今朝の毎日新聞「記者の目」に以下のような記事がありました。「戦争はまるで影のように、どこまでも日本社会に付きまとっている」という言葉が重く感じられます。戦後80年の日本でなお尾を引く「戦争」――ウクライナやガザや、その他の人々のことを想像しないわけにはいきません。肥沼直寛記者の記事より引用させてください(引用中の人名をアルファベットにした箇所があります)。
記者の目:長く人々を苦しめる戦争トラウマ 進行形悲劇、真の実態調査を=肥沼直寛(くらし科学環境部) | 毎日新聞
太平洋戦争での過酷な戦争体験のために、多くの旧日本軍兵が戦後もトラウマに苦しめられた可能性が近年、語られ始めた。戦後80年に向けて、1年近くにわたって子ども世代を中心とする家族の集まりを取材してきた。親子関係を築けなかった過去を悔いるなど、戦争はこんなにも長く人々を苦しめるのかと驚いた。戦争はまるで影のように、どこまでも日本社会に付きまとっている。いまだ残る戦争の爪痕の一端が見えてきた。
市民グループ「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」(黒井秋夫代表)は2018年から活動し毎月、集まりを開いている。当事者同士で語り合う集まりを取材し、父の暴力や酒浸りの生活、無気力な言動などに、それぞれが違った苦しみを抱えて生きてきたことを知った。ただ、黒井さんによると、父からの暴力の影響で精神的に不安定な状態のため、定期的には出席できないメンバーも多いといい、根深さを感じた。
集まりでKさん(73)は「父のことは死ぬまで理解できませんでした」と語った。子どもにそう思われるなんてどんな親なのかと思い、詳しく話を聞いた。
父Sさんについて、Kさんは「家族や他人に関心がないように見えた」という。中学生だった兄が病気で手術を受けた際、大量出血した。だが自宅から歩いて駆けつけられる入院先に、父が見舞いに来ることはなかった。「親子関係を諦めていた」と振り返る。
仕事は長く続かず、稼ぎはほとんど家庭に入れなかった。生活は苦しく、母が工場勤務などで支えた。
両親の関係も冷え込み、離婚している。父の死後、1人暮らしをしていた部屋をのぞいたが、交友関係をうかがわせるものは見つからなかった。孤立した末の死に「父らしい」とさえ思った。
だが、「心が冷たい父親」という見方は、ある時に変わった。22年夏、戦争トラウマについて紹介したテレビ番組で、復員後も定職に就かずに無気力だった元日本兵や、親子関係を築けなかった子どもの存在を知った。自身の父と重なり、家族会に参加するようになった。
「もっと話してくれていれば気持ちも分かった。今は想像することしかできない」。Kさんは家族会の集まりで後悔の念を隠さずに語った。
母が生前語っていたことを思い起こした。父は戦時中、開拓団として中国東北部に渡った。2人の子どもを風呂に入れたり、おんぶして畑に行ったり、「子煩悩だった」と母親からよく聞かされた。敗戦直前に父は徴兵され、残された母はソ連侵攻で子どもを連れて逃げたが、逃避行の中で子2人は餓死した。シベリア抑留を経験した父は戦後、体験を一切語ろうとせず、悲劇的すぎるためか母の話も要領を得ないことがあった。……
研究者らによると、戦争で心を病む兵士がいることは、第一次世界大戦(1914~18年)の頃から指摘され、日本では戦争神経症と呼ばれた。だが、精神の強さを強調する旧日本軍は患者の存在を否定した。戦後も長らく、当事者や家族は「恥」と考える意識が強く、多くを語らなかった。家族会の取り組みで、証言が掘り起こされてきたのは近年になってからだ。……
日本は侵略国で、アジア諸国の人々に多くの苦しみを与えたことは忘れてはならない。一方で、多くの日本兵は赤紙一枚で戦場に送り込まれた末に、戦後も心の傷に苦しんだ。子や孫世代まで影響は及び、暴力の影響のため気持ちが不安定で、支援が必要な当事者もいる。
歴史は現代と地続きだと言われる。いや、戦争の被害は現在進行形とさえ言えるのではないか。……
