ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

政治家ことばの「翻訳」

 AIによる翻訳機能が格段に進歩していることには驚かされます。ネット上では、英語はもちろん、他の言語の記事も、翻訳機能を使えばたちまちに日本語に翻訳されます。もちろん、なお崩れた感じや、たどたどしさはありますが、事件や事故の記事であれば、事前に内容の多くを知っているので、大体の文意はつかめます。今後精度が上がれば、さらに正確で自然な日本語訳に近づいていくのでしょう。

 しかし、「翻訳」が必要なのは外国語に限った話ではないかもしれません。むかし(おそらく四半世紀くらい前だと思いますが)亡くなった評論家の加藤周一さんが、朝日新聞・夕刊に連載していた「夕陽妄語」というコラムで、「翻訳」は日本語の言葉のやりとりでも必要で、特に政治家の物言いは、その「真意」を翻訳して考えないといけない、というような話を書いていた記憶があります。
 確かに、永田町と庶民の「文化体系」や「コード」にはちがいがありすぎて、意思疎通に困難を感じることがたびたびです。典型的な官僚答弁である「前向きに」というのは、「翻訳」すれば、「やらない」という意味だというのはよく知られたところですが、最近では「丁寧な説明をする」というのは「(相手が諦めるまで)何度もくり返す」という意味だし、「検討する」というのも「(そのうち忘れるだろうから)店ざらしにする」という意味です。
 日本の政治家向けの自動翻訳機を開発して、AIが次々とパターンを認識していけば、国会の議論ももっと実のあるものにできるのでは、いや、無理か、などと思ったりもします。その前に「ウソ発見器」の開発の方が先かもしれません。

 かりに政治家の話の自動翻訳機が開発されたらどうなるか。もちろん逐語訳が可能な文なら、翻訳もできるでしょうが、岸田首相の場合、話をどう翻訳したらよいか、AIも「悩む」かもしれません。たとえば、安倍氏国葬を終えた翌日9月28日の東京都内のホテルで開かれた非公開の「政治セミナー」に登壇した岸田首相のスピーチ。約80人の聴衆を前に語られたこの話は、記事を読むかぎり、確かに気持ちも具体性も欠いた内容に思えます。
参加者も唖然…国葬翌日”非公開セミナー”で岸田首相が語ったこと | FRIDAYデジタル

 すっかり「検討使」という呼称が板についた岸田首相ですが、むかし、テレビ出演した際「自分には失言をしない自信がある」と豪語していたような記憶があります。その「失言」しない自信の裏返しが、この「安全運転」です。「失言」した方がいいとは思いませんが、言葉で仕事をするべき政治家が、相手に伝わらない(伝えたくもない)話、「翻訳」に値しない無内容なことをしゃべってどうするのかと思います。

 しかし、岸田首相は、何かしゃべってるからまだ「マシ」なのかもしれません(よくはないですが)。細田衆院議長に至っては、質問に対する回答が言葉ではなく、紙です。1回目がA4・1枚、2回目が2枚。次は3枚になるのでしょうか。しかも、これ、細田氏側から一方的に出すだけです。ここにはコミュニケーション(言葉のやりとり)がありません。翻訳が必要かどうかどころの話ではなく、それ以前、鎖国の時代、飛脚の時代にでも戻ったような見事なこっけいぶりです。

 AIの技術が進歩し翻訳技術がさらに高度化しても、ウソは「翻訳」してもウソでしょうし、人間の機微に触れる部分まで「翻訳」するのはなかなか難しいと思います。そのあたりは人間同士がやることで、そこにこそ政治の可能性があるはずです。岸田首相や細田議長の対応を見ていると、他国と同時代を進んでいるはずのこの国が、実は何周も周回遅れをしているような気がしてきます。



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