ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「日本の三つの災禍」

 日本の「不愉快な環境」に耐えかねて4年前に渡英したという「出国(帰国でなく)子女」の女性が綴った記事を読みました。母国の大学を卒業し、日本で働く決心をしたとき、父親から「日本の三つの災禍に気をつけて」と言われたとのことですが、この3つを同列に並べることは、かなり意味深に思えます。
 以下、現代メディアの5月21日付記事の冒頭部分です。「日本中がまるで病気のようにセクハラに感染している」という言葉は何とも辛辣です。

日本には「三つの災禍」がある。ロンドンに「避難」した30代女性が伝えたいこと(鈴木 綾) | FRaU

母国の大学を卒業した後、日本に引っ越すのを決めたとき、父にこう注意された。
「日本の三つの災禍に気をつけて」
「三つの災禍って?」
「ツナミ、ジシン、セクハラ」
と彼は真剣な顔をして答えた。
「ハァ?」

私は大学時代に3カ月、日本に留学したことがあった。そのときに作られた日本のイメージと父の言葉は、全く合わなかった。私にとって日本は、朝3時まで楽しく友だちとカラオケとプリクラができる国。どこの店に行っても料理が美味しい国。まちが綺麗で安全な国。

でも、いまとなっては父の言葉に従うべきだったのかもしれない。

社会人になって6年間東京に住んで、三つ目の災禍の恐ろしさを肌で実感した。仕事関係で2回もストーカー被害に遭った。電車の中で痴漢に遭った。知らない人に盗撮された。接待での身体的接触、セクハラ発言をされるのが日常茶飯事だった。大体、セクハラ癖のある人は社会的地位の高い人だったので、丁寧に、相手が傷つかないように、私の会社に損害が与えられないようにスルーする工夫を考えるのが上手になった。

私だけじゃなかった。周りの女性はみんな同じ思いをさせられていた。大学卒業までみんな平等に思えたのに、社会人になった瞬間に何かが変わった。その前のことは全部嘘だったのか。

「君、パンツ何色?」と最初に聞かれた時は衝撃を受けた。けど、だんだん、何が女性蔑視なのか、何が冗談なのか、何が仕事なのか、適切な行為と適切じゃない行為の境界が曖昧になって、自分の感覚が麻痺してきたというか、どこかおかしくなっていった。感覚が麻痺していた間、意識しないまま、精神がものすごく傷ついていた。

日本中がまるで病気のようにセクハラに感染している理由と、日本が世界男女平等ランキング(2021年版)で156カ国の中で120位になっている理由は基本的に同じ。権力のある地位が圧倒的に男性によって占められているから。例えば、日本の大企業で女性管理職の割合はわずか5.4%。国会議員の女性割合も9.7%。つまり、学校や職場での習慣、法律の作り方はほとんど男性が決めている。この偏りは日常の男女関係に大きな影響を与える。申し訳ないけど、とても先進国じゃない。

こんな不愉快な環境――不愉快という言葉ではあまりにも弱すぎるけど他の言葉は知らない――から解放されたかったのが、東京を離れた大きな理由の一つだった。

ロンドンにたどり着いて、日本の生きづらさから逃げている女性は私だけじゃないことを知った。ロンドンには、海外でキャリアを積み上げると決めた高学歴な日本人に何人も出会った。その人たちのことを私は「出国子女」と呼んでいる。そして、私が出会った出国子女の99%は女性だ。
……

 今、衆院議長のセクハラ疑惑が取り沙汰されていますが、時系列からすると、筆者はこの疑惑を知り、それを機に記事を書いた(あるいは公表した)可能性もあります。事実はどうあれ、国会の議長にこのような疑惑が持ち上がること自体、この国の社会の恥ずべき象徴です。嫌悪と失望しかありません。

 それにしても、「ツナミ、ジシン」と「セクハラ」を同列におくのも、この国のありかたを象徴している感じがします。もちろん、地震津波は一般には「自然災害」に分類するのが適当で、「人災?」の「セクハラ」とは異質です。大地震や大津波は予見不可能で、起こってしまったら被害は避けようがありません。しかし、規模や時期を特定できなくとも、事前に起こることを予想して、最大限被害を避ける努力はできるわけで、利権や怠慢により対策が不十分であれば、それは「人災」ですし、起こったあとに必要で可能な支援をしなければ、やはりそれも「人災」です。すべてを「自然災害」の一言では括れません。
 逆に、「セクハラ」を「自然災害」とみなせるかと考えると、いくらなんでもそれは無理筋だとは思いますが、ただ、セクハラ被害を受けた人の周りに、セクハラを訴えている人がいるのに、あたかも(「天災」にあったがごとく)「自然」相手には逆らえないという類いのあきらめがあったり、事故だと思って忘れた方がいいというような空気があるとすれば、被害者にはそれはショックで見捨てられたような気持ちになるでしょう(だから、彼女たちは「出国子女」を選んだとも言えます)。もし、日本社会で生きる人々が、セクハラを地震津波と同様のアクシデントとしか見ないような人ばかりだとしたら、セクハラを地震津波と同列にされても、あながち的外れな数合わせにはできないように思えます。

 この明らかな人間の所業に対する「天災」「アクシデント」感は、日本社会に沈殿するあきらめや無力感とつながっているかもしれません。5月23日付朝日新聞の記事にはこうあります。

政治変わってほしいのに…、野党期待できない8割 朝日世論調査:朝日新聞デジタル

 政治に変わってほしいと思っている人が多数なのに、選挙で与党を勝たせていたら政治は変わるはずもありません。そんなことはみんな百も承知のはずです。何度嫌なものを見せつけられようと、人々の気分では、これも地震津波と同じ「自然災害」で、あとは「天任せ」なのでしょうか。




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