ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

高市の連呼表現について

 高市首相が自民党総裁選の後の挨拶で発した「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」という言葉。その年の流行語大賞に選ばれたせいか、本人は気をよくして(悪乗りして)、その後もこの連呼パターンを使いまわしていて、先の施政方針演説でも、「成長のスイッチ、押して、押して、押して、押して、押しまくります」などと述べていましたが、世の中にもそれを真似た言動が散見されます。なるほど「流行語大賞」だけに、と解釈する向きもありそうですが、他方で、もし「大賞」に選ばれなかったら、こうはならなかったのではないかとも思えます。というのも、以前からブログに書いているように、これは本人にとっては苦し紛れに端折ったフレーズが元々のかたちです。時代の空気や流行の最先端を流行語大賞の審査員たちが先取りしたと言えば、聞こえはよくなりますが、本当にこのフレーズが時代性にマッチしているのか。そうだとしたら、気にかかる点がないでもありません。

 関連して、思想史家の藤田省三さんの本を読んでいたら、こんな一節を目にしました。

 「米とは何かを知らなきゃいかんというのかい。
 誰がそれを知っているのかを、
 知らなきゃいかんというのか。
 米とは何かわしには分からん。
 わしに分かるのはその値段だけよ。」

 この文句もどの本にあったのか忘れた。しかし「新重商主義」と呼ばれる現代社会の精神的特徴をまことにもってよく言い現わしているようには思う。商売意識としてだけ社会的意識が現れ、市場感覚があらゆる営みを貫き通すとどうなるか。先ず「市場」という特定の場所がなくなる。どこもかしこも市場になってしまうからである。どこもかしこも市場なら、自分用の市場を拡大しようと必死になって取り合いを始めることになろう。物そのものについて知る必要はない。大事なのは市場だ。値段だ。儲けの大きさだ。
 学芸面ではその現象はどう現れるか。学者さんなら先ず週休4日で年収何百万円を確保した上で、自分の本を〇〇書店から出すように心掛けるであろう。文学者さんなら◇◇社から出そうと尽力するであろう。美術家なら、音楽家なら、――とそれぞれ一番儲けの多い「市場への門」へ向かっていく。
……
……こうして儲けが廻っていく。感受力や咀嚼力の方はどうなるか。物について、その本質について吟味する力はどうなるのか。「わしに分かるは値段だけ」を繰り返していれば、そっちの方面で頭が良くなるだけ、丁度その分だけ物について考える力や解明する力は弱くなる。物につき当たって鍛えられるチャンスを逃すからである。帳簿上の記号処理をウマクやり過ぎるからそれだけ馬鹿になるわけだ。私達の生きている状況はこういう風な表面的な循環をしている。……
                    (『戦後精神の経験Ⅱ』283-285頁)

 藤田さんのこの文章は、1976年1月の日付が記されたエッセイからのものです。今から半世紀も前の話ですが、日本社会が「新重商主義」に覆われ、人々のあいだに商売意識が浸透し、市場感覚が支配的になっていく。まさに「物そのものについて知る必要はない。大事なのは市場」で、そこでは、物事の本質を見定めようという感覚よりも市場価値(ウケる・ウケない、流行る・流行らない、究極的にはそれを選び介することで自分の価値が上がるかどうか)の方が優先されると藤田さんはとらえていたということでしょう。商品市場にどっぷりとつかってしまっている現代人には、あまり共感するところのない話かもしれませんが、田舎の暮らしが長く、一般的な商品市場や都市生活から遠かった昔を知る小生には、少なからず思い当たるところがあります。

 高市首相の「働いて×5まいります」は、上に述べたように、そもそも二の句が出てこずに、苦し紛れに終わりにしてしまったフレーズでした。もし、働いて、働いて……と連呼しているうちに何か思いつくことがあれば、「達成したいこと」や、「何をどうしたいのか」に言及していたかもしれません。しかし、それはなかった。本人からすれば不本意な部分もあったかもしれません。ところが、「言わなかった」ことが逆に「幸い」した。流行語としては、あいまいな方がよかったのです。何となれば汎用性=商品性が高まるから。そして、このフレーズは「市場」に流出し、承知の通り5回連呼のパターンがあちらこちらに現れることとなりました。

 しかし、高市が、働いて働いて……何をどうするのかを「言わなかった」ことは、今から考えれば何となく象徴的です。自民党総裁と首相に就任した当時、多くの人にとって未知だった高市の政治姿勢がだんだんと見えてくるにしたがって、これは予兆的な意味を帯びてきます。つまり肝心なことは知らせない――たとえば、衆院解散を決断し、記者会見に臨んだ高市は、「国論を二分するような大胆な政策、改革に果敢に挑戦していきたい」、だから私かそれ以外か、首相を選んでくれと言いながら、その「国論を二分する政策」の中身については言及しませんでした。

 同じ語を連呼することはもちろん強調性のアピールでしょう。この「働いて×5 まいります」は、「頑張って」とか「一生懸命」とかという語を連呼するのと同じで、日本人の情緒には合うのかもしれません。あの人は働いてる、頑張ってる、いつも一生懸命だ――これは日本ではマイナスに響くことはほとんどありません。冬のオリンピックと時期が重なっていた今、選手がこれまでいかに努力してきたかという話とコラボすると、余計に美談のように響きます。これは情緒仕立てが好きなTVの番組制作のせいでもありますが。

 しかし、やはり問題は、その中身、「何をしようとするのか」でしょう。一般的に言って、怠け者よりは働き者の方が好ましいけれど、一生懸命に頑張って働いて人を不幸にするんだったら、不幸に陥る側としては、何もしないで怠けていてもらった方がいいわけです。努力と過程、あるいは、やる気と成果、そのあたりの峻別というか、価値判断というか、政治では多くの場合、努力よりは過程、やる気よりも成果の方が重視されてしかるべき場面が多いものですが、日本の人の場合、努力やる気の方に評価の比重をおき、肝心の過程や成果に対する評価が甘かったり、関心が低かったりという事例が多々あります(政治の外だったら、そうでもないのに)。

 でも、さすがに、「やるやる詐欺」が続けば、国民は気づくでしょう。昨日のブログで「竹島の日」の式典のことに触れましたが、関係者の高市(発言)への失望感は、おそらく千葉の田舎の住民の想像以上です。
「恥を知れ!」高市首相「竹島の日」式典に“閣僚派遣見送り“で怒号の大荒れ…総裁選の“言行不一致”に橋下徹氏も「やるやる詐欺政治」と痛烈批判 | 女性自身

 これからいろいろな場面で徐々に高市首相と政権の「素性」が世に晒されることになるのでしょう。黙示録ってこともありませんが、高市の連呼表現やそれをまねた言説を聞くと、自分の耳には最近「警告」として響くようになりました。



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