ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「入管問題」を書くということ

 「困ったときはお互い様」が死語になったとは思っていない。小生などは、一時「都会」暮らしを経験したとはいえ、農村で育った人間として、冠婚葬祭で近所同士が、今からすれば、過剰なまでに助け合う姿を見てきた。これは千葉に限らないと思うが、1960年代までは田植えや稲刈りと言えば近所総出の一大行事で、終われば酒盛りだった。日が暮れて学校から帰ってくると家で大宴会をしていた光景は今でも忘れられない。70年代に入ると、そのうちに機械化が進んで共同作業は徐々になくなり、田に引く水の共同管理と祭りなどを除けば、互助の現実的基盤は狭まっていった。さらに、離農が進み、新しい住民が増えてくると、互助の絆(縛り)はますます弛緩していく。「自助」――「自分のことは自分でやる」というある面では酷な発想が根をはる過程と、こうした「村社会(農村共同体)」の解体は符合しているように見える。
 しかし、こういうのは後付けの創られたイメージもあるだろうし、多分に個々の人間性にもよる。数年前に狭い道を車で通っていたら対向車と出くわし、互いが通れるように道を空けようとしているうちに側溝にタイヤを落として動けなくなったことがあった。相手の車はそのまま行ってしまうし、後ろに続く車のドライバーは窓越しに、(傾いた小生の車の)ドアミラーが邪魔で通れないから何とかしてくれと言うし…。不愉快ではあったが、まあ、そんなもんかと思いつつ、電話で救援を頼んでから待つこと40分。その間に横を通り過ぎた車がおおよそ2、30台はあっただろうか。しかし、中には車を止めて、「これさあ、JAFF呼んだ方がいいよー」とか、「近くに住んでるから何か持ってこようか?」とか、意外にも、見ず知らずの人が4人くらい声をかけてくれた。もちろん、大多数の通り過ぎていった人たちがすべて我関せずで、一様に「無視」したわけではないだろうが、はたして、日本でなかったら、もっと声をかけて助けてくれる人が多かっただろうか、それとも、少なかっただろうか、と。

 今年の3月に名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった事件は、ことの詳細がわかってくるにつれて、この国の暗部を見せつけられる思いがした。そして、これが入管という限られた空間での話では済まないように思えた。おそらく、「場所」がかわれば、「ふつう」の人にも起こりうるし、もっと邪推したことを言えば、入管や法務省といった官庁のお偉方の縁者なら医者を呼んで診てもらえるが、そうでなければ「見捨てられる」ということになる(なっている)のではないか。
 実際、コロナの感染拡大によってこれは「立証」されてもいる。国会議員や芸能人など「テレビに映る」ような有名人たちはコロナ感染後、すぐに入院できた一方、病院で診てもらえず自宅療養中に亡くなった人も多く出た。報道されて世の耳目が集まらないところでは、かように「自助」という「放置」や「見殺し」が牙をむいている。バレなければいい、ということでこうなっているのだとすれば、これはまずバラさなければならないだろう。
 その意味で、11月25日付「論座」に小説家の中島京子さんが書いた記事を共感しながら読んだ。中島さんは読売新聞・夕刊?の「やさしい猫」という連載小説でこの「入管問題」を題材にしている(という 読んだわけではないので…)。

