ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「水際対策」――誰の勇み足か?

 今日は短く。
 新型コロナウイルスの「オミクロン株」感染者のニュースが伝わり、岸田首相は、水際対策強化を打ち出した。南アなど数カ国からの入国制限では手ぬるいと見るや、11月30日以降は「全ての国からの新規入国を原則停止」と表明し、「入国禁止政策の責任は全て私が取る」と豪語した。「スピード感」「指揮官ぶり」を演出したい色気はあったにしても機動的である。こうなれば航空各社に国際線の新規予約の停止を求めるのは当然の成り行きに思えるが、12月1日夜、この方針は、1日にして撤回された。どうしてこんな朝令暮改のドタバタとなったのか。忖度したら違ってたという話は本当なのか。理由を考えてみると…

 ① 国交省の役人が自己の判断で先走った。
 ② 岸田首相と周辺は「新規入国禁止」の具体策を何ら想定していなかった。
 ③ 財界から、ことは慎重にと諫める声が出た。
 ④ 海外在留邦人から帰国できなくなると批判が上がった。

 政治が何かひとつの理由だけで動くこともないのだろうが、政権は①が主原因だと言い張る。しかし、実態は②であり、真相は③だろうと思う。④は「聞く力」「聞く耳」を標榜する(実際は「選ぶ耳」の)首相にとっては後付けのアイテムか。一応「聞きました」という口実にはなる。かりに、①や③であったとしても、「責任は全て私が取る」という首相の一言はけっこう重いはずだが、これもわずか3日で消し飛んだ。
 首相の発言が重いからといって、「私や妻が関係していたということになれば、…間違いなく総理大臣も国会議員もやめる」という発言の辻褄合わせに公文書の改竄をした過去もあったが、それは禁じ手というか、まともな政府のやることではないし、話が顚倒し過ぎている。どちらにしても(アベスガ政権が替わっても)、日本政治の無責任体系が盤石なことだけはよくわかった。

 12月2日付毎日新聞の記事より。

国交省、独断で予約停止要請 「スピード重視」も即撤回の背景は | 毎日新聞

停止要請、国交省航空局の独自判断
 「一部に混乱を招いた。私から国土交通省に邦人の帰国需要に十分配慮するよう指示した」。首相は2日午前、首相官邸で記者団に対し、1日夜に国交省に方針の見直しを命じたと明らかにした。国際線新規予約の停止要請は国交省航空局の独自の判断で11月29日に行われた。首相や松野博一官房長官、斉藤鉄夫国交相が報告を受けたのは2日後の12月1日の夕方だった。
 同局によると、11月29日に政府が示した、入国者総数の1日の上限を12月1日から3500人に引き下げる方針を受けて局内で対応を協議し、その日のうちに12月1~31日の間に日本に到着する全ての国際線の新規予約を停止するよう国内外の航空各社に要請した。
 12月は年末年始に向けて利用者の需要が高まることもあり、「緊急避難的な予防措置として急いでやらないといけないと考えた」という。
 斉藤氏は記者団に「スピード感を持って対応したということだが事後報告だった。国民生活に大きな影響を与えることについてはより丁寧に対応すべきで、航空局に注意をした」と苦言を呈した。
 同局によると、これまでも航空会社に対する事務的な要請は日常的に行っており、担当者は「今まで事務的に連絡しており、その一環との思いがあった。認識が十分ではなかった面があった」と釈明した。同省幹部は「事後連絡で構わないレベルだと思っていた。航空局の判断による要請で、国交相の決裁も経ていない。認識が十分でなかった」と話す。

 ただ、同局がスピードを重視し独断で要請に踏み切った背景には、首相官邸の焦りもあるとみられる。
 政府は11月29日に外国人の新規入国の原則禁止を決め、オミクロン株の国内初感染が確認された30日には、隔離措置の強化を発表した。首相が矢継ぎ早に対応を打ち出すのは、安倍晋三元首相や菅義偉前首相が水際対策で「後手」との批判を浴びたことへの反省からだ。同局の対応も「スピード重視」の政権に同調した動きとも言え、閣僚経験者は「首相官邸のプレッシャーを感じていたのではないか」と推測する。
 一方、官邸も方向性を示すものの、具体的な対応は各省庁に委ねるケースも多く、官邸関係者は「事務的な詰めは各省庁がやればいいと考えていた」と語る。だが、憲法が保障する「移動の自由」や「営業の自由」に抵触しかねない要請の存在を見落としていたのは痛手だ。1日夕の会合で要請内容の説明を受けた松野氏は「新規予約を停止して本当に大丈夫か。日本人の帰国にはしっかり配慮してほしい」と疑問を呈したが、同日夜には海外からの日本人帰国が制限されかねないことに対し世論の反発が広がり、撤回の大きな要因となった。

