ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「#五輪をどうする」

 毎日新聞の連載インタヴュー「#五輪をどうする」を興味深く読んだ。3回の要約を以下に。

<2月8日>辻田真佐憲氏近現代史家)
#五輪をどうする:「東京五輪は先進国のお葬式」 近現代史家の辻田真佐憲さん | 毎日新聞

 1964年の前回の東京五輪は、日本が先進国としてデビューする華々しい大会だったと言われている。今回の東京五輪についても、安倍前首相が「もう一度世界の中心で活躍する国として再生する」と述べていたように、開催したい人たちにとっては「あの感動をもう一度」という思いが込められていた。
 しかし、実際には、水質汚染や酷暑、費用の膨張など開催国としての問題点が次々に明らかになり、ここにきて森氏の女性蔑視発言が出てしまった。先進国としてはありえないような時代遅れの価値観が日本に存在していることを国内外に示してしまったわけで、東京五輪が先進国としての日本の「お葬式」になると皮肉を込めて、つぶやいた(2月4日の氏のツイッター
 そもそも、森氏はこれまでも問題のある発言を続けてきた人で、そういう人物を大会組織委員会の会長に就けたことには問題があると思う。明らかに、国民からも不人気であるにもかかわらず、あの地位に居続けられたのは、政界の複雑な力学が働いていたこともあるが、日本のスポーツ界のゆがみもあると思う。
 東京五輪の開催は難しいのではないかと思っている。仮に開催したとしても、大勢の観客を集めて、華々しく開催するのは難しい。無観客で、しかも、ものすごい批判を浴びた形での開催になる。開催前から失敗がわかっているような大会になると思う。
 元々アマチュアのスポーツ大会だった五輪が変容し、国威発揚経済振興のイベントになった。さまざまな動員をかける参加への同調圧力も感じる。しかし、国威発揚経済振興の側面すらも、今夏の五輪には期待できないだろう。むしろ逆に、五輪を通じて、日本は国威を失い続けているように感じる。


<同日>杉本龍勇(たつお)(法政大学教授)
#五輪をどうする:「このまま開催すれば五輪の価値を下げる」オリンピアンのスポーツ経済学者 | 毎日新聞

 1992年バルセロナ五輪に出場し、五輪の素晴らしさや価値を肌で感じた。競技会場や選手村だけでなく、街全体で五輪を堪能することができた。スタッフやボランティア、市民ら誰もが五輪を楽しむ雰囲気があった。6位入賞した男子400メートルリレーでアンカーを務めたが、スタートの号砲が鳴る前から目の前が真っ白になった。見えるのは仲間が走るレーンだけ。音も聞こえない。競技に集中できる、心理学的にいう「ゾーン」にすっと入れる最高の競技環境だった。世界選手権や他の国際大会では味わえなかった感覚だった。アスリートも観客もスタッフも全てのパワーが結集すれば、突き抜けたものが生まれる。あの時の記憶は今も鮮明に残っている。
 しかし、五輪を素晴らしい舞台だと思うからこそ、今の世界の状況であのような祭典ができるのか疑問に思う。むしろ開催することが、五輪本来の価値を下げるのではないか。IOCは市場を広げる、収益を上げることを重視するあまり、開催規模を拡大させ過ぎてしまった。
 2024年パリ五輪も、なぜタヒチでサーフィンを開催する必要があるのか。今回、無観客開催の話も出ているが、五輪の価値を下げて放映権収入のためにやるならば反対だ。スポーツは放送されなければ意味がないという消耗品扱いの表れのように見えるからだ。スポーツは本来、会場に足を運んで見るもので、テレビ中継やインターネット配信は観戦を補完するもののはずだった。本末転倒の感が否めない。
 五輪を中止することでスポーツの価値を見直すきっかけになれば、その方が価値がある。日本のプライドのために五輪開催を強行するよりも、東京五輪が中止になったことでその後の大会の姿が変われば、はるかに歴史的な価値がある。
 アスリートにはスポーツだけでなく、社会にも目を向けてほしいと言いたい。五輪に向けてトレーニングに突き進むだけでなく、たとえ五輪が中止になっても別の形で社会に貢献できることを示してほしい。私はスポーツとは究極の「自己満足」だと思っている。誰かを感動させるためにやっているわけではない。アスリートも影響力や発信力など違いはあるが、それぞれの立場で競技以外にも何ができるか見いだす努力をしてほしい。


