ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

上野千鶴子さんの対談記事を読んで

 14日日曜日の夕方、たまたまテレビで大相撲を見ていて、6:00に定時ニュースに切り替わったのですが、最初のニュースは岸田首相が被災地を視察したという話でした。あれ?13日って言ってなかったっけと思って見ていると、被災者を前に岸田さん、「何かお困りなことはありますか?」と(いうようなことを)尋ねていたのですが、これってどうなんだろうと思いました。怪我をして血が出ている人に、「どこか痛いところはありますか?」と訊くのかと。地震直後ならまだしも、もう発生から2週間です。いや、でも、言葉をこの部分だけ切り取るから印象がよくないのかも知れないと思っていたら、続く7:00のニュースでは、この発言部分は放映されませんでした(ひょっとして削除されたのか、わかりませんが……)。
 しかし、視察後の記者会見では相も変わらず「私自身が先頭に立って」とかいうフレーズが出て来ますし、特に明示する必要のない「1,000億円超の支援」という数字を出すところにも、何となくいかがわしさというか、政治的パフォーマンス臭が漂います。視察自体、13日の予定が、なぜ翌14日になったのか。ネットには「天候が悪かったから」という指摘が見えました。実際そうなのかも知れませんが、メディアは天候に関係なく現地で取材をしてますし、何よりも被災者は、大雪だろうが何だろうが現にそこにいるわけで、何で首相は来ないんだ(来られないんだ=行けないんだ)という感情が芽生えても当然です。たとえ周りが「今日はちょっと悪天候で、危険ですから……」と諫めたとしても、「いや、行きましょう」と言えないところに(実際どうだったかはわかりませんが)、岸田さんらしさが出ていると思うのは、まんざら穿った見方でもない感じがします。

 これは岸田さん個人の「特性」を越えて、その周囲を含めた現在の日本の政治エリートの「特性」と解するのはもちろん乱暴過ぎると思いますが、先週新聞で社会学者の上野千鶴子さんの対談を読んでいたら、思い当たるところがないでもなかったのです。
日本の教育:東大が「蹴られる」のはなぜか 上野千鶴子・名誉教授/上 | 毎日新聞
日本の教育:「東大生3分の1、AO入試でいい」 上野千鶴子・名誉教授/下 | 毎日新聞

 岸田さんが入学したかった東京大学はこの国のエリート集団の「登竜門」ですが、その男子学生について、上野さんはこう言っています。

 田原 上野さんが2019年に東大の入学式で述べた祝辞は、学内外にある男女差別から学びのあり方を論じたことで大きな話題になりました。女子学生と浪人生を差別した東京医科大の不正入試から始まり、東大についても学生や教員の女性比率の低さなど容赦しませんでした。その能力は弱者を助けるために使い「東大ブランドがまったく通用しない世界でも、生きていける知を身につけて」と期待を寄せましたね。
 上野 私のようなキャラクターを来賓に呼ぶなんて、東大の保守的な体質もいくらかは変わったのかもしれません。当初は何かの悪い冗談だと思って、断る気、満々だったんですが(笑い)。
 私の祝辞を聞いた教育学部の女子学生が、東大男子がやっている「東大女子、お断り」のインカレ(インターカレッジの略称。複数の大学から学生が集まる)サークルを題材に卒論を書いて卒業しました。この卒論がめちゃくちゃに面白い。
 サークルでクイズゲームをやると、東大生は正解のある問いが得意なので、東大男子が勝つ。そこで他大学女子のメンバーを「君たち、おバカだね」といじると、「私たち、おバカだから〜」といった反応をしてくれるのだそうです。
 東大男子はそういうやり取りに対して「他大の女子は優しくて、何を言っても笑ってくれる」と。それに比べて東大女子は「厳しい」「怖い」というんです。
 そんな4年間を過ごして卒業していく男性たちが日本社会のエリートになっていくんですよ。
 だから、私はよく東大生に嫌がらせを言うんです。「あんたたち、せいぜいクイズ王にしかなれないよ」ってね。

 東大出の「エリート」が「せいぜいクイズ王」ってことはもちろんないでしょうけれども、しかし、少なくとも、岸田さんが(小生もですが)世代的に受けてきた教育(あるいは教育方法)の理念は、要するに、1つだけある正答に到達することを是とする「正答主義」だったと思います。そして、設問に対応する「正答」をたくさん答えられれば答えられるほど、成績がよく評価される。その行き着く先の頂点は、「最高学府」の東京大学なのでしょう。岸田さんは、残念ながら入学が叶わなかったようですけれど、岸田さんの周りには、東大出の「優秀」な人が何人もいるはずです。彼らも等しくこの正答主義に染められてきた人たちでしょう。
 しかし、たくさん「正答」が答えられることと、人格はほとんど無関係です。しかも、世の中の問は数限りがありませんから、すべてに「正答」をもって答えられる人はいないでしょう。亡くなった小生の父親は農家でしたが、政治や経済の難題に実効性のある政策を考えることなど(当たり前ですが)できませんが、耕地にいつ種を撒いてどんなタイミングで肥料をやり、どんなタイミングで収穫すればいいか、農業の経験知はありました。この面では、岸田さんよりはおそらく知識量は豊富なはずです。
 いや、しかし、みんなそうなのです。一人の人間が知りうる知識量には限界があるのですから、何か問題が生じたら、みんなで知恵を出し合って対処する。政治的リーダーと周囲で補佐する人びとは、それらをうまく集約して最適解を導き出す、それが役割です。自分がすべてを知らなければいけないことなどないのです。しかし、「正答主義」に覆われると、そんな当たり前のことがねじ曲げられて、何でも知っていることが前提=全能になってしまう。だから、「ミス」をしてはいけないし、「失策」があってはいけない、……と。
 岸田さんは以前「自分は失言はしない」と “豪語” していたことがあります(これは前にブログで書きました)。それから、記者会見にしろ、国会での答弁にしろ、外国人のように(日本語ネイティヴではないという意味ですが)助詞の「てにをは」をいちいち切り離す不自然な原稿読みをしますが、これは単に「棒読み」と思われないがための、あるいは、ミス(読み間違い)が発覚しないための所作のように映ります。しかし、これも元文(原稿)を自分で書いたわけではなく、しかも、あの「たどたどしさ」からすると、場合によっては初めて目にする「作文」を読んでいるかも知れません。

 最近、東大生が霞ヶ関を敬遠することについて、対談で上野さんはこう話しています。

 田原 近ごろは、東大生は中央官庁のキャリア官僚にならなくなっているそうですね。
 上野 無理もないと思います。激務に比べて給料はそう高くはありません。その代償だったのは「国を動かしている」というプライドでした。
 しかし、政治家の言いなりにならざるを得ない状況になってしまい、官僚のプライドはズタズタになっています。優秀な人はどんどん逃げていくでしょう。
 日本は政治家が劣化しても官僚はまともだと思っていましたが、官僚もダメになっては、この国は危ういですね。



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