ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ガッサーン・カナファーニー「彼岸へ」

 昨日、国連の安全保障理事会でガザ停戦決議案が否決されました。アメリカが拒否権を行使したからです。言われているとおりにイスラエル軍ガザ地区南部への侵攻作戦を進めれば、ガザの人々には行き場がありません。すでに死傷者は2万5千人を超えているという報道もあります。ブラジルのルラ大統領は、「ヒトラーユダヤ人を殺害すると決めたとき」と同じくらい類例がないと、イスラエルを強く非難しました。
 アメリカ政府は、拒否権行使の一方で、ナワリヌイ氏の死亡に関してはロシアに制裁措置をとるそうです。広報官は「ロシア政府が世界にどう説明しようとも、プーチン大統領とその政府がナワリヌイ氏の死に責任があることは明白」だと説明しました。おそらく失笑が漏れていることでしょう。逆に、「アメリカ政府が世界にどう説明しようとバイデン大統領とその政府がガザの多くの人々の死に責任があることは明白」です。誰がどう見ても顚倒矛盾しているのです。誰も助けない、誰からも助けてもらえない……国際社会は見て見ぬ振りをする――そんな絶望とシニシズムを蔓延させるようなことをまだ続けるのかという思いがします。
アメリカが拒否権行使し否決 ガザ停戦決議案 国連安保理 | NHK | 国連安全保障理事会
ブラジル大統領、ガザ情勢をホロコーストになぞらえる イスラエルは強く批判 - BBCニュース
米、大規模対ロ制裁を23日に発表 ナワリヌイ氏死亡を追及 | ロイター

 36歳で亡くなった(1972年に爆殺された)パレスチナ人作家ガッサン・カナファーニーの短編集を読みました。小生のような軽薄な人間には重すぎる文章ですが、彼のことが先週の「長周新聞」の記事でも取り上げられていることを知りました。
パレスチナ難民が抱えてきた苦渋の体験と感情世界を描く パレスチナ人作家カナファーニーの短編 | 長周新聞

 小生が読んだのは河出文庫の短編集ですが、タイトルにもある「ハイファに戻って」をはじめ、たとえフィクションであっても、おそらく「事実」としてあった話だろうと感じました。その中で、「彼岸へ」という短編は、タイトル自体も特異ですが、そのスタイルもまた異質で、正体不明の人物がほぼ一方的に話し続ける形式で、考えようによっては「パレスチナ人の語り部」のようにも思えます。その中に、パレスチナの人々の心情を察するに、それがよく現れている(ように思う)箇所があります。もう半世紀以上も前の文章ですが、古い感じはまったくしません。少し長くなりますが引用します。

……旦那さん、あんた達は俺を溶かしてしまおうとしましたね! そのためにまあよくも、まるで疲れることも倦きることも知らぬげに、不断の尽力をしてくれましたね。……そう、一人の人間から一つの状態へとね。そう、ですから、この俺というのは、一つの状態なんですよ。それ以上のものでは決してねえんだ。たとえそれ以下であることはあっても。俺は一つの状態なんだ。俺たちは一つの状態なんだ。そうだからこそ俺たちは驚くほど平等なんですよ。旦那、これは驚くべきことですよ、まったく途方もねえことですよ。……あんた達は、この百万人もの人間から一人一人が持っている各自の特性ってやつを喪わせちまったんですよ。あんた達には、一人一人を見分ける必要なんかねえんですよ。だってあんた方が目の前にしているのは、状態なんですから。もし、あんた方がそれを盗っ人の横行する状態だと呼びたけりゃあ、あんたの前にいるのは俺達盗っ人の集団てことになるんですよ。もし裏切りの横行する状態だと言えば、俺達は裏切り者の集団てことにだって、なるんですよ。
<中略>
……ねえ、旦那さん、俺はあんたの目をもっと他の多くのことに向けたいって思うんですよ。あんたは騒ぎをおこす不平分子は皆パレスチナ人だってでっちあげることで、あんたの同胞の忠誠心を前より確かなものにすることができるんですからね。もし、あんた方のもくろんだ企ての一つがうまくいかなかったら、その原因はパレスチナ人だと言ってみなさいよ。え! どうやればいいのかって! 何もそんなことは、時間をかけてまで考えることなんかじゃあないでしょうが。たとえばパレスチナ人がその現場を通ったとかなんとか言えばいいいいんですよ。でなきゃあ、やつらは平素から面倒なことの片棒をかつぎたがっていたって言ったっていいでしょう。いや何だっていいんです、あんたの考えたことに歯向かうような奴はいないでしょうからね。どうして歯向かったりしますか? あれから十五年もたったいま性懲りも無く身の破滅だってわかっているのに、やみくもに自分を危ない目にあわすような無茶を誰がしますか?
 ねえ、旦那さん、あんたも俺たちがしばしばただ御慈悲をかけてもらうのを待っているだけの、あわれなものにされているのを見ているでしょう? あんたたちは気を重くすることも、恐怖も、良心の呵責ってやつを感じることさえなく、俺たちの一人を吊し首にしてその死体をみせしめにして、千人の人間に教訓をきざみこもうとするんですからね。けれどね旦那さん、あんた方思う以上に俺たち自身、こういう仕打ちをされても仕方ないのだと、自分たちのことを思っているんですよ。俺たちは盗みをはたらいたし、裏切ってきたし、俺たちの国の大地を敵に売りわたしさえしたんですからね。俺たちは欲深く、ちりあくたまで残さず貪るほど強欲だったんですよ。これが、俺たちに定められた役割だったんですよ。俺たちは否でも応でも、その通りにしなければならなかったんですよ。けれどね旦那さん、そこには、ひとつ簡単なことなんだけれど、そのことで俺は夜もよく眠ることができず、どうしても言ってしまわなければならないことがあるんですよ。つまりね、人間ってのは、たいてい自分がある場所で足場を得ると、“それじゃあ、どうする?” って将来のことを考えはじめるもんでしょう。何がいまわしいかって、自分に “それじゃあ” っていう先のことが、からっきし与えられてねえってことがわかったときくらい、無惨なことはねえですよ。気が狂うんじゃないかと思うくらい、うちのめされちまいますよ。そのときその人間の口からは、ほとんど聞きとれぬ くらいの声の独り言がもれてくるんですよ。
 “これで生きてるっていえるか? これなら、死んだ方がましだ”
 それから何日かたつと、その声は大声に変わってわめきはじめるんですよ。
 “これでも生きてるっていえるのか? 死んだ方がましだ”
 このわめき声は、旦那さん、感染していくんですよ、そして皆が一斉にわめくんです。“これでも生きてるっていえるのか? 死んだ方がましだ” ってね。人間ってのは普通、死ぬことを、それほど好きじゃあないもんですよ。それで、俺たちは他のことを考えざるを得なくなるんですよ。……

(訳文・奴田原睦明、『ハイファに戻って/太陽の男たち』、168・171-172頁)



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