 菅前政権下でも、西村康稔経済再生担当相(当時)とその事務方が、酒類提供の自粛要請に従わない飲食店への対策として金融機関に働きかけを要請。「圧力」との批判を浴び、撤回に追い込まれた。「先手」の対策にこだわり過ぎれば、拙速になりかねない。「コロナ対策はどの政権でも難しい。岸田政権にとって、これからが正念場だ」。元閣僚はこう語る。

 政治家(屋)さんたちがこれまで頻発させてきた「秘書が、秘書が…」を信じる人はもはやいないと思うが、最近では、尻拭いどころか、危うく人身御供にされそうになった秘書が、録音音声を暴露するなど、悪質な政治家(屋)さんに強烈なカウンターパンチを放つ例もある。霞ヶ関のお役人の方々も、政治家の身代わりになって泥をかぶり、脂汗を垂らすのにも、だいぶお疲れではなかろうか。ご家族も心配されていると思う。それでも何でも、佐川さんたちのように「ご栄転」になりたいと、ただただ忍従するのだろうか。これではますます「なり手」が減ろうというものだ。



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「マイクロアグレッション」のこと

 「マイクロアグレッション Microaggression」――不勉強にも、初めて知った言葉だが、「あからさまな」差別とまではいかないが、曖昧で無意識かつ見えにくい(認識されずにいる)差別のことを包括する語らしい。
 TBSラジオのSessionのパーソナリティー荻上チキさんが11月25日放送の同じTBS「アフター6ジャンクション」に「連投」で出演し、一冊の本を推薦しながらこの語にまつわることを簡単に話している。ラジコで聞いた部分を起こしてみる。

https://radiko.jp/#!/ts/TBS/20211125180000

「マイクロアグレッション」――直訳すると「小さな攻撃」となるこの言葉は差別や人権研究の解像度を一段階上げてくれるキーワードです。私たちの社会は見逃しがちなこきおろしやとらえがたい侮辱にあふれています。30歳です、と年齢を伝えると、薬指をチラリと見られたり、女性の仕事だけ「女性カメラマン」、「女芸人」といった冠言葉がついている。男同士で仲良すぎなのは気持ち悪いとからかわれたり、抗議の声を上げると、落ち着けよ、と言われたり。こうした「小さな攻撃=マイクロアグレッション」の数々は日常の中のちょっとした言葉や行動や状況や環境の中に埋め込まれています。マイクロアグレッションは特定の属性などに対する否定的な表現を通じて、社会の中で「あるべき人」とそうでない「異常な人」の区別を人々に確認し、たたき込み、突きつけ、挫く役割を持っています。

 「マイクロアグレッション」ということば自体はすでに1970年代のアメリカで存在していた言葉なんですね。ただ、ここ10年ほどで(注目されるようになり)、この本の著者であるデラルド・ウィン・スーさんという方、心理学者でありカウンセラーであり、自身も中国系アメリカ人でもあるんですが、さまざまな研究成果を、ステレオタイプとかレイシズムとかと結びつけることによって、レイシズムとか差別と言うにはちょっと、「いや、そんなんじゃないんじゃないの?」と言われるかもしれないけど、確かにあるあのザラリとした感じというのを体系的に研究したの…です。 

 この本というのが、一年前に刊行されたデラルド・ウィン・スー『日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション――人種、ジェンダー性的指向:マイノリティに向けられる無意識の差別』明石書店 2020年12月)である。訳者の一人でもある立命館大学の中村正氏が刊行当時に書いた紹介記事もあり、読んでみたが、自分や他人がこれに気づいたときの反応にはぎくりとし、考えさせられた。
 朝日新聞の本の情報サイト「じんぶん堂」の2020年12月30日付記事より。

