ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

トルストイ『文読む月日』より 1

 今月からトルストイ『文読む月日』を読んでいる。長く手に入らず、古本も高価だったが、今月初めに入った本屋でたまたま見つけて即刻キャプチャー(誰も買わないって! 笑)。運命的なものを感じて久しぶりに気分が高揚した。
 ちくま文庫版で上中下3冊、本文だけで1700頁余あるが、夜寝る前に一日分ずつ読み進めれば、来年の9月末には読み終えられる。一年が平穏に過ぎて、滞りなく読み進めることができればよいが…。

 昨日10月12日は父親の月命日。その前日は母親の月命日。二日分からの引用。

《10月11日》
……
 (二) どこを探しても、なんらかの点で自分よりもっと悪い奴を探しだせないような悪者、したがってなんらかの自己満足の種を探しだせないような悪者というのは、一人もいない。 
……
 (五) 自分の良心の要求に従って、自分の住んでいる世間の因習を棄て去る人間は、大いに自らに対して厳しく、注意深くなくてはならない。彼のいっさいの過ち、いっさいの弱点が、さらに、何よりもいったん決意したことの翻意が、その人に対する非難の種となるであろうから。

 (六) 正しく生きることによって悪しき人々の迫害を受け、善を遵守することによって彼らの嘲笑を招いても、嘆き悲しまぬがよい。本来善行とは、通常悪しき人々の憎悪を招く性質のものである。悪しき人々は正しく生きようと願う人を妬み、他人の名誉を傷つければ自分が正当化されると思って、善良な人々を己の敵対者と見なして憎み、躍起になって彼らの生活を中傷するのである。されど心挫けぬがよい。けだし悪しき人々の憎悪こそ、善徳の証であるから。         (金口ヨハネ

 (七) 世間一般の習慣にそむいて、世間の人々を苛立たせるのはよくない。しかし世間の習慣に迎合して良心や理性の要求を斥けるのは、もっとよくない。

 山本太郎さんにエールのことば。これは自身にも向けるべきか。

《10月12日》
……
 (二) 偉大な賢人が権力を持つとき、人民はその存在に気づかない。たいして賢くない人が権力を持つとき、人民は彼の命に従い、彼を褒めそやす。もっと賢くない人の場合は、人民はこれを恐れる。さらにもっと賢くない人の場合は、人民はこれを軽蔑する。                           (『老子』)
……
 (四) 力は――相互の愛のなかにあり、弱さは――相互の敵対関係のなかにある。愛による合一によってわれわれは生き、不和による分裂によって――滅びる。
                           (リュシー・マローリ)

(以上、北御門二郎訳、下巻、58-64頁)

 誰かが、与党は「利権 リン」、野党は「理念 リン」でまとまろうとすると言っていた。一音違いだが、えらい違いだ。しかし、それゆえにか、野党とその支持者のなかには「小異」を「小異」ととらえられない傾向のある人も見える。

 賢くなさ過ぎる権力への軽蔑が長すぎると、もはや軽蔑することにも倦んで、無気力無関心だけが増大していくようだ。

 明日衆議院は解散される見通しだという。大事な局面が迫るなか、「不和による分裂」など続けている場合ではないと思う。




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