ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

人権リテラシーが極めて低い国の政治家

 自民党の某政調会長が2月19日の講演で、自分が総理大臣になっても靖国参拝を続ける意向を示したそうです。
高市氏「首相就いても靖国参拝」 やめれば「相手がつけ上がる」(共同通信) - Yahoo!ニュース

 個人的に強い靖国信仰をお持ちで、参拝に(ばかり)執着する「信仰の自由」とやらを咎めるつもりはありませんが、第二次大戦のA級戦犯(「戦争責任者」=「首謀者」 あくまで「」付き)を祀る神社を日本国の公職にある者がお参りすることが、日本から戦争被害を受けた国の人たちにどう映るか、立場をおき替えて考えてみたらわかりそうな話です。しかし、そもそもが、日本は侵略戦争をしたのではなく、自衛戦争をしたとか、アジア諸国を西欧の植民地から解放するために戦争をしたと思っているとしたら、まずはその認識から正さないと、とても国際社会では通じません。それでも何でも参拝するのであれば、公職に就かずに、つまり総理大臣になることはあきらめて、そのうえで、その「強い思い」にしたがって一人で靖国に行き、「御霊」に手を合わせるべきだと思います(靖国に行くことが目的になっていますが、別に行かなくとも戦死した人に毎日手は合わせられます)。それが個人の信仰の自由ということではないでしょうか。

 加えて、某氏は「途中で参拝をやめるといった中途半端なことをするから、相手がつけ上がる。…淡々と続ければ、だんだん周りもあほらしくなり、文句を言わないのではないか」と暴言ともとれる言葉を口にしました。「相手」とは中国や韓国の人々のことのようですが(もしかしたら小生も含まれているかもしれません)、これは権力者による「嫌がらせ」(ハラスメント)の宣言かと思いました。まず、この人を見下すような居丈高な態度には嫌悪感を抱きます。そして、話をこうした感情のレベルに止めて、互いの対立をなくす努力をしたり、事態の打開に動こうという発想が一切ないこと、これらは某氏のような考え方を発する政治家たちに共通する特徴です。「政治とは妥協の産物であり、可能性の芸術である」とはビスマルクの言葉のようですが、自陣営に(だけ)ウケる内向きの発言をくり返す政治家から「可能性の芸術」を感じとることはできません。総理大臣になれるなれない以前に、少しは姿勢を改めた方がよいと思います。

 宇都宮徹壱さんがJリーグの常勤理事を務める佐伯夕利子さんにインタヴューした記事に、この居丈高で内向きな姿勢を改められない根本精神のようなものを見た気がしました。これでは日本はますます孤立していって、もはや「手遅れ」ということにならないかと危惧します。Number Web の2月20日付記事より一部引用させてください。これは良記事でした。

「日本の人権リテラシーは極めて低い」Jリーグ常勤理事が“9000字超の長文”で「ハラスメントとの決別」を宣言した理由とは - Jリーグ - Number Web - ナンバー

「人権リテラシーが極めて低い」日本という国
……残念ながら私たちは、人権リテラシーが極めて低い、日本という国に生まれ育ってしまった。中年以上の世代であれば、このまま何となく消化していけるのかもしれないけれど、これからの時代を生きる世代は違います。どんどん海外に出ていく人もいるでしょうし、海外からもどんどん人が入ってくる。そうなると、日本国内での常識は通用しなくなっていきます。
 文化も人種も民族も、何もかもがごちゃ混ぜになる時代が、すぐそこまできています。そうした中、世界の常識から最もかけ離れていたのが、私たちが当たり前と思っていた人権リテラシー。それが世界に対して、強烈なカルチャーショックを与えてしまったら、もはや手遅れなんですよ。
 私たちは常に世界を意識して、世界という土俵に意識的に上がっていかなければならない。それが、グローバルという考え方であることを、日本の方々に伝えていきたいと思っています。ハラスメントが、普通のこととして受け入れられている環境こそが「実は普通ではない」という話を、これからも言い続けていく必要があります。

海外から尊敬されないリーグに未来はない
 これまで日本という国は、よくも悪くも国内で完結できていたんですよね。経済もそうだし、教育もそうだし、スポーツもそう。人口が1億2000万人もいれば、事業も成り立つし、学校も成り立つし、クラブ経営も成り立っていたわけです。
 ところがご存じのように、これから日本は少子高齢化によって、どんどん人口が減っていくわけです。2050年には、生産年齢人口が5000万人台になるとも言われています。これまでは、日本人向けの商品やサービスを提供してきて、説明書も日本語だけで問題なかった。そうした常識が、これから先の時代は通用しなくなっていくわけです。
一方で世界には、人口が400万人とか500万人という小国がいくつもあるわけで、そこからは優秀な人たちがたくさん生まれています。サッカー選手についても、そうですよね。なぜそれが可能なのかというと、彼ら彼女らが見ている景色や視点が「外向き」だからです。
 そもそも人口が限られている国の人々は、国内だけを見て物事を考えたりはしない。グローバルスタンダードというものを意識して、そこに自分たちを合わせていかないと生き残っていくことができないわけです。だからこそ、多様性というものを正しく理解し、受け入れることができる。

 日本の場合は、どうでしょう? 何かあると「日本には日本のやり方があるから」と、自分たちの常識を持ち出してくる。その常識から抜け出せない大人たちが、この社会をずっと牛耳ってきました。でも、これからの日本を担っていく世代のことを考えたとき、そういったマインドばかりを継承していては、日本は生き延びていくことができないと思っています。
 サッカーやスポーツに関しても、まったく同じことが言えます。これまで指導現場で受容されてきたハラスメントが、これからも続けられていったとしたら、日本のスポーツ界は本当に生き残れなくなります。そしてそれは、その国の競技力にも関わってくる話です。人権リテラシーの低い国で、わざわざプレーしたいという選手は、果たしてどれだけいるのでしょうか。
 これはJリーグの存亡に関わる、非常に大きなレピュテーション(評判)の問題だと思います。人権を大切にするという、最低限のエッセンシャルなことができていない国のリーグに、誰が憧れるでしょうか? どんなに競技力が高かったとしても、どんなに放映権が高く売れたとしても、海外から尊敬されないリーグに未来はない。それが、私の考えです。

<以下略>

 日本国公人、とりわけそのトップである首相による靖国参拝は戦争被害者側に対する人権侵害(侮蔑行為)のように思えます。そういう視点が必要です。




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