曖昧で漠然とした、認識しづらい差別と偏見――いま注目される差別概念マイクロアグレッションとは何か|じんぶん堂

マイクロアグレッションへの対応
 こうしたマイクロアグレッションへの対応は難しい。
 ①曖昧さがある――マイクロアグレッションが起きたのかどうか断定できない、②応答しづらい――どう応答すればよいか分からない、③時間がない――応答できるようになる前に出来事が過ぎ去ってしまう、④否定する――厄介なことなので自分を偽って何も起きていないと信じ込もうとする、⑤行動への無力感が生起する――「どうせ、何も良いことはない」、⑥結果を恐れる――そんなことに反論、抵抗すると別の非難が待っているという思いが生起する等して苦慮する。
 「自分が繊細すぎるのだろうか」「考えすぎだろうか」「相手には本当に悪意があったのだろうか」「相手の無知につけこむことになるのだろう」と思み込む、悩むこともある。
 マイクロアグレッションに気づくと自責の念さえわくこともある。

 さらに厄介なことがある。
 相手にそのことを指摘した後で、謝罪がなされることがある。しかしよく見ると、その謝罪においてもマイクロアグレッション的なものが展開されるケースがある。「あなたを傷つけてしまったならごめんなさい」「気分を害したようなので謝ります」「どうやら誤解を招いたようでした」等である。
 マイクロアグレッションによって相手を傷つけたことやそうした行為や発言をしてしまった自己が立ち現れてこない。加害が内省され、社会の問題に向き合おうとする謝罪ではない。そうではなく、傷つきやすい被害者が話題になっている。
 あなたの感受性、考え方、さらにいえば脆弱性に由来する傷つきなので、その点について謝罪しますと言わんばかりなのである。「そういう意図ではなかった」「あなたを差別するとか悪気はないんです」等と言っている。自分の行動は脇に置き、相手の弱さを前景化させ、被害をそうしたものとして定義し、謝罪しているのでそれを受け取って欲しいと要請している。
 よく似た言い方として、「被害を受けた当人がハラスメントだというのだからその限りで謝罪します」という言い方もある。自らの行為を否認はしていないが被害者に判断を委ねている。さらに「意に沿わないことで被害が生起するというのが最近のハラスメントの定義であり、被害者の主観的な感情によるということは理解している」とも分かったようなことを言う。物わかりのよい丁寧な加害者である。

日本の中にあるマイクロアグレッション
 マイクロアグレッションは「社会構造や制度の問題」としてわかりやすく現れるのではなく、個人間の日常的で微細なコミュニケーションのなかから立ち現れる。マイクロという言い方は、日常的行動のなかにこそ大きな重量感をもつ社会が埋め込まれ、立ち上がってくるという意味である。マイクロアグレッションを適切に定義し、言葉を与えていくことで語られていない社会が上昇してくる。

 翻訳作業をとおして考えるべきだと思ったことは、日本におけるマイクロアグレッションの現実である。
 一緒に訳していた在日コリアンのメンバーが話題にしていた。「留学生ですか?」「日本語うまいですね?」「日本に何年居るのですか?」と聞かれることが多い、と。マイクロインバリデーションそのものである。この瞬間、無化された感覚をもち、「他民族や他人種がいないものとされている」ようだとも言う。
 さらに「私には本当に偏見などない。どうすればそれが相手にわかってもらえるだろうか」という質問をされることもあったという。
 問題はマジョリティのもつ無自覚さである。スーは、そのことを見通して、マイクロアグレッションは加害者に対しても有害な影響を与えることを指摘する。加害者が現実に対する歪んだ感覚をもっていること、共感し、理解するためのある種の感情の欠如があること、異なる属性をもつ他者への不安の投影があること、多様な他者へと開かれた関係形成ができていかないこと等を指摘する。
 こうして、マイクロアグレッションへの気づきをとおして支配と抑圧のマクロレベルのシステムが、加害者のミクロレベルの精神と行動、相互作用の様態にどのような影響を与えるかという点を浮かび上がらせている。
 個人はどのようにして、なぜマイクロアグレッションを行うのか、なぜ加害者はマイクロアグレッション行為における自分の役割を認識することが難しいのか、微細な侮辱行為を行った人々にとってその負荷はどのようなものなのかが解説されている。マクロな暴力を支え、無知と善意をとおして偏見を強化していく加害者の心理社会的コスト(感情的、行動的、精神的、道徳的)についても扱っている。訳出しながら日本人男性で教授という地位にある私も加担しているかも知れないと気づく。

<以下略>




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畠山さん、山本太郎さんに訊く

 選挙ライターの畠山理仁(はたけやま みちよし)さんがれいわ新選組山本太郎代表にインタヴューをしていて、文字起こしした方もおもしろかったが、これとは別の動画の方もよかった。その一部を起こしてみる。