わたしが入管を書いたわけ 救われるべき命の声なき声 - 中島京子|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋入管で亡くなった事件があってから、半年以上が経過した。彼女の死の真相を知るために、妹さん2人が来日して4カ月以上たち、先日上の妹さんはスリランカに帰っていった。
 ウィシュマさんが単独室にいた亡くなる前の2週間をすべて記録した映像は、今後、裁判の過程であきらかにされることにはなったが、入管庁と法務省はいまだに、遺族が求める、裁判前の任意での全面開示を拒んでいる。
 先日、わたしは、この悲劇と入管のひどい対応についてSNSに投稿した。
     *
 わたしにも姉がいる。
 外国で暮らしている。
 もし、姉が外国の国家機関で、虐待のような目に遭って死んだとする。
 その国に出かけていき、姉が死んだときの映像を見せてほしいと言うと、2週間分ある映像のうち、たった2時間に編集したものを見せられる。
 その中で姉は、見たこともないほど痩せ細り、一人では立ち上がることもできない。ベッドから落ちて呻く姿を見る。
 何度も呼んで、ようやく現れた職員が、腕や服を引っ張って、「重い」と笑い、冷たい床に放置したまま、姉を跨いで出て行く。
 別の日の映像では、弱って何も飲み込めなくなり、むせてコーヒー牛乳を鼻から出した姉をバカにして嗤う職員たちを見る。耐えられずに吐き、ビデオを見るのを中断せざるを得ない。数日、ショックで寝込む。
 姉をそんな目に遭わせた、その外国の国家機関が、残りのビデオを見に来いと言う。編集された2時間の残りしか見せようとしないのだろうが、姉の最期の姿が映っているなら見なければならないと思う。でも、姉を殺した(柔らかく言うなら見殺しにした)その国の国家機関は、弁護士の立ち会いは認めないと言う。
 自分はその国の言葉もわからない。
 前にビデオを見たとき、むせてコーヒーを飲み込めなかった姉を嗤う理由がわからなくて、なぜ笑ったのか尋ねたら、「フレンドリーに接するためのジョークですよ」と、その国家機関の人は言った。あきらかにバカにして笑っていたのに、そんな説明は信じがたかった。後になって、それはその国のコメディアンのネタを持ち出して、弱った姉を笑い物にしたのだと、わかった。
 ビデオは見なければならないが、それは姉を殺した組織に出かけていき、言葉もわからない中で、姉を殺した組織が身内を庇うための説明をするのを聞かされることを意味するらしい。それは残酷な拷問ではないのか。姉を殺したのと同じ、人間扱いせずに、苦しめるだけ苦しめる拷問ではないのかと思う。
 それでもビデオは見なければならない。そこには真実が映っている。苦しんで、一人で苦しんで死んでいった姉のために、見なければならない。
そう思うだろう――。
     *
 これを書いたのは、入管庁が「編集されたビデオの残り」を、妹さんたちに開示しなかった日のことだ。そのひと月ほど前に、2時間に編集されたビデオの1時間ほどを見た妹のワヨミさんは、気分が悪くなってそれ以上見られなかった。次に見るときは弁護士同席の上でと強く要望したのに、入管庁はそれを拒否した。
 どんな理由で、このあたりまえの要求、あたりまえの権利を拒否できるのか?
 法務省と入管庁は、自らの保身のためにどれだけ常軌を逸した行動に出ているのか気づくべきだ。(3週間後、名古屋地裁の証拠保全決定を受けて、入管は2週間分の映像を地裁に提出した。末の妹ポールニマさんは弁護士同席のもとで、改めてその映像の一部を最終報告と照らし合わせながら2時間半ほどかけて見た)

わたしには弁護士の友人がいて、彼女がよくSNSに、入管の問題をポストしていた。2017年の春に、茨城の東日本入国管理センター(牛久入管)でベトナム人男性が亡くなった。同室だった男性がそのときの様子を綴った文章も、彼女はシェアしていた。そこには、ウィシュマさんに起こったこととまったく同じことが書かれていた。くも膜下出血で激痛を訴えているのに、入管職員は「詐病だ。仮放免をしてもらおうとするアピールだ」と決めつけて、助けようとしなかった。そのまま、ベトナム人男性は死んでしまう。
 それを読んでたいへんなショックを受けた。それまで、わたしは入管収容というものについて、まったく無知だったので、ほんとうに、わたしの国、日本国内でこんなことが起こっているのか、というのが衝撃だった。いま多くの人がウィシュマ事件で受けているショックを、わたしは4年前に経験したことになる。

……
 それ以来、入管の問題はわたしの胸にひっかかっていた。2018年4月には、やはり牛久入管でインド人の男性が絶望して自殺。そして2019年6月には長崎の大村入管で、長期収容に抗議してハンガーストライキをしていたナイジェリア人の男性が餓死する。わたしが知る限りでも、毎年、毎年、誰かが亡くなっている。
 それだけではなく、大勢の職員による制圧や、虐待などが、何件も報告された。

