ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

沖縄知事選のこと

 昨日(9月11日)沖縄県知事選が終わりました。早々に玉城候補の当選確実が出たことには安堵しました。でも、あえて失礼な言い方をすれば、対立陣営の「敵失」で勝たせてもらったようにも思えます。まず、もし、早い段階で対立候補が一人に絞られて一騎打ちになっていたら、あるいは、自民党統一教会の根深いつながりが表沙汰にならず、佐喜真氏も教団関連団体のイベントに参加していなかったら、さらに言えば、佐喜真氏に政治資金規正法違反の疑いで告発されるような醜聞がなかったら、どうなっていたか。何と言っても、政権側は、春の段階までは、首長選に4連勝し、「勝つ条件」がそろっていたのですから。

 しかし、基地問題について言えば、玉城氏の当選で、今後に「光明」が見えるわけでもありません。4年ごとに沖縄の民意が示されても、それが政治に反映されないとすれば、選挙をする意味がなくなります。「イベント」化されていく知事選から下りていく人々の気持ちを考えると、気が重くなります。朝日新聞那覇総局長の木村司氏は署名記事で次のように書いています。
政権側が勝つ条件そろっていたが 沖縄知事選、敗因の底流にあるのは [沖縄・本土復帰50年] [岸田政権]:朝日新聞デジタル

 辺野古移設ノーの民意が改めて示された。日米政府は今度こそ、計画の見直しに着手するべきだ。
 そう書き記すべき知事選の結果だろう。
 しかし、ためらわれる。
 今日からか、明日からか。「辺野古が唯一という考えに変わりはない」という、判で押したような政府答弁が繰り返される。さして追及もなく、議論も深まらず。何事もなかったかのように日々が過ぎていく様が容易に目に浮かんでしまうからだ。

 政権側が勝つ。そのための条件はそろっていた。
 沖縄戦や米軍統治を直接知らない世代が増え、基地への意識は変化してきた。
 コロナ禍のなか経済は疲弊した。辺野古移設ノーを訴えてきた保守経済界の重鎮は、政府との対立に限界を覚え、「オール沖縄」を離れた。「オール沖縄」はその基盤が大きく揺らいだ。
 基地問題よりも経済を重視する県民意識が各種調査で浮かんだ。辺野古をめぐり、あきらめが広がったと受け止められた。
 国際情勢も緊迫し、沖縄の基地の重要性が改めて唱えられた。政府との協調路線が説得力を持つ、はずだった。
 それでもなお、政権側が勝つことができなかったのはなぜなのか。

 覚えているだろうか。
 平成が終わりに近づいていた4年前。政府が辺野古の海への土砂投入を始めたのは、「移設ノー」を前面に掲げる玉城デニー氏が初当選してわずか2カ月半後のことだった。
 「選挙結果は、基地賛成、反対の結果ではない」(当時の菅義偉官房長官
 移設ノーを掲げる候補が勝利しても、政府は結果を都合よく解釈していないか。それならばワンイシューで問うてみたい。そう考えた若い世代が中心となって、2カ月で10万筆の署名(生年月日のほか、押印や母印もしてもらう必要がある署名を、1日1500人分相当)を集めて、実現したのが初の県民投票だった。結果は、埋め立て反対が7割にのぼった。しかし、その翌日も、政府は工事を続けた。聞こえてきたのは「沖縄には沖縄の、国には国の民主主義がある」という閣僚の言葉だった。
 その年の暮れ、辺野古の海で軟弱地盤が見つかったことに伴う新たな試算結果を政府が公表した。総工費は数千億から、新国立競技場の約6倍、1兆円規模まで膨れた。工期は早くて22年度まで遅れていたものがさらに、30年代以降にずれ込むことになった。
 コロナ禍となって数カ月後、沖縄県独自の緊急事態宣言が初めてだされた20年春。政府は、地盤改良のための設計変更を県に申請した。そこに盛り込まれていたのはあろうことか、米軍基地の建設に使う土砂を、沖縄戦犠牲者の遺骨がなお眠る本島南部から調達するという計画だった。
 沖縄の人たちの誇りも、尊厳も、傷つけた。

 こうした動きと並行し、経済格差をなくし、沖縄の自立を後押しするための国の予算を露骨に減らしていった。
 「沖縄に寄り添う」「聞く力」といった首相の言葉とは裏腹に、説明し、理解を得ていく姿勢さえまともに見せず、とにかく工事を加速させ、予算で締め付けを図ることで、民意を砕く。それが、近年の日本政府による沖縄政策の本質だった。
 その政府を、国民が高支持率で支えた。
 誇りや尊厳は、傷つけた側は忘れても、傷つけられた側は容易に忘れることはできない。

 「県民投票では若い人が前に出て、希望の光を感じた。政治も身近になった。でも、国は見向きもしなかった。悲しかった」「これで何か変わるのかなってすごい期待した。政権に負の感情を持った気がする」。今回の知事選に際し、現場からはそんな若い世代の声が聞こえた。
 象徴的な経済人らがいなくなり、弱体化する「オール沖縄」への期待は4年前、8年前よりもしぼんでいる。むしろ、今回の知事選結果の底流にあるのは、日本政府、そして本土への不信なのだ。残念ながらそう言わなければならない。……
<以下略>

 こんな記事も読みました。

「軍隊も基地も武器もない平和な世の中を誰もが望んでいます。私もそうです。でも現実的には自衛をしっかりやっていかなくてはいけない一方で、普天間をなんとかするために辺野古容認しますという説明をさせてもらっています。相手側のある主張では、辺野古の新基地を諦めれば、普天間を返還させてもらえると。普通に考えてありえないんですけど、それができるのなら早くやれってことですので」
沖縄の若者「県知事選にはもうウンザリ」現地在住作家が抱いた“メディアの不快感”(松永 多佳倫,週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 沖縄から遠い千葉から言ってもどうか、という気持ちもありますが、普天間基地の移設問題について、政府の言う「辺野古移設が唯一の解決策」は、全然「唯一」ではないと思います。「それ(別の解決策)ができるなら早くやれ」と言われて四半世紀ですから、気持ちはわかりますが、小生の知る範囲では、そもそも地盤の問題で辺野古に基地は造れないでしょうし、何年かかるかわかりませんが、かりに無理矢理、形だけ「完成」に至っても、米軍は移転するとは言わないと思います。それがわかっていてもなお、辺野古以外にないとして、海に土砂と安定剤?(税金)を注ぎ込むのは、「聖断」がなければ動かない(動けない)この国の無責任体系のゆえです。

 沖縄に限りませんが、民意によって政治的に何かを動かす手立てを講じられないことが、特に、若い世代に失望感や諦めを広げているとは思います。でも、後ろ向きというか、上に引用したような「リアリズム」*によってでは、世の中と個人は前向きにはならないで、逆に「荒んでいく」ように思えます。今言えるのはそこまでです。

 なぜこういう「リアリズム」を否定的に見るのかは、以下の内田樹さんのblogをご覧ください。
安倍政権を総括する - 内田樹の研究室






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