見ました。注目度が高かったのか、NHKも主要民放もみんなLIVE中継をしていて、放送していなかったのは、Eテレとテレ東と、あとは(小生の見ているチャンネルでは)千葉テレ…くらいでした。
 米国向けの演説で日本の真珠湾攻撃の歴史に言及したり、ドイツ向けではノルドストリーム(ロシアードイツ間の海底天然ガス・パイプライン)を批判したりと、割と各国の「琴線」に触れる話もしているので、日本向け演説では何を言うのかと、一部は戦々恐々としていたというのですが、実際の話の内容はかなり「穏便」で、マスク越しにあくびをする大臣もいたくらいです(おそらく、日本政府の事前調整の内容を承知していたので、緊張感が薄かったのでしょう)。立憲の泉代表が、数日前に、演説内容は「あくまで両国合意の範囲にすべき。それが当然だ」とTweetして一部から批判を浴びていましたが、実際には非公式にこれが実践されていたと小生も感じました。
 朝日新聞の3月23日付記事にはこうあります。

https://digital.asahi.com/articles/ASQ3R4175Q3QUTFK029.html?pn=6&unlock=1#continuehere

……「リモートでというのは例がない。新しい形だ」。22日の衆院議院運営委員会で演説日程を正式に決めた後、山口俊一議運委員長は記者団にこう語った。
 今回、過去の外国首脳や元首らの国会演説と同じように、各議員には衆参議長名で案内を出した。山口氏は、これまでの国会演説と同じ位置づけになると説明する。だが前例のない取り組みは、異例ずくめだ。
…演説方法も緊迫するウクライナ情勢を踏まえ、事前に録画したものを上映することが検討された。ただ、生中継するのか録画で対応するのか最終判断はウクライナ側に委ねられ、「演説の臨場感」を理由に生中継形式となった。
 ただ生中継での演説になることで、日本側が事前にゼレンスキー氏の発言を把握することは難しくなった。演説内容を両国間で事前に調整することがほとんどないままとなるため、「日本企業はロシアから全部撤退しろと言うのでは」(閣僚経験者)という臆測や、「何を言い出すか心配だ」(自民幹部)と懸念する声もあがる。
 そうした懸念を少しでも払拭(ふっしょく)するため、ゼレンスキー氏の米国議会での演説内容を踏まえ、演説実施に関わった議員の一人はウクライナ側に「真珠湾攻撃には触れないでほしい」と要望したという。

<以下略>

 しかし、実際の「要望」は真珠湾のことだけだったのでしょうか。

 ゼレンスキー大統領の演説は技術的にというより内容的によく練られた印象をもちます。この戦時下にして、側近によい知恵袋がいることを想像させます。彼の演説の骨子は、当然のこととはいえ、
 ①自国ウクライナへの支援、
その裏返しとしての
 ②ロシアへの非協力ないし制裁、
そして
 ③各国の歴史と文化への言及 です。
特にこの③で、その国の人びとの感情を揺さぶるフレーズを持ち出すのが上手です。
 米国では、真珠湾や9.11について言及しました。イギリスでは、チャーチル首相のことば「どれだけ犠牲を払っても我々の島を守る。……決して降伏しない」を援用しました。日本では、「アジアのリーダー」という自尊心をくすぐるやや古めかしい単語を出してきましたが、福島原発の事故と避難について共感的に述べることを忘れませんでした。

 ただし、もし、日本側が事前に何らの働きかけもせず、ゼレンスキー大統領側がフリーで演説したらどうなっていたでしょうか。彼個人に、直接的な軍事支援を躊躇するNATOEUへの恨みはあるにしても、ノルドストリームを「経済活動」と釈明したドイツに対してウクライナの安全よりも経済を優先させたと批判したように、あるいは、フランスに対しては、自動車大手のルノーなど3社を名指ししながら「ロシアの戦争への支援をやめるべきだ」と訴えたように、日本に対しても、ロシアへの支援を止めるべきだという具体的な主張が出てきてもおかしくはありません。
 象徴的なのは、岸田政権が何度訂正を求められても今年度予算案から削除しない21億円のロシア経済協力費用です。その中には「アベ予算」ともいうべき2016年にアベ首相とプーチン大統領間で合意した日本からの経済協力金が含まれています。ゼレンスキー大統領側がどこまでこの事情に通じているかはわかりませんが、知っていれば、ドイツやフランスと同様に批判されてもおかしくない話です。

 日本政府はそれを持ち出されると困ると考えたでしょう。だから裏で手を回した可能性はあります。しかし、ドイツやフランスの政府だって、そういうのは同じで、持ち出されたら都合が悪いに決まっています。それでも、ゼレンスキーが言及するのを止めたりはしなかった。それは、隠したりしたら非を認めることになるから。そういうことをしないのは、公の場で、言論によって、是非を判断するべきだという意識があるということなのでしょう。互いに言い分があるのならぶつければいい。「対決」というほどのことはないにしろ、「対話」を通じて衆目の中で白黒をつける。なぜ、日本はそうではないのか。そこに、この20年以上続く体たらくのひとつの根があるよう思います。「彼ら」は相手の顔を見ようとしないのです。

 鬱屈とした不快の念を覚えますが、作家の適菜収(てきな おさむ)さんの3月23日付コラムを読んで溜飲を下げました。以下に引用をお許しください。

ゼレンスキー国会演説直前で右往左往する人たち【適菜収】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

……つい最近までプーチンの飼い犬だった安倍晋三という男が《「核抑止の議論」必要 議論もさせないのは「日本の危機」を前に思考停止に陥っている 賢明な政治家や国民は目を覚ましたのでは》などと与太を飛ばしていた(「zakzak」3月12日)。
 いや、核抑止の議論を批判しているのではなくて、思考停止した安倍みたいなバカが中途半端な知識で核抑止の議論をしていることが「日本の危機」だと言っているのにね。
 さらには戦争が始まって興奮したのか、テレビ番組で「私たちが作った国際秩序に対する重大な挑戦だ」とも語っていた。戦後の国際秩序をつくったのは連合国である。夜郎自大とはこのことだ。
    *
 夜郎自大の語源は「史記」にある。夜郎の君主は、漢の使者と会った際に、自国と漢ではどちらが大国であるかと問うた。大国の漢からすれば、夜郎などは取るに足らない辺境の一小国である。こうして夜郎自大は「身の程を知らず尊大ぶっているたわけ者」を意味する故事成語となった。
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 一部メディアで、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会オンライン演説で安倍とプーチンの蜜月関係を批判するのではないかと報じた。これは事前にきちんと説明したほうがいい。蜜月どころか、飼い犬、せいぜい鴨ネギか、歩くATMといったところだと。
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 いや、飼い犬未満かもしれない。それには根拠がある。安倍は2017年2月24日の衆院予算委員会で、プーチンの飼い犬の秋田犬「ゆめ」について、「見た目が結構迫力があったもので、少しこわごわ手を出したところ、ペロッとなめていただいた」と敬語を使っていた。犬の世界にも序列があるのだろう。
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 安倍が近畿大学の卒業式にゲストとして登場し「これからの長い人生、失敗はつきもの。何回も失敗するかもしれない。大切なことはそこから立ち上がること。そして失敗から学べれば、もっとすばらしい」と発言。失敗から何も学ばなかったのが安倍の人生である。そして世の中にはとりかえしのつかない失敗があるという真実も、理解できないのであろう。バカに総理をやらせた結果が、日本の主権を棚上げし、持参金と一緒に北方領土を献上した究極の対ロ売国外交である。

<以下略>



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