戦後80年。戦争体験者の回顧や証言を数多く目にします。小生は「体験者」ではないし、親世代から聞いた話でしか、80年前の戦争の実相(生活者目線)はわかりません。しかも、その親世代は当時まだ若年(子ども)でしたから、物心ついたときにはもう戦争の「真っ只中」にあったはずです。
たとえば、小生の親よりも若い世代ですが、プロ野球選手や監督、解説者などで知られる権藤博さんは、当時の記憶は、恐怖よりも空腹だったと言っています。
連投続きに感謝の念 権藤博さんが語る戦後80年―戦時の記憶、球界の移ろい:時事ドットコム
◇ざらざらの飯
佐賀県出身の権藤さんは、6歳で終戦を迎えた。戦時中は近くの寺で学び、空襲警報が鳴れば山の中を駆けて帰宅。夜中に背中が痛くて起きてみると、防空壕(ごう)に運ばれていたこともあった。
当時の記憶は「怖い」より「腹が減った」。主食は芋と芋づる。「白飯なんか食えない。ヒエやうどん粉を混ぜるから、飯はざらざら」だった。遊びはもちろん野球。「稲刈り後の田んぼが球場。カーンという音を出すため、(ボールは)石に毛糸を巻いた」と懐かしむ。
◇花咲けて感謝
連投に次ぐ連投に臨んだ様子を表現した「権藤、権藤、雨、権藤」のフレーズは、野球ファンにおなじみ。中日1年目の(19)61年は69試合に登板し、今も新人最多記録として残る35勝をマークした。先発後は2日間の救援待機を挟み、出番がなければまた先発。32完投、12完封という驚異の数字が並んだ。
兵役に就いた経験を持つ濃人渉監督に「肩が痛くても命まで取られやせん」と鼓舞された。連投を物ともしなかったのは、とにかく「腹いっぱい食べたい」という原体験があったから。……
腹をすかしていたのは子どもだけではなかったようです。小生の父親によれば、戦時中の夏のある日、何か用があって二人の兵士が我が家を訪ねてきた折、上等兵がうちの者(祖父か曾祖父)と長話をしているうちに若い兵士が離れ、庭の畑になっていたナスだかキュウリだかを2、3個くすねて、かまどの裏に隠れ、音を立てないよう口の中に押し込むようにして食べていたのを見たとのこと。この話には、この時のことではありませんが、別の兵士が、食うものがなかったのか、〇〇の皮をはがして食べていたという話がだいたい付け足しされるので、子どもの小生にはとても気味が悪くショッキングだった覚えがあります。
こうしたリアルな現実はそれなりに貴重だとは思います。実際、戦後から80年の今日、戦中の実体験を語れる人はますます少なくなっているのですから。しかしながら、悲惨な体験や苦労話を発掘し、世に知らせるところにとどまっていてよいのか。極端なことを言えば、そうした経験談を(ニュースとして)「費消」していくだけの、いわば「年中行事」で終わっているのではないかと危惧します。
日本国で言えば、被爆国として核兵器廃絶のメッセージを発しても、核兵器禁止条約には加わらない。これは、戦争一般には反対だけれども、実際に起こっている戦争を止めようと自ら動くことはしない――「注視」するとか、「重大な関心」をもって情報を収集しているとか、いろいろと言いますけれども、結局やってることは「傍観」です――そうした「ふるまい方(行動原理)」の背景をなしているようにも思えるのです。
単なる「費消」で終わらせない「語り継ぎ」、そして「記憶のつなぎ方」。今朝の毎日新聞のオピニオン欄「戦時の記憶 どうつなぐか」に掲載された記事は目を引くものでした。日本近現代史が専門の加藤聖文さんはこう言っています。
mainichi.jp
……戦後60年ごろまでは、当時20歳以上で社会に出ていた人たちがまだ多くいた。彼らは、社会全体を冷静に俯瞰することができ、戦争の悲惨さだけでなく複雑さも語ることができた。
戦後70年以降になると、当時子どもだった人が増え、語れることの範囲が親子、家族、学校での話にとどまることが多くなった。家族の悲劇を語ることは大きな意味があるが、広く社会が共有すべき話かというと必ずしもそうではない。子ども時代の記憶は断片的で、その後の価値観で再整理され、悲劇的なストーリーとしてまとめられてしまうことも多い。
日本のメディアは、読者の感情に訴え、戦争体験者の話を悲劇として伝える傾向が強い。ただ、悲しみばかりを強調すると、怒りや憎しみの部分も強く出てくる。
満蒙開拓団の体験者の例で言うと、自身に直接的に悲劇をもたらした旧ソ連軍やロシア人がいかにひどいか、許せないかという話になりがちだ。一方で、なぜそうした事態がもたらされたのかという背景、植民地支配などの歴史に触れられることはあまりない。
日本のメディアは加害者と被害者を明確に分け、善悪二元論に立って伝えるケースが多いが、現実の戦争は単純ではない。……
……インターネットが普及した現代は、だれもが結論を早く求めようとする。ネットで検索すれば「戦争の当事者のどちらが正しいのか」についても一定の「答え」が出てしまう。だから、複雑な戦争を次世代に伝えるのは難しい。
私の世代はまだ祖父母からリアルに戦争の話を聞くことができた。今は戦争の実感がなく、想像すらできない。例えば、テレビドラマで、中国大陸で日本軍が中国人を殴り、ものをぶんどってくるシーンがあっても、若い世代ではなかなか理解できない。自分の周辺にそんな人はいないし、戦場での暴力的な日本人が想像できない。
そんな中、ネットで「日本兵」や「略奪」などのキーワードで調べると、「日本兵は悪くない」などの言葉が見つかる。自分の思っていたイメージと合致するので、「ドラマでやっていたような話はうそだ」と考える。自分とは違う見方を流すマスメディアは「中国共産党の影響を受けており、反日だ」と決めつけてしまう。
「南京虐殺はなかった」と主張する人は従来も存在したが、以前は資料をもとに一定の議論ができた。現在、「虐殺」はなかったと主張する人らは自説を疑うことがなく、議論が難しくなっている。
体験者が年々少なくなる中でかぎになるのが、体験者の話を語り継ぐ「戦後世代の語り部」だ。2016年度から厚生労働省が後押ししており、私も育成にかかわっている。戦後世代が、中国残留邦人から体験を聞き取り、歴史を学んだうえで、語り部になる。既に13人の語り部が各地で活動中だ。
語り継ぐことと並び、アーカイブズの役割も重要だ。戦争体験者が亡くなり、手紙や日記、軍装品が残されても、遺族が処分することも多い。国がアーカイブズを作り、保存することが重要だ。……
学びながら引き継ぐ――アーカイヴズの保存にしても、「学び」がなければ、その価値に思いは至らないでしょう。
学びの端緒になりうるTVの番組構成も、昔と比べ、ずいぶん変わりました。単体でのドキュメントやノンフィクションは不人気のようで、ニュース報道はおろか教養番組までバラエティー化して、夕方のニュース番組?を眺めていると、どの局も毎日の食い物情報の更新に忙しそうです。まあ「食通」は増えそうですけれど……。