 いつの時点で、この問題を小説内で扱ってみようと決めたのか、さだかではないのだが、決断の根っこに、亡くなった方の存在があったのは事実だ。
連載開始を1年後に控えた2019年に、弁護士の友人に連絡して、話を聞かせてもらった。一通り、話してくれたあとで彼女は、もっと詳しい先輩弁護士がいるから紹介する、と言ってくれた。そして、声をかけて集めてくれた弁護士3人(彼女も含む)、行政書士1人、元入管職員1人が、その後ずっと、わたしに専門的な知識を伝授してくださり、サポートしてくださることになった。
 そんな経緯だったから、「知識を伝授」といっても、ひと月に1回くらいのペースの飲み会で、世間話やら愚痴やらの交じった、よもやま話の側面もある気楽な会がスタートした。フランクな友人の集まりのようなものだったし、なにより、ただの「お勉強」ではない、現場の肉声だったので、そこで吸収できたものは、統計データや裁判の判決文や学術書からは、はみ出してしまうような、小説を肉付けする多彩な要素に満ちていた。「小説家が話を聞きたがっているから」という呼びかけに応じてふらりと集まってくれた5人の専門家たちがいなかったら、わたしはこの作品を書いていないし、作品がこの形になってもいないはずだ。
 取材を始めたころは、わたしが書いていいのだろうかという、素朴な躊躇があった。その分野に関しての知識が足りないというのは、勉強して補うとしても、マイノリティーの問題について、マイノリティーグループに所属していない人間が、その声を代弁するような行為は、「声の簒奪」もしくは「文化の盗用」と批判されることもある。あるいは、東日本大震災の直後にはよく聞かれた、当事者以外は語るべきではないというプレッシャーも、耳に入らないこともない。

 けれども明確に、わたし自身が気づいたのは、ここに「問題」があるとしたら、それはマイノリティーの問題ではなく、むしろマジョリティーの問題だ、ということだった。マイノリティーの側、非正規滞在の外国人や被収容者のほうに問題があるのではなくて、その人たちの人権を蹂躙している制度、それを作っているマジョリティーの側に問題がある。
 だからこれは、まぎれもなく、わたし自身の問題なのだということが、問題の本質に触れるにつれわかってきた。
 わたしに最初にこの問題を気づかせてくれた友人は、2人で食事をした帰り際にぽつんと言った。
 「結局、彼らは選挙権持ってないから、票にもなんにもならないから、見捨てられてしまうんだよね」
 有権者以外を見捨てていい、というのは、民主主義ではない。有権者、つまり、この国の政治や行政に責任のある、票を持った市民には、票を持たない人々の人権を守る義務がある。
 なにより、「知らなかった」ことがショックだった。情報がなかったわけではないはずなのに、自分はそれにアクセスしなかった。結果的に、「見捨てていた」ことになる。見えない現実というのは、ないのと同じことになってしまう。

 小説を、なにかを声高に主張するような、スローガンをがなり立てるための道具にすることは、嫌だった。それはわたしにとって、「小説」ではない、なにか別のものだ。
 でも、小説にはなにかを人々に知らせる役割はある。聞かれていない声、声として認識されていない声を拾い上げるのが小説の役割の一つだとずっと思っていた。それは主に、歴史の中に埋もれた小さな声、というふうに、わたし自身はとらえてきて、『小さいおうち』とか『夢見る帝国図書館』、あるいは、時代小説の『かたづの!』といった作品を書いてきたのだが、ここにいま現在、ほとんどの人に聞き取られていない声があるならば、それを拾って形にするのも、小説家の仕事なんじゃないかと考え始めた。

<以下略>


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オミクロン株と水際対策のこと

 日本では小康状態を保っているコロナ感染。昨日11月27日の新規感染者数は127人、死者1人。千葉県は新規感染者数2人。ここのところずっと一桁で推移している。政府は新型コロナウイルス対策の行動制限の緩和を発表しており、これを受けて飲食店での会食人数や滞在時間の制限の撤廃を決める道県が増えているが、本当に大丈夫かという疑念はある。隣国の韓国では感染者が激増しているし、ヨーロッパでも同様だ。
 先頃南アフリカで新たに発見されたコロナウィルスの変異株を、WHOは「オミクロン株」(αβγ…の第15番の文字ο)と名付け、その感染力の強さに警鐘を鳴らした。まだ不明なことが多いが、ワクチンが効かないとか、デルタ株を凌ぐ感染力があるなどと言われている。
 感染症専門医で大阪大学の忽那賢志(くつな さとし)氏が解説したYAHOOニュースの記事のなかに、南アフリカにおける変異株の検出割合の変化を示したグラフがある。