<2月11日>鵜飼哲一橋大学名誉教授)
#五輪をどうする:女性蔑視発言の根底に潜む「五輪ファシズム」の危険性 | 毎日新聞

 オリンピックは古代ギリシャの宗教的祭儀だった。近代五輪の創始者クーベルタン(1863~1937年)も「オリンピズムとは第一に宗教である」と明言していて、聖火はその象徴だ。欧州からキリスト教が後退し、社会を一つにまとめる精神的なものがなくなった危機感の中で彼は育った。貴族制度は復活できないが、それに代わるエリート集団が社会を導かなくてはいけないと考えた彼は、知育・徳育・体育の三位一体の鍛錬で、「生まれは平等なエリート集団」が作り出せるという教育思想にたどり着いた。国際オリンピック委員会IOC)は今も王族や貴族のサロンで、そこに元オリンピアンが(新しくIOC委員などになり)「新貴族」として入り込んでいる。
 クーベルタンの著書「スポーツ教育学」などは当時の上流階級の通念だった女性蔑視や優生思想に満ちている。クーベルタンは初め、女性がオリンピックに参加することは認めなかった。この排除に対しては1896年の第1回大会から女性の抗議活動があり、1900年の第2回パリ大会からは女性も参加することになるが、彼自身は反対だった。国家の発展のために試練を克服して環境に適応できる、兵士となるべき強い男性の人材養成が必要で、国民は彼らの競争を通じて優秀になる――という優生思想もあった。そうした価値観は、当時のヨーロッパの知識人界には広く見られたものだ。

 20世紀のヨーロッパでファシズムを生んだ思想的土壌は、古代ギリシャ崇拝をはじめ、オリンピック復興理念と多くの要素を共有している。オリンピックは最初から全体主義的なイベントになりがちな傾向を強く持っていた。1936年にナチス・ドイツが挙行したベルリン大会を、IOCは今も最も成功した大会と評価している。
 日本で成功したとされる64年の東京大会の時も反対運動があったし、今の国立競技場がある地区では多くの家屋が取り壊され住民が立ち退きを強制された。68年のメキシコ大会では開催に反対した学生が開会式直前に何百人も殺された。2016年のリオデジャネイロ大会の開催中も、警官による民間人の射殺が激増するなど人権侵害が多発したことを、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが報告している。しかし、IOCは全て主催国の問題にして責任を引き受けることはない。21世紀に入ってテロ対策が強化され、ロンドン大会(12年)、リオ大会では地対空ミサイルが配備された。当然、日本も開催されれば同じことになる。憲法が改正された後の状態を先取するような形で五輪期間中の警備が構想されている。顔認証システムも初めて導入予定で、日本在住者にはマイナンバーカードの提示が求められる。監視テクノロジーのこのような浸透が五輪を通じてグローバルに展開するところに現代のファシズムの特徴がある。

 日本の将来のためにも五輪は中止すべきだ。8割の人が中止・再延期を望む中で「やる」と言い募る人たちは民主主義者ではない。それでも強行される企画は独裁的であり、この国で民主主義が機能していないことの証しになる。
 現在のオリンピックのあり方に批判的な研究者たちは、開催立候補都市に住民投票を義務づけることを提案しているがIOCは拒否している。ドイツのハンブルクなど、ヨーロッパの諸都市は近年、住民投票に敗れて立候補を取り下げた。財政負担と環境破壊が最大の原因で五輪離れが進み、IOCは大きな危機感を持っている。
 安倍さんはあわよくば五輪を使って改憲まで持っていくつもりだったと思う。福島のことを忘れさせ、開催予算を自民党の支持基盤に流し、祝祭の勢いで改憲まで持っていく。このシナリオはコロナによって崩れたが、五輪の歴史の中でも最悪の政治利用計画の一つだろう。
 IOC総会の場で安倍前首相は「福島の状況はアンダーコントロール」などと、とんでもないうそをついたのに、オリンピックをやり切って、それも「良かった」ことにしようとしていた。子供たちの教育にとってもよくない。
 そして中止した後、招致活動から開催準備まで検証し直すことが必要だ。それぞれの段階で、誰が、どういう観点で、何を決定したのか。何にどれだけお金が使われたのか。不利益を被った人は誰か。全てを明らかにするこの作業は、メディアにも期待したい。
 コロナ禍によって、市民が政治にシビアに目を向けるようになった。アメリカのトランプ前大統領もコロナ禍がなければ再選されていただろう。日本は五輪を中止し、多くの人が検証に参加することで、21年が民主主義元年になることを望む。

 次の五輪開催地は来年冬季大会が予定される北京だが、北京は欧米諸国のボイコットの可能性もあり、IOCは大変警戒している。東京、北京とも開催できないのは避けたいから、IOCは東京開催に固執するだろう。私の見通しでは、ぎりぎりまで開催強行を狙うだろう。「無観客」という話が出ているが、世論調査でも「無観客」という項目が入ると反対8割という数字が消える。数字が下がってきたら、できるだけフルスペックに近いかたちで観客を入れようと画策してくると思う。しかし、森発言以来、ボランティアの辞退が増えているし、今後は選手たちからも抗議の声が上がることが、主催者側には最も手痛いはずだ。
 黙っていたら「わきまえている国民」にされてしまう。さまざまな表現方法を工夫して異論を発し続けることが大事だ。


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