【動画つき独占インタビュー】れいわ新選組・山本太郎代表「来年7月の参議院議員選挙で議席を2ケタに乗せたい」 | 畠山理仁「アラフォーから楽しむ選挙漫遊記」 | よみタイ
れいわ新選組・山本太郎代表インタビュー - YouTube

 畠山街宣で聴衆の方にマイクを渡すっていうのは、コミュニケーションのきっかけとしてお渡ししているってことなんですか、質問を受けたり…?
 山本大体政治家のやる街宣って一方的じゃないですか。ある意味、その一方的なプレーを無理やり聞かされるか、聞きたくないような状況に追い込まれているっていうのがちょっと自分の中では嫌だなと。少なくとも何か意見のある人に対しては、意見が言えるような場であるならば、よりよい街宣になるだろなあと思って。でも、一番怖いのは自分が答えられないときじゃないですか。でも、そこは最初にエクスキューズっていうか、申し訳ないですけど、私ですからねって、たかだか山本太郎なんで答えられないときもありますからっていう…。もう最初に開き直ってるってことですね。だから、知らなくともしょうがない。だって、山本太郎ですから、逆に教えてくださいっていう話ならば成立するのかな、っていうことで始めたんですよね。
 で、意外と何かしら政治に対して、ぼんやりしたことでもいいし、はっきりしたことでもいいし、でも、何かしら言ってみたりとか、言いたかったって人が意外といらっしゃるんだなってことだと思います。
 で、攻撃されてくる方、要は、何かしらヤジってこられる方っていうのも、もちろんいらっしゃるんですね、どこでしゃべっても。そういう方に対して、本当は一番マイク握っていただきたいんですよ。あなたのその美しいお口から、その汚物のような言葉を(笑)聴衆の面前でばらまかれるというようなこと、一体そのもととなるものは何なのか。おそらく、こちらに対する嫌悪感であったりとか、そういうものだったら、逆にそれを聞き出したいですよね。そのもとになっているものを是非言っていただきたい。みんなの前でヤジるくらいの勇気があるんだったら、おそらくマイクを持てるだろうなって思って。ってことで、優先的に。話の乗ってきてる、いいところでヤジが飛んできたら一回止めちゃうんですよ。いやいやいや、どうぞどうぞって、いうふうに。逆に貴重な話が聞けるかも知れないし、誤解が解けるかも知れないし…。
 まあ、いろんな意味でいいですよね、みんながマイクを持てる状況っていうのは。一番の難点は、私の説明が一番長いっていう(笑)。本当はもっとね、パンパンパンパンって一問一答みたいな感じでいけるといいのかもしれないんですけど、その一問一答の答えの中に疑問が残り続けるっていう方もいらっしゃるだろうなと思うと、やっぱり疑問の多くが解消される方向に向かうように丁寧に説明しなきゃってことで、長くなっちゃうんですよね。友達から言われました。全部説明しようとするなって(笑)。「ありがとう」って(笑)。

