ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ご都合主義的「日本人」

 「日本人」という言い方は多義的だ。
 「国籍」があるという点では「日本人」と「日本国民」は同義だろうが、先日ノーベル物理学賞の受賞が決まった真鍋淑郎さんは、日本の愛媛県出身ながらアメリカに渡り、1975年以降はアメリカ国籍を取得、当地でずっと研究を続けてきた方で、日本の法律上、二重国籍は認められないため、「日本国籍」がない(剥奪されている?)。それゆえ真鍋さんは「日本国民」ではない。
 しかし、「アメリカ人」の真鍋さんが「日本人」として〇人目のノーベル賞受賞者になったと報道されても、多くの「日本人」は特に違和感をもたない。真鍋さんが日本生まれで日本語を話すからだろうか。しかし、東京オリンピックで日本代表として聖火の灯をともしたテニスの大坂なおみさんは、あまり日本語が得意ではない。では、親(のどちらか)が日本人なら「日本人」なのか。両親ともに外国人で、日本に定住し、普通に日本語を話し、他の子どもたちと学び遊ぶ子どもたちを、小生は学校で何人も見てきたが、彼ら彼女らを「日本人ではない」と言い切るのも、どんなものかという感じがする。
 この件は、これ以上深入りはしないが、最終的には本人のアイデンティティー、つまり「自分は日本人だ」という自己意識によるしかないように思う。いずれにしても、「日本人」を定義しようとすると曖昧なところがある。これにはもちろん「弾力的」でよい面もあるが、こと「国籍」に関して言うと、硬直した負の面の方が目立つ。国籍を「剥奪」されて不利益を被っている人がいるとなれば、法律自体を改めるか、実態に沿ったかたちでもっと柔軟で弾力的な運用を考えるべきではないかと思う。このあたりが「島国根性」というか「井の中の蛙」というか、独善的悪意に平気なこの国の嫌なところだ。

 自身が日本人とドイツ人のハーフというサンドラ・ヘフェリンさんは、10月13日付の記事で、外国に帰化しても故あって引き続き日本国籍を持ち続けたいという日本人の声を認めない判決を出しておきながら、真鍋さんのような外国に「帰化」した人がノーベル賞を受賞すると、岸田首相以下「日本人として誇りに思う」などと言うのは、そうした事情を汲み取った判決を出してからの話ではないかと言っている。

 メディアはもっとこの問題を伝えるべきだ。共感する人は多いと思う。以下、引用。

真鍋淑郎氏を「日本人」と称賛することの違和感 見過ごしてはならない国籍はく奪問題:朝日新聞GLOBE+

……真鍋淑郎氏は米国籍のアメリカ人です。日本の法律では成人した日本人が外国の国籍を取得すると、本人の意思確認がされないまま日本国籍がはく奪されてしまいます。真鍋氏のようなケースでは「米国籍を持ちながら日本国籍も持ち続ける」ということは不可能なのです。
真鍋氏に限らず、海外に渡った日本人の研究者やビジネスパーソンが仕事上の理由から外国の国籍を取得したことで日本の国籍を失ってしまったケースは多くあります。
数十年前からスイスに住む野川等氏は現地で会社を経営していました。同氏の会社が入札に参加する際に「スイスでは社長にスイス国籍がないと、会社の入札が認められない」ことから同氏はスイスの国籍を取得しました。
しかし「スイス国籍の取得により日本の国籍がなくなる」ということを知らないままスイス国民になった野川氏は、数年後に日本のパスポートを更新しようとした際に「自分の日本国籍が喪失している」ことを知らされます。ショックを受けた野川氏は「スイス国籍を取得したからといって、日本人をやめた覚えはない」と国(日本)を相手に訴訟(国籍はく奪条項違憲訴訟)を起こしました。
残念ながら東京地裁(森英明裁判長)は今年1月に「外国籍を取得することで日本国籍を失う国籍法の規定は合憲」と判断し、野川氏とともに訴訟を起こしていた原告計8名の訴えを退けました。現在原告団は控訴中であり、控訴審の第2回期日は東京高等裁判所で11月30日の午後3時から行われます。

メディアもこの「国籍はく奪訴訟違憲訴訟」についてたびたび取り上げていますが、オンライン記事のコメント欄には「外国籍を取得しておきながら日本国籍も維持したいなんてズルい」「ワガママ」「調子が良すぎる」といったコメントが大量に見られました。
前述のように一審判決で国は「外国籍を取得した日本人は日本国籍を喪失するのは違憲ではない」と判断しました。簡単にいうと「国が日本人から日本国籍を取り上げてしまった」形であるわけです。そういった中で国の総理が「(ノーベル賞受賞について)日本人として大変誇らしく思っている」と語ったことに当事者からは疑問の声が上がっています。