南アフリカから見つかった新規変異株「オミクロン株」 現時点で分かっていること(忽那賢志) - 個人 - Yahoo!ニュース

 氏の解説では、「オミクロン株」は今年の11月11日にボツワナで採取された検体から初めて検出され、その後、南アフリカで11月14日以降に採取されたサンプルからも検出され、ハウテン州(首都プレトリアと最大都市ヨハネスブルグがある)では、11月12日から20日まで行われた検査の77例全てがオミクロン株であり、(それから1週間後の?)現在検査されている検体でも半数以上がオミクロン株であることから、この地域では急速に、デルタ株からオミクロン株への置き換わりが進んでいると見られるとのこと。
 グラフを見ると、「オミクロン株」の割合が11月に入ってから鋭角状に伸びはじめて、月の半ばですでに0.75を超す勢いである。これは南アの話とはいえ、感染力がそれまでのベータ株やデルタ株の比ではないことを想像させる。また、ベータ株・デルタ株の前例にならえば、次の変異株が現れるまでの期間、おおよそ10ヶ月くらいの間は猛威を振るうことも予想できる。

 幸運にも新規感染者数が増えずにいる現在の日本では、とにかく水際対策に注力して、変異株の侵入を抑え込み、何とか経済回復軌道を維持しながら普通に暮らせるよう対策と準備を手抜かりなく進めていかなければならないところだ。ところが、「一月万冊」の佐藤章さんの話によれば、空港検疫を含めて、政府の対策は相変わらず「なってない」とのこと。初動の遅れが致命的であることや、第5波の際、自宅待機のままたくさんの人を死なせたことを教訓にするどころか、そもそも組織として反省すらしていないのかと疑う。アベスガ政権の誤りが総選挙ですべてリセットされ、忘却の彼方におかれたかのようだ。今後第6波が来るのは確実だ。1ヶ月後、どうなっているか。またまたの、さらにまた、同じことが繰り返されてしまうのだろうか。

 11月27日付「一月万冊」より。

専門家に緊急取材!日本は地獄になる・・・オミクロンコロナ変異株は何故怖いのか?感染力、重病化率は高いのか?日本の水際対策はザルだ!元朝日新聞・ジャーナリスト佐藤章さんと一月万冊 - YouTube

 佐藤…日本はどうかって話ですよね。昨日11月26日の朝日新聞によると、松野官房長官が「情報収集中である」と。そして、日本国内ではまだ未確認であると。…で、検疫強化、水際対策の強化を打ち出したわけなんですよ。水際対策というのは、アフリカの南部ですね。(オミクロン株感染者が)主に出ている南アフリカ。それからその北にあるナミビアとか、ボツワナジンバブエ。それから南アフリカの中にある飛び地の国、レソト、それからエスワティニ(旧名スワジランド)。この6カ国、ここを基本的には(日本には)入れないということなんですね。けれども、問題は、これを入れなくても、エジプトであり、香港であり、ベルギーであり、イスラエルであり、他の国でじゃんじゃか見つかっているわけです。そして、まだ見つかっていない国もあるんじゃないかというのも、常識的には当然予想される。こういうところに対する「水際対策」はどうなってるのか、ということなんです。
 …これね、日本の岸田政権の対応を見ていると、絶望的になるんですよ。この「一月万冊」でも散々やってきましたけど、厚労省の医系技官のまったく間違った対策。ここに来て、その対策のダメさ加減が問題になりますよ。まず、空港検疫、水際対策、これがまるでなってないんです。今言った6カ国(からの入国)を閉鎖したからって、他の国の人から入ってくるんですよ、まず間違いなく。で、その人たちをどうやって検査しているかというと、PCR検査じゃなく、抗原検査なんですよ。PCR検査は何度も何度も繰り返すことによって(感染の判別精度が)ほぼ100%に近くなる。それだけ見逃さない。けれども、抗原検査というのはそれがよくて50%、悪ければ30%の捕捉できる可能性しかないんですよ。だから、悪ければ、7割の人はそのまますーっと出てっちゃう。空港検疫、水際対策はまず最初の関門なんだけど、ここで止めるという望みがまったくないんです。…松野官房長官が、今は未確認だ、と言ってるんだけど、「未確認」というのは、あなたは「未確認」だけど、もうじゃんじゃん入ってるんじゃないの?と、ここでまず疑いが出るわけです。
 これね、何度指摘しても、抗原検査をやめないんですよ。これ(理由)を上(昌広 医療ガバナンス研究所)さんに訊いたんですよ。そうしたら、簡単に言えば、PCR検査は判定が大変じゃないですか。そうすると、検疫所とか保健所が大変なんですよ。その手間を省くために抗原検査をやってるという話なんです。
…これひどいと思いませんか。水際対策の担当者には社会的使命があるじゃないですか。担当部局、厚生労働省とか、医系技官というものは…。それを、社会的使命よりも前に手間を省きたいという(のが)動機ですよ。…これ、どこが水際対策の強化なんだと。あまりにバカにした話じゃないですか。

