ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

堀茂樹さんの話を聞いて

 フランスの歴史家エマニュエル・トッド氏のインタヴュー記事が4月8日付の文春オンラインにあります。タイトル(「 日本核武装のすすめ 」)に「腰が引けて」しまってそのままだったのですが、話によると、内容の大半は傾聴に値するとのことです。オンラインで記事の冒頭だけは読めるのですが、そこは文春、続きをタダでは見せてくれません。
「日本は核を持つべきだ」エマニュエル・トッドが指摘する“米国依存の危うさ”〈ロシア侵攻後、世界初のインタビュー〉 | 文春オンライン

 弁護士の郷原信郎さんが、トッド氏の著作の翻訳でも知られるフランス文学者・堀茂樹さんと対談している4月19日付の動画がありました。トッド氏がロシアのウクライナ侵攻をどう見ているのかを堀さんが解説していて、なるほどと思うところが多かったです。少し文字に起こして引用させてください。

【「ウクライナ問題」とエマニュエル・トッドを堀茂樹教授と語る】郷原信郎の「日本の権力を斬る!」#142 - YouTube

 郷原……今まで日本の社会で認識されていることと、トッド氏の認識というのは、まずどこが一番大きく違うんでしょうか?
 日本の社会では、国際法を破って侵攻したのはプーチンだ、これは一方的だ、よくないと。それは私もそう思うし、まちがいないところだと思うんですね。ただ、直接の法的な責任というのと、歴史的な政治的責任というのは分けて、そして、後者の方も冷静に見ていく必要があると、トッドはそういう立場に立っているんですね。今すぐに裁いて、どちらかに軍配を上げるという話ではなくて、まずは理解しなければならない。怒り、憤慨する前に、冷静になって。そのためには背景などの知識が必要だと。
 郷原そういう意味で、重要な背景としては何があるのでしょうか?
 トッドが言っているのは、ソ連崩壊後、NATOが東へ東へと拡大していった。いろいろな経緯はあったんですけど、結果的にはね。で、ウクライナも事実上はNATOの一国であるかのように、中にNATOの軍人や職員が入ったりしています。むかしキューバ問題というのがありまして、キューバに当時のソ連がミサイルを持ち込もうとした。これにケネディ米大統領)は烈火のごとく怒ったわけですね、フルシチョフソ連最高指導者)に対してね。あのときはアメリカ国内でも核兵器を使うことも辞さないというところまでいきました。あのときと似たような状況で、(NATOの東方拡大で)今度はロシアの方に脅威が与えられたということがあると思います。
……
 郷原ロシア全体でもこんなことを支持しているわけではなくて、プーチン一人がやれ!と言って、侵略をしているという見方をしてしまうと、これは個人の問題なので、プーチンをどうやって引きずり下ろせばいいのかというところばかりに関心が向いてしまうんですけど、どうもそうではないという認識が広がってきていて、経済制裁も実はそれほど効いていない。そうなると、プーチンを引きずり下ろせばいいんだという解決方法では、全然この問題は片づかない。
 2022年に急に戦争が始まったわけではなくて、ウクライナ国内では2014年からほぼ内戦状態だったんですね(中央政府が反政府ということで自国民に対して爆撃しているわけです)。これを無視して今回の戦争を理解することはできません。ウクライナ東部のドンバス地方では(2つの人民共和国が独立宣言をして)ウクライナ政府との戦いになってきたわけですが、85万人の人が東部から離れてしまった。うち60万人が外国へ去っています。ロシアに行った人は35万。25万はEUにと、国外に出ていってしまった。これは今度の戦争が始まる以前にという話です。そういう規模の人口流出が起こる戦禍が国内にあったんですね。これを全く無視して、今回の戦争は語れないんですね。
 その最初のきっかけになったのは、2014年にウクライナ中央政府がロシア語を公用語から外したことです。ウクライナ国内で言語がいかに多様であるかということは、日本ではあまり知られていないんではないかと思いますね。ロシア語だけを話す人が17%いるわけです。ウクライナ語とロシア語の人とか、ウクライナ語とハンガリー語の人とか、ポーランド語、ルーマニア語……と多言語なんですね。ロシア語もそのひとつとだったのに、中央政府は2014年に公用語から外したんですね。そうすると、役所も学校もロシア語だけでってわけにはいかなくなる。これはかなりきついことだったと思います。
 なぜ、そんなにロシア語を話す人が多いのかというのは、ウクライナの歴史を見れば、3世紀にわたってロシア帝国の枠内にありましたし、ウクライナ西部はオーストリア=ハンガリー帝国支配下にあった。日本の島国のように、ウクライナの国境が昔からくっきりと定まっていたかのようなイメージで我々日本の人は見てしまうけれど、全部陸続きで、そこで激しいせめぎ合いがずっと続いてきたんですね。ロシアとオーストリアハンガリーの大国に挟まれて。ですから、どこからどこまでが自分たちの国だという(国境線が引かれ国民意識が形づくられた)のも、ごく最近の話なんですね。

……
 …政治の問題を倫理と道徳で語りすぎると、これはトッドもこの中でそう言ってますが、道徳や倫理も大事なんです。でも、それをそのまま適用して解決できないから、政治があるし、外交があるんですね。地政学的な現実を直視するということが少し欠けて、感情的になってしまって、冷静に見てみようという言説があまり行われていない。日本の学者も何か正義を語っていて、そうではなくて、もっと技術的なことも語ってくれないといけないのではないかと。専門家の方々もふくめてね、私はそう思ってるんですね。
<以下略>

 引用はしませんでしたが、終わりの堀さんの核保有の考え方については承服しません。アメリカの核兵器を頼りにしていたら、自分の手を汚していないだけで、核兵器保有するのと同じことになるというのは、論理的にはそうかもしれませんが、それでも保有するかしないかでは雲泥の差があります。核保有や核の抑止力を主張する人たちの中には、核を(脅しには使っても、実戦ではどうせ)使わないと思っているような人もいますが、そんなことはありません。持ったら使う可能性は否定できない。実際、広島・長崎のような使い方はしなくても、(たとえば劣化ウラン弾のように)小型化するとか、これまでも手を加え品を変えて使われてきました(「小規模」なら、逆にいいんだという人もいます)。日本が公に核兵器保有をするとなったら、こうした現状を追認して、「被爆国」(核攻撃を受けた被害国)として核抑止論の危うさと誤りを否定する責任を放棄することになります。それは、被害を受ける側に立とうという信念を捨て、核廃絶軍縮の道は現実的には険しいのであきらめましたと世界の人に宣言することになります。小生にとっては、「核兵器も持てない弱小国」「アメリカに戦争させて自分はやらない国」などと蔑まれるより、そちらの方が痛くて恥ずかしいことです。


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