ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

政治家の暴言を黙認する国

 「弱い子がいじめられる。強いやつはいじめられないんだって。違いますか。国もおんなじよ」――止めどなく続く麻生太郎自民党副総裁の暴言。昨日のは特にひどかった。暴言もここに極まれりとさえ思います。メディアがいくら「選挙妨害」にならないよう批判的報道に慎重になっているとはいえ、発言内容を何のコメントもなく垂れ流すだけで、こういうことを公言する人間を、放置し、そのまま素通りさせてよいものか。自分たちはできないから、抗議でも何でも、あとは、読んだ人が勝手にやってくれ、というのは、メディアのあり方として社会的責任を放棄することにならないのでしょうか?
「弱い子がいじめられる、国も弱そうな国がやられる」自民・麻生氏 [参院選2022] [自民]:朝日新聞デジタル
「弱い子がいじめられる」 自民・麻生氏、ウクライナ侵攻巡り | 毎日新聞

映画作家想田和弘さんが昨日のTweetでこう書いています。引用をお許しください。
https://twitter.com/KazuhiroSoda/status/1543738007920209920

自民党候補者の選挙運動を観察した「選挙」を2005年に撮影したとき、選挙があまりに形骸化し無意味化していることに気づいて愕然としました。選挙とは共同体の課題について議論し意見をすり合わせ、何らかの決定をする機会であるはずですが、全然そうなっていない。やるのは名前の連呼とご挨拶だけ。
候補者討論会すらほとんど開かれぬ、こんな無意味で形式だけの選挙なら、選挙を通じて共同体の課題について議論し、自分達の代表を吟味し選ぶことなど不可能です。選挙はデモクラシーの土台であり基礎ですが、その土台そのものがスカスカなのですから、健全なデモクラシーが育つわけがない。

このスカスカぶりに拍車をかけたのは、第二次安倍政権です。「選挙」は2007年の参院選前に公開しました。その結果、「選挙」はほとんどのキー局の特集で大きく扱われました。僕らもそれを狙って参院選前にぶつけたのです。振り返れば、当時のテレビ局はまだまだ選挙報道を自由にできたのです。
ところが2013年の参院選前に「選挙2」を公開した際には、事情がすっかり変わっていました。各局とも「選挙前だから」と言って扱ってくれないのです。2007年には「選挙前だから」こそ扱ってくれたのに、事情が逆転していたのです。2013年1月に安倍政権が誕生し、選挙報道が自由にできなくなっていた。

選挙前だから選挙のことは話題にできない。候補者の名前や政党の名前も言及できない。今ではもはや「常識」となりつつありますが、立ち止まってよく考えてください。そんな馬鹿なことがありますか?選挙前だからこそ、メディアは盛んに具体的な候補者や政党や政策について報じるべきでしょう。
報道が選挙結果に影響を与えたらまずい?逆でしょ?影響を与えないでメディアの存在意義がありますか?「公平性を担保する」というもっともらしい大義名分で、メディアはていよく口を封じられたのです。選挙前なのに候補者や党や政策について論じられなくなったのです。こんな馬鹿なことがありますか。

メディアが口を封じられた結果、もともとスカスカな日本の選挙は更にスカスカになりました。そのスカスカな選挙で私たちは代表を選ばされるのです。というより、選んだというアリバイを作らされるのです。しかしメディア関係者の大半も、自分達が口を封じられているという自覚はないでしょう。
アリバイ作りの究極が、投票日の夜に行われる選挙特番です。投票が終わった後にあんな特番をやっても、「やってる感」を得る以外に何の意味もありません。テレ東が今年は実に10年ぶりに投票日前に選挙特番をするそうですが、そう、第二次安倍政権以前は普通に投票日前にできてたんですよ。