<以下略>

 今朝の毎日新聞(28日付)に、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』の著者の一人、戸部良一氏へのインタヴューが載っている。

森健の現代をみる:開戦から学ぶ失敗の本質 今回のゲスト 戸部良一さん | 毎日新聞

  新型コロナウイルスへの対応で、政府の不手際がさまざまありました。それは『失敗の本質』で明らかにされた、旧日本軍の組織的問題に似ているとしばしば指摘されています。
 戸部 詳細がもう少し明らかにならないと、コロナ対策が「失敗だった」と断定するのは困難です。一時的かもしれませんが、感染者は減少していますし。ただコロナで失敗を挙げるなら、非常時にどう対応するかを平時に考えてこなかったことです。非常時を考え、用意をすれば、コストが高くなります。今回は、そういう日ごろの準備を省いてきたことが露呈しました。
  ワクチン開発がいい例ですね。開発には治験など膨大なコストがかかります。製薬会社など一企業だけでは対応できません。公的な支援が不可欠ですが、日本はアメリカなどに比べて極端に少ない。そのツケがコロナ禍で表れて、国産ワクチンが製造できず海外頼みになってしまった。また医療用防護服やマスクなども海外に依存していたことで、一時は大混乱になりました。
 戸部 外国で生産したものを買った方が安くすむ。経済的には合理性なのでしょうが、安全保障とのバランスが必要です。非常時や最悪事態に備えるには、お金もかかるし、人も回さなければならない。そのコストのことを考えると、国もためらいがちになることも分かります。平時には活躍できないわけですから、非常時に働く人たちのモチベーションを保つのも難しい。非常時のことを考えて、それを平時にも生かすことができるような工夫が必要ですね。

 愚行は何度でも繰り返されるとみんなで自嘲していても、この国はよい方向には進まない。それは確かだが…。



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金平茂紀『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』

 金平さんの『筑紫哲也NEWS23』とその時代』(講談社)を読了した。楽しいことばかり書いてはなかったが、一気に読んだ。
 先日来、金平さんのインタヴューのことや筑紫さんの最後の「多事争論」(先日の引用と金平さんの本書での引用がちがうのだが…)のことを書いたので、短く断片的に。

 1989年10月から約18年続いたTBSの夜の報道番組「筑紫哲也NEWS23」――小生はどちらかというと時間的に先行するテレ朝の「ニュースステーション」の方を見ていたので、NEWS23までハシゴする余裕があまりなかった(はず?)。だから、節目節目で当時自分が何を感じていたか、共有できるものはそれほど多くないのではと思っていた。ところが、読み始めると、けっこう書かれている場面の記憶がよみがえってきて、実際には意外に「ハシゴ」していたことに気づかされた。

 「筑紫哲也…」と「冠番組」であることの意味を読むまではあまり気にしていなかった。確かに、テレ朝の「ニュースステーション」には「久米宏」という「冠名」はなかった(その前に日テレで放送されていた「テレビスクランブル」には「久米宏の…」が付いていたが)。これは「客寄せ」ではなく、報道番組の編集権(統括責任)を誰が握るかということを意味していた(CBSニュースのキャスターだった故ウォルター・クロンカイトをモデルにしているらしい)。何を報道するか、どこまで報道すべきか――番組のメインキャスターが報道内容を左右する最終責任者であることをテレビ局自身(経営側)が認めているというのは、この国では極めて珍しい(今の日本のテレビ報道の惨状には、わずか10数年で全く別の国のメディアになってしまったような感じさえする)。しかし、そうであったが故の「事件」が、18年間にたびたび起こっていたことにも改めて気づかされた。

 とりわけTBSには、1996年3月の「オウム・ビデオ事件*」という前代未聞の大失態がある。四半世紀前の話とはいえ、オウム真理教関連の事件は、多くの人々にとってなおも「傷痕」を取り除けていない。
* 1989年10月26日にTBSのワイドショー番組のスタッフが、弁護士の坂本堤氏がオウム真理教を批判する内容のインタヴューのビデオを、放送前にオウム真理教幹部に見せたことがきっかけとなり、9日後の11月4日にその坂本弁護士と一家が殺害された。当初、TBSはビデオを見せたことを否定していたが、1996年3月に翻した。

