むかしの新聞記事か何かに、東南アジアの某国で(確か、この前大統領選があった国だと思いますが)、選挙にあたっての人々(有権者)の声を紹介するものがあって、その一人が、一族の誰かが知事や議員になれば、自分も仕事が回してもらえるからうれしい、と言っているが、こういう縁故主義は某国の国民のあいだでは普通のことだ(日本では普通有り得ないが…)という内容だったと記憶しています。確かに、「立前」を無視して、公然と同じことを言ったら、日本ではかなり叩かれるだろうと、当時は思ったのですが、今はそれも怪しくなってきた感じがします。そろそろ誰かが、「本音で話しましょうよ」「実はみんなそう思ってるんでしょう」とか何とか言いながら、「禁」を破って、縁故はあって当たり前とか、世の中しょせんそういう論理で動いている、などと真顔で語り出すのではないかと。公私混同というか、行政は公平中立であるべきという感覚は、2012年政権による長期にわたった執拗な「攻撃」によって、かなり浸食、麻痺させられてきたように思います。
物事には「立前」と「本音」があって、両方を場面に応じて器用に使い分ける――これは日本の社会に限った話ではないのだと思いますが、こういうあり方にも問題はあります。また、「立前」と「本音」などと二項的に並べると、「本音」の方に真実があるかのような話になりかねませんが、しかし、現実社会において、「立前」が「立前」として機能することはとても大事です。それを機能させるのは、法律だったり、社会通念やモラル(倫理)だったりするわけですが、それらが正常に作動すれば、「縁故でいいじゃん」「くやしかったら自分も政治家になれば」式の「開き直り」が何回出てきても、そのたびごとに社会として「撃退」することが可能です。そこで果たすメディアの役割は非常に大きいと思います。
赤旗日曜版5月29日号で、桜を見る会・前夜祭の新たな利益供与疑惑が報じられています(実物は見ていませんが)。
https://twitter.com/nitiyoutwitt/status/1529382286286012416
アベ側は、例の会費の補てん問題とは別個に、会場のホテルにウイスキーやワインなど大量の酒類を持ち込んで有権者に提供していたらしいのですが、これらはサントリーが無償提供したものだというのです。収支報告書には記載がないので、「違法寄付」ということになりますが、これもまた、「記入漏れ」といって書き直せば済んでしまうのでしょうか。検察も違法な事実を把握していながら何をやっているのかと思います。
世間では、まだ「桜」のことをやってるのか、と思う人もいるようですが、明細書や領収書を出して身の潔白を証明し、事件(疑惑)に終止符を打つ責を負っているのはアベ側なのですから、誰かが(いや何人もの方が)言っていたように、「まだやってる」ではなく「まだやらない」、「またかよ!」ではなく「まだかよ!」が、この場合は正しいのだと思います。
以下は追記で、これとは別に、現在の大阪のどこかの道路標識の写真を上げているTweetを見ました。地名表示のない標識も驚きですが、道路中央の白線もかすれて見えます。大阪は何か想像外のひどい状態になっている印象です。大阪の人にははなはだ不名誉で失礼だと思いますが、ある意味、大阪は日本の「最先端」を進んでいると言わざるを得ません。こちらの方は、2012年政権の賜物というより、維新府政・維新市政の産物でしょうが、責任のある為政者の怠惰や「開き直り」を「撃退」するため、ともにがんばりましょう。
https://twitter.com/mochikomama1/status/1529044295856300033
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