 メディアが口を封じられようが、自ら口を封じようが、何も言わないのですから同じことです。「公平性の担保」など、今や、「忖度」と同じで、グルですと言っているに等しい。
 「弱い子がいじめられる!?」――これが政権与党の副総裁を務める者の言葉かと、絶句してしまいます。この国のまともなおとなで、昨日の麻生の話をこの国の子どもたちに聞かせられると思う人がどれだけいるでしょうか。政治家とメディアの世界だけは鈍感ということもないはずです。こうした言動は、普通の民主主義国家であるなら、選挙を通じ、報道を通じて淘汰されるものでしょう。発した政治家当人はもとより、所属政党の自民党にしても、どうしてこんな発言を許すのか、党として同じ認識なのか、と問い詰められてしかるべきです。ところが、選挙で勝ち、メディアも長年にわたって放置し、「麻生節」などとして拡散され続け、政党もそのままお咎めなし……を繰り返したせいで、国民の感覚自体が鈍化し、この国に差別に無頓着な人間が再生産されることになっているのではないかと思います。
 政治家の暴言を黙認する国、差別を放置して気にもしない国民――悲しいことに、これらが国を傾けていることに、多くの日本人は無関心なのかも知れません。しかし、差別される側に立たされる外国人にとっては切実です。彼らの目には「沈みゆく日本」の姿がはっきりと映し出されているように思えます。
 7月4日付NEWSポストセブンの記事の一部です。

在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実|NEWSポストセブン

……何かにつけ「日本はスゴイ」と自負してきたが、かつてのように豊かで過ごしやすく、世界から憧れられる国ではなくなってきていると、愛国心を標榜するネットユーザーでも認めざるをえないほど、その「没落」を実感しつつある。もっとも、何を持って「貧しい」とするかは人によって見解も大きく異なるだろうが、やはり日本の「格」が落ちつつあることを、かつて日本で働き、暮らした人から聞くと説得力が違う。

「日本はもういいです、行きたいとは思いません」
筆者のオンラインインタビューに答えてくれたのは、ベトナム在住の自動車販売会社経営・フォンさん(仮名・30代)。彼は新型コロナウイルスの感染拡大直後までは「技能実習生」として、関東某県の水産物加工場で働いていた。だがコロナ禍によって工場を経営する親会社の業績が悪化すると、勤務日を減らされ、月に十数万円ほどだった給与が下げられたという。
 ただでさえ少ない給与がさらに減ることは、フォンさんにとって人生を揺るがす大事件だった。というのも、彼は莫大な借金を背負って日本にやってきていたからだ。

……フォンさんにとって、日本は憧れの国だった。日本旅行を経験した両親から「日本人はみんな優しい」「街はどこも綺麗で未来的」と聞かされて育ち、日本人のファッションを真似たり、日本のテレビを見て漫画を読み漁った。だが、実際に来日して、お客さんではなく働く一人にとって、日本という国や日本人は優しくないことを思い知らされ、日本に裏切られたような気持ちになった。
「コロナになってからの日本人は、さらに優しくなくなった。お金もくれない、差別もするから、ベトナム人だけでなく外国人(実習生)みんなが日本を嫌いになりました。だから、悪いことをしてもいいと思うようになった。お金だけ稼いで、早くベトナムに帰ろうといつも話していた」(フォンさん)
 フォンさんははっきりと語りたがらないが、SNSの投稿を見る限り、スマホの不正入手や転売だけでなく、日本国内で使用される身分証明書の偽造にも関わっていたようだ。こうした犯罪は、日本人の首謀者がいて、弱い立場の外国人が実際の任務を請け負う場合がほとんどだが、そのなかでもフォンさんは実行部隊のリーダー格だったと思われる。……
 SNSアカウントに掲載されている、フォンさんと一緒に写真にうつる外国人の中には、北関東エリアにおいて農作物や家畜の窃盗に手を染め、逮捕された容疑者の顔もある。彼らは、日本人から見れば外国人による「組織犯罪グループ」そのものである。しかし、フォンさんには罪の意識がほとんどない。それはやはり、日本への失望があったから、そして自分達を見下す日本人に「やり返したい」という気持ちがあったからに他ならない。

「このまま日本にいては死ぬと思った。だから少し悪いことでもやって、お金を貯めて国に帰った。人を殴ったりはしていない。そのお金で、車の会社を始めた。いい人もいたが、ほとんどの人が外国人をバカにした。日本への憧れはないし、今は嫌い。二度と行きたくない」(フォンさん)
<以下略>

 投票して、自公政権+ゆ党連合を変えないかぎり、なお暴言は吐かれ続け、メディアは沈黙し、国は沈んでいくということだと思います。小生はもう期日前投票をしましたが、是非、多くの人が投票に行って、こういう国はイヤだ、こんな政治家は我々の代表ではないという声をあげ、意志を示してくれることを願っています。




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