ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

杉田水脈氏の「教育勅語」

 webを眺めていて、自民党杉田水脈衆院議員がX(ツイッター)に、教育勅語には「なに一つおかしなことは書かれていません」、児童虐待やいじめの防止に役立つので、「学校の先生にこそ、知ってほしい内容です」と投稿したという話を知りました。これには一言あります。
https://twitter.com/miosugita/status/1759126897685053455
杉田水脈氏、教育勅語を礼賛「なに一つおかしなことは書かれていません」 - 社会 : 日刊スポーツ

 杉田議員はおそらくご存じないのでしょうが、ふつうに大学で教職の単位を修得した先生方は、教育勅語の内容と意義くらいは学ぶので、当人が忘れているかどうかはともかく、教育勅語(の概要)をまったく知らない、聞いたこともないという学校の先生はいません。しかも、その「勘所」がどこにあるかもたぶんご存知で、教育勅語は、杉田議員が掲げた「十二の徳目」で言えば、最後を飾る「お国の為に真心を尽くしましょう」を頂点として、秩序に従い、法律や規則を守り、……子は親に孝養をつくすという徳目が(下降するように)並ぶ「構成」になっています。要するに、徳目がたくさん並んでいても、最終目標はすべて「お国のため」であって、これと結びつかない「親孝行」、「兄弟姉妹愛」、「夫婦愛」、「友愛」、「博愛」、「勉学」、「人格向上」などはNGという「建付け」になっているわけです(本当は、この「お国」と「皇室」がくっついているところが問題なのですが、それは後述します)。

 だから、今で言えば、マイナ保健証がうまく機能しないと医療費が100%自己負担になってしまって、自分の親が困る、兄弟姉妹が困る、夫や妻が困る、友人が困る……など可哀想だからと、親孝行心や兄弟愛、夫婦愛などから(!)マイナ保健証は使いたくないのだと言っても、それが「お国のためにならない」ということになれば(と、河野大臣が思えば!)通らないということですし、勉学を重ねた結果、原発地震大国日本では危険だから止めて、別の電力供給の方法を考えた方が世のため人のためだという結論を得たとしても、「お国の政策」に合わないと判断されれば、そんな勉学は推奨されないということです(もちろん政権交代が起きれば別ですが)。

 実際、この教育勅語が「機能」していた戦前・戦中の時代は、そんな国策レベルの話どころか、ささいな疑問や意見でさえ差し挟めなかったわけで、「上官どの(あるいは先生)、自分はそれはおかしいと思うのですが……」などと口にしようものなら、「歯を食いしばれ!」と鉄拳制裁されるのがオチでした(親の世代から聞いた話です)。上下関係が絶対ですから、上の者は下の者に対してかように威張りちらし、下の者は卑屈になって、さらに下の者に当たり散らすという悪循環、というか下向きのスパイラル、まさにこれが「いじめの構造」の骨格ではないかと思います。
 そして、戦争に負けたらどうなったか。今まで下の者に威張り散らしてきた「上の者」は、こぞって自分は「命令」どおりに動いただけだと言い、今度は上向きの「責任」の押しつけ合いのスパイラルが発生しました。事に失敗して、甚大な被害が出ているのに、指導者たちが責任をとらないで許されるなら、何だそれは?ということになり、それが押し通されれば、モラルは崩壊していくでしょう。これも教育勅語による教育の一つの帰結でした。だから、戦後の教育は体系として「教育勅語」を否定しました。「お国のため」に注がれる「徳目」は、結局のところ社会と人を国家権力(者)の都合で動かすことにつながって、個々の国民はおろか権力者自身からも倫理や責任感をそいでしまうからです(だからといって、「戦後教育」が「成功」だったとは申しませんが)。

 今の自民党の裏金議員たちの生態を見ていると、この無責任体系が「権力者」たちのあいだで露わになっている感じもします。「自分は派閥から言われてお金を受け取っただけだ」とか、「派閥の幹部は責任をとるべきだ」とか……。自から議員辞職して一からやり直す、その上で派閥の幹部を批判する、そういう人はいないのでしょうか。杉田議員も確か派閥からキックバックを受け、政治資金収支報告書を「訂正」していたはずですが、数字を「変更」してしまえば、自らの所業が消えてなくなるとでもお考えなのでしょうか。今の立場で、自身が投稿している教育勅語の徳目の「九 徳器成就」とか「十 公益世務」とか、他人に向けてこうした方がよろしいと発信するには、けっこう重い言葉のように思えますが……。
自民・杉田水脈なでしこの会「裏金1564万円」に《公金チューチュー議員はあなた》と大ブーメラン|日刊ゲンダイDIGITAL
イタリアンに38万円、焼き肉22万円…裏金事件巡り収支報告書訂正 | 毎日新聞

 しかし、そもそも「勅語」というのは天皇が発する言葉(意思)で、「朕(ちん)(おも)フニ」で始まる「教育勅語」は、天皇と臣民という関係を前提にして、何かあったら「皇運ヲ扶翼スベシ」(皇室を守るべし)と書かれています(「皇運」を「祖国」などと現代語訳(誤訳)しているものもあります)。杉田議員の掲げた「徳目」で言えば、「十二、正しい勇気をもってお国の為に真心を尽くしましょう」の「お国」が原文で言えば「皇運」です。なぜ「皇運」を「祖国」や「お国」に読み替えなければならないのか。作家の高橋源一郎さんはふつうに現代語訳して、改めて読み直したら「これ、マジ引くよね……」と書いてましたが、そもそもそういう部分を隠したり、曲解したりして、杉田議員は「教育勅語には、なに一つおかしなことは書かれていません」などと投稿しているわけです。
高橋源一郎、今話題の「教育勅語」を現代語訳 「わかりやすい」「ドン引き」など賛否の声 | ニュース | Book Bang -ブックバン-

 杉田議員は、おそらく自分でもよく内容や「歴史的意味」のわからない文言を持ち出して、学校の先生に「知ってほしい」と書いているように思いますが、想像するに、自ら「教育勅語」の原文を読んだわけではないのでしょう。そもそも自身が掲げている「徳目」とやらを日々実践できるかどうかでさえ、相当ハードルが高いと思われますが、それを家庭や学校でしっかり教えるべきだと書いているわけです(小生にとっては、大義名分だけとはいえ、自分ができもしないことを他人にやれというのはモラルが壊れます)。児童虐待やDVの深刻さがわかっているようにも思えないのに、「教育勅語」を教えることが「一番の近道」=「処方箋」にしてしまえるこの国会議員には、無知(無恥)というか、上滑りや根無し草というか、改めて有害だと感じた次第です。



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