「外国籍取得」切羽詰まった事情を抱える当事者
海外に住む日本人が外国籍を取得したことで日本国籍を失い、その状況について嘆くと、日本であまり理解されないことがあります。それは外国籍取得にいたった当事者の苦悩が世間であまり知られていないことも原因なのではないかと思います。
「国籍はく奪条項違憲訴訟」の原告の支援者の一人である日本人女性のAさんは米国人の夫とともに長年アメリカに住み、現地で働いていました。そんななか日本に住む高齢の母親が体調を崩し介護が必要となりました。
Aさんは、なんとか長期で日本に滞在し母親の介護ができないものかと模索しますが、ある壁に突き当たります。それは「日本国籍であり、アメリカのグリーンカードしか持たないAさんが日本に長期滞在をすると、アメリカのグリーンカードが失効してしまう」ことです。
アメリカで仕事を持ち、夫もアメリカにいるAさんにとって、グリーンカードを失いアメリカに戻れなくなってしまうことは、Aさんのアメリカでの生活基盤を揺るがすことです。
日本に長期滞在しながら、夫のいるアメリカにもスムーズに戻れるようにするためにはどうしたらよいのか――。Aさんが必死に考えた末にたどり着いた答えが「アメリカ国籍の取得」でした。
でもアメリカ国籍の取得とともにAさんは日本の国籍を失ってしまいました。母親の介護のために日本で生活することになったAさんは「なぜ日本国籍を奪われてしまったのか」というモヤモヤした気持ちを抱き続けています。
残念ながら、このような「当事者の事情」にまつわる情報はなかなか日本の世間に届いていません。「外国籍の取得」や「海外生活」そのものが「贅沢なお遊び」のように見られる風潮があると感じます。だから「外国籍を取得した上で日本国籍も持っていたい」と考える当事者のことを「ワガママ」だと感じる人が多いのではないでしょうか。

日本国籍はく奪により失われる「漢字の名前」
本人の意思確認のないまま日本国籍を失ってしまった当事者にとって更に悩ましいのは、日本国籍を失ったことによって、漢字の氏名が失われることです。前述の「国籍はく奪条項違憲訴訟」の原告も「日本の国籍がなくなることで、両親がつけてくれた漢字の名前が失われた。日本でカタカナ表記にされてしまい悲しい。漢字の名前は自分の日本人としてのアイデンティティー」だと話しています。
つまり日本国籍を失ったことで、法的には「野川等」という氏名は「ヒトシノガワ」となってしまいますし、今回ノーベル物理学賞を受賞した「真鍋淑郎」という氏名も「シュクロウマナベ」となります。
日本のメディアはそれでも2人の氏名を漢字で表記しています。それをありがたいことだと捉えることもできますが、もしもメディアが「日本国籍を失った人の氏名をカタカナ表記」にしていたら、「日本人であっても日本国籍を失うと、両親がつけてくれた名前も失ってしまう」ことを世間に広く知ってもらうチャンスだったはずです。
氏名の表記について、メディアに明確なガイドラインはないようです。子供の時は日本国籍を有していたけれども現在は日本国籍を失っている作家のカズオ・イシグロ氏をメディアはカタカナ表記する一方で、真鍋叔郎氏についてはカタカナ表記をしておらず、判断基準が明確ではありません。

なぜ日本人から日本国籍を取り上げてしまうのか」という疑問
日本という国に愛国心を持っている人の中から「日本人から日本国籍をはく奪するなんて許せない」という声がもっと大きくなってもよさそうなものです。でも現在そういった声はまだまだ少ないのです。
日本人の親から生まれ、日本で生まれ育った人が外国の国籍を取得しただけで、戸籍から抹消されてしまい日本の国籍がなくなってしまうのは、日本人が「日本という国から切り捨てられてしまう」ことに他なりません。
日本で「外国(例えば米国)に帰化した日本人が引き続き日本国籍を持ち続けること」が認められれば、真鍋淑郎氏のように外国の国籍に帰化した人がノーベル賞を受賞した時に、メディアは初めて堂々と「日本人」というふうに紹介できるはずなのです。それまでは周りが「日本人として誇りに思う」と言うのは尚早ではないでしょうか。




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