ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

リコール署名の不正と民主主義

 愛知県の大村秀章知事のリコール署名の約43万5,000人分のうち、約83%、約36万2,000人分に不正が疑われ、無効と判断された署名の約90%は同一の筆跡、約48%は選挙人名簿に登録されていない人の署名だったとして、県選管は刑事告発したというニュースを昨日知った。今朝には、これは書き写しのアルバイトによるものだと報道されている。驚きである。

名簿の束「書き写して」、会議室に数十人 リコール署名偽造、バイト男性証言:中日新聞Web
【独自】署名偽造、バイト動員か 愛知県知事リコール、広告下請け会社が求人:中日新聞Web


 昨日TBSラジオ荻上チキのSessionで、荻上さんらがゲストの宇野重規さん東京大学社会科学研究所教授)と民主主義について興味深い対談をしていた。中で、この愛知県のリコール署名のことも少しだけ取り上げられていたが、勉強になった。リスナーからの質問に答えた部分などから一部要約して引用する。

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——民主主義はたくさんの意見を取り入れるので決めるのに時間がかかると言われている。それはメリットでありデメリットでもある。安定政権で早く物事を決められれば、もう一つのメリットである「たくさんの意見を取り入れる」というのが難しくなる。決定が遅くなってもみんなの意見を取り入れた方がよいのか、なぜ、民主主義はこんなに曖昧なのか。

 宇野:民主主義は多くの人が参加し発言するので、当然意思決定に時間がかかる。最近のコロナ危機でも、中国のような国の方が意思決定が早いではないかと言われ、場合によっては権威主義的、専制的な体制の方がいいのではないかという声がある。民主主義には、あるときは混乱し、間違えたらもう一度やり直し、修正するなど、面倒なプロセスがたくさんある。それは強みでもあり、弱みでもある。独裁的、専制的なやり方は、うまくいっているときはよいが、失敗してしまったときに歯止めがきかず、悪い方向へ突っ走ってしまうところがある。今回のコロナの「危機」でも、最終的に多くの国民の理解が得られた方が解決に近づく。もしかりに短時間で指導者が何かを決定するということがあったとしても、その説明はしっかりしなくてはいけないし、事後的にその判断が正しかったかどうか、きちんと検証しなくてはならない。そういう意味で、「危機」のときにも民主主義のプロセスは重要だと考えている。今のこういう状況の中でみんな疲れて、民主主義に耐えるのがうっとうしくなり、何でもいいから早く決めてくれという声が出てくるのは充分理解できるが、こういうときこそ踏みとどまって、同じ仲間同士、市民の間で、「今、このように言われているが、それは正しいのだろうか?」と考えるプロセスを組み込んでいくことが必要で、そうでないと、民主主義の意味は生きてこないと思う。

 荻上:今、民主主義は面倒だという話があった。一方で、この辺りは為政者にお任せするとか、ちょっとした独裁なら許される、と考える人もいる。そういう人たちは自分たち好みの独裁しか生まれないと思っていて、そうでない独裁が生まれたときに自分たちが抑圧される側に回るというリスクを考えるべきだと思う。民主主義では一人一人が投票権をもっているが、間違った選択をすることもある。今、アメリカでは、陰謀論とか誤った情報とか、民主主義の手続きで選ばれた人がデマやフェイクを流すことによって「不正選挙」を訴え、民主主義のシステムを壊そうとするかのような振る舞いを目にするが、今のアメリカはどのように映っているか。

 宇野:世界の民主主義を先導してきたアメリカの混乱は、世界の民主主義に対する信頼の低下につながっている。陰謀論が出てくる背景には代議制民主主義がうまくいっていないことがある。自分たちの声が政治に反映されていない中で物事が進んで行く、おかしい、誰かが裏で悪いことを考え、決定しているに違いないという考えが広がっている。疑いを持つこと自体は健全で、自分たちの声を聞いてほしいというところまでは正しいと思うが、自分たちの信じている世界観が絶対で、それ以外の人間たちはすべて間違っていると言ってしまうと、それは行き過ぎで、民主主義を否定することになる。そうではなく、自分たちの声を聞いてほしいと思うのであれば、なおさら他人の意見も聞いてほしいと思う。そこで自分たちが絶対正しいと考えてきたことを振り返ってみる、それが民主主義の真骨頂だろう。現実にはなかなかそうならないが……。

 荻上:民主主義には時間がかかるし、相応の訓練も必要で、民主主義とは何かということを知らなければ、たとえば国会で、与党と野党が何をやっているのか分からず、何となく雰囲気でその議論の価値を決めてしまう。民主主義が浸透するにはまだまだ歴史的時間が必要だということだろうか。

 宇野:そうだと思う。ここで代議制民主主義の原点に戻ってみると、自分たちが選んだ人たちが何かを決めるのは自分たちが決めるのに等しいという “みなし” があるが、今それが信用できなくなっている。政治学者たちは、確かにそうだ、だから、選挙制度を変えなくてはいけないということを言うが、今人々はその選挙制度自体を信用しておらず、もっとダイレクトに自分たちの声を政治に反映させたいと強く思うようになっている。我々政治学者は、これまで議会とか立法権の民主主義を議論してきたが、これから重要になっていくのは、行政権とか執行権で、日々政治を行っている者に対して声を上げたい、もしそれが間違っていたら自ら止めたいと、自分たちの影響力を直接行使したいということだ。そうした実感をもてるようになれば、民主主義に対する信頼が取り戻せる。したがって、行政権や執行権に対する、より直接的な民主的統制というのが非常に重要になってくると思う。

 荻上:それは自分たちだけの口利きよろしくとか、他人はいいから自分の意見だけ聞いてくれ、というのとは全く逆の対応だと思うが……。

 宇野:まさしくそうで、政治家に個人的に言うことを聞いてほしいというのは口利きであって民主主義ではない。行政が情報を公開し、すべての人が情報にアクセスできるようにする。その上で開かれた場所、他人が見ている、聞いているところで意見表明をし、それらが競い合う中で物事が決められていくという決定のプロセスが透明化されていないと本来の民主主義ではない。こういう形で自分たちの意見を反映させ、自分たちが社会を動かしているという実感を取り戻していく、そのためにはもう少し工夫が必要ではないか。ここを進化させるかどうかが鍵だと思う。

——愛知県の大村知事のリコール運動をめぐって、提出された署名の8割以上に不正が見つかった。民主主義の手続きのひとつであるリコールの信頼性が失われてしまうだけでなく、制度全体に対する不信感が広がってしまうのではないかと恐れているが、これはどう考えたらよいか。

 宇野:リコールは非常に重要だ。日本では国政レベルでは選挙のみだが、地方政治では選挙に加えてリコールとか住民投票などの制度が整備されていて、地方の方が民主主義のチャンネルが多い。その中で今回リコールが悪用されたことが露わになったのは非常に難しい問題を含んでいると思う。こういう制度は、だからダメだというのではなく、どうすればこうしたインチキを防ぎ、より正確性や透明性が守れるのか、制度の仕組みの方を考えるべきであって、こうしたチャンネルをもつ制度自体を否定するべきではないと思う。

<以下略>


 社会にウソや欺瞞が蔓延すると無力感やシニシズムが増幅される。それが制度を腐食させ、さらに人間の良識を麻痺させていく。悪循環である。どんなによい制度やシステムをつくっても、それを支え、動かすのは、最後は “人間“ だと先達が言っていた。何とかその “人間“ が失われないよう踏みとどまらなければいけないと思う。そのための制度設計が大切だ。

 まずは、どうしてこういう驚愕すべき不正に至ったのか、事実の解明を望む。


 
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