ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「シニシズム」に抗して

 ガザの死者が2万5,000人を超えたそうです。去年10月のハマスの「越境攻撃」で亡くなったイスラエル側の死者は、約1,300人と言われているので、こんな数字の対比は嫌なのですが、約20倍の開きがあります。
ガザの死者2万5000人超 戦闘停止めどたたず ロイター報道 | 毎日新聞

 ガザの人たちへの同情もあって、こんな対比をしてしまいますが、前にもブログで書いたとおり、個々の人の死を「数字」に落とし込んだ瞬間に、「そぎ落とされるもの」があるのは承知しているつもりです。そうであるとしても、この間のイスラエルの攻撃の惨さと、この「数字」には黙っているわけにいきません。ホロコーストという虐殺を経験した(ことを錦の御旗にしている)ユダヤ人国家が、ガザ(パレスチナ)の人びとに、なぜこのような虐殺をするのか、と。

 しかし、アラブ文学者の岡真理さんの『アラブ、祈りとしての文学』を読んでいたら、これはむしろ逆で、ホロコースト経験したがゆえになのでは……という指摘に考えさせられました。それは、世界に対する「シニシズム」に発しているのかも知れません。

……ホロコーストを経験したユダヤ人がなぜパレスチナ人に同じことを繰り返すのか、という問いをよく聞く。パレスチナ人をパレスチナから物理的に排除し、そこに「ユダヤ人国家」を建設するというシオニズムの思想は、歴史的にホロコーストに先んじて存在していた。シオニズムにおいては当初より、パレスチナ人に対してユダヤ人と対等な人間性がそもそも否定されていたのであり、パレスチナ人の人間性の否定のうえに建国されたイスラエルユダヤ人国家維持のためにパレスチナ人に対して行使する暴力において、パレスチナ人の人間性が顧みられないのは、実はきわめて当然のことなのだ。だとすれば、先の問いは、ホロコーストというレイシズムを克服する契機となしうるのか、と言い直されるべきかもしれない。
 ホロコーストはそれを体験した人間たちに何を教えたのか? ホロコーストという出来事とは、実は人間とは他者の命全般に対して限りなく無関心である、という身も蓋もない事実を、言い換えれば「人間の命の大切さ」などという普遍的な命題がいかにおためごかしかということを否定しがたいまでに証明してしまった出来事ではないだろうか。それはかつて起こったのだから、また起こるかもしれない。人間にとって他者の命などどうでもよいのだから。そのことをとりかえしのつかない形で体験してしまった者たちにとって、同じことが二度と繰り返されないためには、人間の命の大切さなどという普遍的命題をおめでたく信じることではなく、それがいかに虚構であるかを肝に銘じることのほうがはるかに現実的と思われたとしてなんの不思議があろう。
 世界が関心を示すのは数であって、他者の命に対してはどこまでも無関心であるのなら、六〇〇万という巨大な数字(註:ホロコーストにより殺されたユダヤ人の数とされる)が、その巨大さゆえに強調され特権化され、彼らの死者は、ほかの死者たちの死から区別されるだろう。「人間とは決してこのように死んではならないという真理」は彼らだけのものとされ、他者の殺戮は、世界を刺激しないように統計的観点から管理されるだろう。六〇〇万という数に居直ることと、他者の命の価値を否定することは同根なのだ。「命の大切さ」などと言いながら、この私たち自身がいかに人間一般の命をないがしろにしているかを思い出せば、私たちは果たして彼らのシニシズムを批判できるだろうか。
 死者の統計数値から炙り出される彼らのシニシズムは、彼らの振る舞いが、ホロコーストを経験したユダヤ人「にもかかわらず」ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人「だからこそ」なのだということを物語っているように思えてならない。……
        (岡真理『アラブ、祈りとしての文学』みすず書房、30-31頁)

 虐殺はもちろん許されませんが、このような「シニシズム」も許容できません。シニカルな嘲りと諦めは事態打開の方途と努力をふさぐだけだと思うからです。
 ユダヤ系の喜劇俳優チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」の最後の場面に有名な演説シーンがありました。そこで、彼は「知識は私たちを皮肉屋にし、知恵は私たちを非情で冷酷にした Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind.」と言っていました。知識や知恵をこのようなかたちに帰結させてはいけないと思います(もちろんチャップリンの演説はそういう主旨のものです)。

 世界をどんな情報が蔽うことになっても、最終的にこの「虐殺」を止めるのはイスラエル自身です。田浪亜央江さんも自著で、こう書いています。
 ……イスラエル国家に政策転換を迫り、社会のあり方を変えてゆくのは、結局のところイスラエル社会に生きる人々、とりわけマジョリティであるユダヤ人自身でしかない。数の上ではごく少数派だが、イスラエル社会の内部にあってその社会を変えてゆき、パレスチナ人との対等な共存を目指している人々が存在している。彼らから学ぶだけでなく、互いの経験を共有することで、支え合いたい。……
    (田浪『<不在者>たちのイスラエル』、インパクト出版会、22-23頁)

 イスラエルのネタニヤフ首相は「ハマスの壊滅」に拘泥していますが、軍関係者のあいだには、最優先すべき課題である「人質解放」と矛盾するという意見が出ているようです。
軍高官、ハマス壊滅と人質解放は「矛盾」 イスラエル各地で反政府デモ:時事ドットコム

 「シニシズム」に抗して連帯すべきは、こうしたイスラエルの動きと世論だと強く思います。



社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村