 社内調査の結果、当初は「ビデオを見せていない」と説明していたTBSは、オウムの捜査が進み、真実が明らかになってくると、ついに前言を覆し「見せていた」ことを認めた。TBSには最大の危機だったかも知れない。このとき、筑紫さんは本気で番組降板を決意したという。番組内の「多事争論」と呼ばれるスピーチ・コラムで筑紫さんは次のように述べた。

 報道機関というのは、形のあるものを作ったり売ったりする機関ではありません。そういう機関が存立できる最大のいわばベースとは何かと言えば信頼性です。特に視聴者との関係においての信頼感です。その意味で、TBSは今夜、今日、私は、死んだに等しいと思います。これまでも申し上げてきましたけれども、過ちを犯したこともさることながら、その過ちに対して、どこまで真正面から対応できるか、つまりその後の処理の仕方がほとんど死活に関わると申し上げてきましたが、その点でもTBSは過ちを犯したと思います。そして、今日の結果の発表も、まだ事は緒に就いたばかりで、これからやるべきことはいっぱい残っているだろうと思います。その中で自分たちがどういうことを考え、何をやっているのかをもう少し公開することもひとつの務めであろうと思います。実は、こういうことを申し上げるべきではないのかもしれませんが、今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました。というのは視聴者との関係で言えば、私はTBSの社員でもありませんし、直接、今回の事件のことを知っているわけでもありませんけれども、信頼性と、視聴者との関係で言えば、いわばTBSのひとつの顔の役割を果たしてきただろうと思います。その責任もあるのではないかと考えまして、そのあと番組が始まるまで、スタッフたち、局内の人たちとずいぶん長い議論を致しました。ある意味では、私はみっともないことだと思いますけれど、しかしこの局で仕事をしていて、ここまで落ちて、いったん死んだに等しい局ですけれども、これから信頼回復のために、あるいは甦るために努力しようとしている人たちもいます。その人たちと一緒に、とにかくしばらくのあいだは、そのための努力をしたいと思います。これまでも局内で、あるいは番組でもいろんな自分の意見を申し述べてきましたが、これからも一層その努力をして、テレビのあり方も含めて、大いにこれを機会にしてきちんとすることが、せめてもの坂本ご一家に対する償いではないかと思っております。
                      ――1996年3月25日の「多事争論

(267-268頁)

 このとき局内は混乱の極みにあり、それは著者の金平さんも同じだったろう。さすがに一部を除いて立ち入った細かい話には触れていないが、現場は、ちょっとした行き違いからそれまでスクラムを組んでやってきた番組スタッフの間に亀裂が入り、各々が言いたいことを飲み込んで自分の持ち場の責任を果たすという、ある意味、それまでの番組づくりとは逆向きのベクトルが働く異様な姿になったのではないか。これは心底厳しかったのではと想像する。
 しかし、「TBSは…死んだに等しい」が、「これから信頼回復のため、…甦るために努力しようとしている人たちと一緒に努力する」と、筑紫さんが「ある意味…みっともない」再起のための宣言をし、その言葉を多くのスタッフが心に刻んで奮起したことは、その後の番組づくりで実証されていると思う。

 著者は、冒頭で、これは筑紫哲也の評伝ではない、書き記したいのは『筑紫哲也NEWS23』と「その時代」についての「時間の記憶」だと書いている。確かに、内容は筑紫さんの「評伝」とは言いがたい。しかし、筑紫さんにおくる壮大なレクイエム(鎮魂歌)であることは疑いない。それは筑紫さんと伴走(伴奏)してきて今は故人となった多くのスタッフ、ゲストに対するレクイエムでもあり、それが指揮者の姿をいっそう際立たせる。

 筑紫さん本人はもとより、立花隆さんをはじめ、多士済々の関係者のエピソードがちりばめられていて、そういうところが実におもしろかった。
 よくぞ書いてくれました――おそらく日本全国にいた(いる)筑紫哲也さんの「伴奏者」たちとその関係者、遺族、そして当時番組を見ていた視聴者たちは、すべからく著者・金平さんのことを労うと思う(そうでない人は、まあそれなりに…)。

(2021年11月刊 367頁)




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