 畠山山本さん自身も、「コツコツピンポン」(戸別訪問)っていうやつをやってるんですか?
 山本そうですね。私たちがつけた名前ではないんですけど、ボランティアの皆さんがつけてくださった名前で、一軒一軒ピンポンしながら、ポスター貼らせてもらえないですか、ってお願いをするっていう活動ですね。やってます、はい。
 畠山僕も現場を見させてもらいに行ったことがあって、旭川とかで見ましたけど…。ピンポンして、チラシだけでも読んでくださいって、ポストに入れたりとかされてましたよね。
 山本「何しに来やがったー!」とかリアルに言われることがありますからね。でも「おめえのこと大っ嫌いなんだー!」って言われて、「えー、すいません本当にぃ…。たとえば、どんなところがぁ?」みたいな(笑)。
 畠山「そーいうところだー!」って(笑)
 山本いやでも、訊きたいじゃないですか。改善の余地があるかもしれないから。もしも、ちょっと違う話だったら、「いや、それ…」「実は…」って話ができたりだとか。「もうおまえはいらん、出ていけー!」って言われたら、「そーっすかあ、さようなら」っていう話だったら、そこでもう終わっちゃいますから。そう言わずに、何かね、コミュニケーションがあったとしたら、どっかで応援してくれる人に回ってくれるかもしれませんからね。その可能性を0.1%でもと思って言うんですけど、余計嫌われるっていう(笑)。
 畠山成功したことはないんですか、今まで?
 山本いや、でも、一回もないわけじゃないです。どこやったかな、あれ、世田谷やったかな? どっか定点、本当に短い時間だけ(街宣を)やろうと思って、要は、トラメガ(トランジスタメガホン)とマイクで軽くやってたときに、「れいわはカルトだよー!」って言う奥様がいらっしゃって、世田谷で…(笑)。もうびっくりして、あっ、そういう口を荒らす奥様がいらっしゃったのか、世田谷にもって、すごくショックだったんですけど。「れいわはカルトだー、だまされちゃいけない!」みたいなことを大きな声で言われてて、「えっ、ちょっと待ってください。何がカルトなんですか? ちょっとカルトと言われる部分をお訊きしたいんですけど」と言ったら、「あんたらは自衛隊をこの国からなくそうとしている」みたいな、全く意味がわからない話なので、こっちからしたら「えっ、どういうことでしょうか?」って言ったら、「あんたらは共産党と一緒にこの国から自衛隊をなくそうとしている、って聞いている」っていう話をされていて、「どちら様ですか、創価学会の方ですか? 公明党支持者の方ですか?」って言ったら、「そうじゃない」っていう話から、何かこうお話をしていったら…。「違いますよ。私たちは専守防衛っていう範囲から、自衛隊は国の施政下から外に出しません。逆に言ったら、アメリカの世界戦略みたいなところに行こうとしている(米軍の)二軍として付き添わせるような安保法っていうものにも反対してますよ。一人で牛歩したのは、そこなんですよ」っていう話を説明したら、「それはもうみんなに言った方がいい」って、「みんな勘違いしてる」って、「みんな」の範囲がよくわからないんですけども(笑)。何かものすごい大きな勘違いと言いますか、誤解をされていて。
 だから、ある意味でね、そういうふうに「カルトだー!」って言われるたびに、「おまえの方がカルトだあー」みたいな話になったとしたら、カルト合戦になっちゃうじゃないですか(笑)。カルト認定合戦になっちゃうんで、だから、そういうことではちょっとエネルギーの行き場がないっていうか、だから、一回来たものに対して、自分の中で理解できないものはさらに訊いて、で、もう一回返してもらっていくうちに、すりあわせっていうか、誤解があればアジャスト(調整)していきながら、こちらに非があれば、謝るべきところは謝ってっていうようなことをやれば…。一人ひとりにできればいいんですけどね。できるんだったらやりたいんですけどね、全員に。だから、もう「おまえのこと大っ嫌いだ、出て行け!」って言われたとしても、何かしらチャンスはあるんじゃないかって思って、アプローチをするってことですね。それが如実に現れるのが、コツコツピンポンだっていう部分かもしれません。

 畠山立憲民主党は共闘する相手として信頼できる相手でしたか?
 山本どうやねんやろうなあ?(沈黙)信頼できる相手かどうか…。信頼って何から生まれるのやろ? 馴れ合いから生まれるんですかね。だから、こういう感じで行きましょうや、みたいなところの馴れ合い的なものから信頼が醸成されても意味ないじゃないですか。やはり、信頼って何からって、永田町における信頼が何から生まれるかって言ったら、やっぱり世界観であったりとか、それが政策に落とし込まれたりとか、「今何が必要だと思う?」ってところから逆算ですよね。ここに対して何をしなきゃならないのか、「それ必要だよね、今」っていうことでの塊であるならば、それこそ信頼だと思いますけど。
 とにかく、政権交代するためには~っていうような…。もちろん政権交代は必要なんだけれども、今必要なものに対して、今必要な施策に対して、どういう政策を用いて、それをみんなでやろうっていうことによって、結果政権交代が生まれるんだよ、っていう順番だと、私は思ってるんですよ。とにかく何が何でも政権交代っていうのは、私にはちょっと意味がわからないっていうか、それじゃちょっと納得いく人いないだろうなと。安倍政治を許さないっていう人はたぶんそれを望むだろうけれども、でも、それなぜ許さないって言ってるの? っていう部分じゃないですか、そこは。だから、信頼に値するのかどうかっていう話ではなくて、アプローチとしてどうだったのかっていう問題はあるかと思います。だって、力を合わせるしかないから。最終的にひっくりかえすためにはね。これは次にすぐに力を合わせるって話をしているわけじゃなくて、無茶苦茶強い相手に対して、少数派が確実にひっくりかえしていくためには、っていう話なんですよね。そのためのアプローチっていうのは、今回のようなやり方では難しいだろうなあと、そう思います。

<以下略>

 立憲民主党の代表選が終わったが、大きな変化は見込み薄だ。地道にやるしかない。引き続き、れいわ新撰組山本太郎さんには期待している。



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