ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

森喜朗の胸像募金のこと

 森喜朗氏の胸像を建てるために5月から募金集めがなされているそうです。
 ご存じのとおり、森氏は東京五輪パラリンピックの組織委の会長でしたが、その差別発言(認識)が会長職にある者として適性を欠くと批判され(見苦しい、いや、みっともない会見をした挙げ句に)、辞任した人です。さらに今、「呼びかけ」の時期からすれば順番は逆ですが、東京地検特捜部が進める五輪汚職事件捜査で名前が出ている御仁です。悪い冗談はよしてくれと思います。

森喜朗氏胸像建立で募金集め 橋本聖子氏ら発起人「偉大な功績顕彰」:朝日新聞デジタル
森元首相の胸像建立募金“すでに5000万円”! 女性蔑視発言、汚職疑惑を抱える人物に「なぜ?」の大合唱 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

 これは一種の「歴史戦」でしょう。森胸像を建てたいと思う人たちは、森氏がW杯ラグビーやオリンピックの日本開催に貢献した中心人物であり、その知人・縁者であることを誇りに思いたいのでしょうが、森氏が差別認識と妄言で公職(首相、五輪組織委会長)を追われた事実の方には目をつぶりたい(あるいは、覆い隠したい)。森氏を歴史的に語る上でどちらが重要か、どちらが氏を端的に語る「真実」(真の姿)により近いか、ということでしょう。
 募金を呼びかける配付文書には、「顕彰胸像の建立」とありますが、「顕彰」とは、調べてみると、単に功績を褒め称えることではなく、「隠れた善行や功績などを広く世間に知らせて表彰すること」という意味であり、この点からも、はたして森氏は、陰の功労者として「顕彰胸像」を建てることがふさわしい人物なのか、むしろ、光の当たるところに「出過ぎた」ために、その発言や認識の問題性が判明した人物ではなかったかと思います。

 この森胸像と安倍国葬には似たところがあります。安倍氏国葬は「募金」ではありませんから、そこは大違いですが、岸田首相(というより日本政府)にとっては、とにかく安倍氏が日本の憲政史上最長の政権を担った「偉大」な人物であることを前面に掲げたい。しかし、8年もの長期政権でありながら、外交上は、北朝鮮拉致被害者のことも、北方領土のことも、ほぼ何も成果を上げられなかった。いくら世界中から弔意が寄せられていると言っても、それは単なる社交以上のことはなく、バイデンもマクロンも、主な外国の指導者はほとんど国葬には来ない。加えて、故人が統一教会自民党(ないし政権)の協力関係の中枢にあったことが明らかになって、国民のあいだに安倍氏国葬に値する人物なのかという疑念が膨らんでいる。
 それでも何でも国葬をするというのは、それでも何でも胸像を建てるのと同じで、建ててしまえばその人物の負の部分は時代とともに忘れ去られ、「偉大」と「認定」された部分だけが残されていく。それが「歴史戦」だということを、「彼ら」はよくわかっているからでしょう。早い話、やったもん勝ちなのです。国民が、あるいは世界の人々が、国葬を機に負の「過去」を忘れて「(刻々と変わる)今」にだけ目を向ける、それは現政権にとって大変都合のよいことです。

 今日の閉会中審査で岸田首相は安倍国葬の理由や意義について、国民に「丁寧」に説明するようです。これも所詮は通過儀礼のつもりでしょうが、政権の見通しに反して、国民からここまで強い疑問や反対の声が上がらなかったら、この余計な「通過儀礼」さえなかったはずです。さらに言うならば、これは本来、臨時国会を開いて交わされる話だったはずで、わずか1日ばかりの閉会中審査では、参院選後3日で開閉会し、何もやらなかったに等しい国会と同じことになりかねません。
 国会議員なのに国会を開くことに消極的、後ろ向きというのは、農家なのに田んぼや畑に行くのがイヤ、プロ野球選手なのに試合をするのがイヤ、というのと同じで、それなら普通、農家も野球選手も辞めなさいという話になるでしょう――そういう目で見ないといけないと思います。

<追記>
 今朝(9月8日付)の毎日新聞の一面の記事にこうありました。

岸田文雄首相が国葬への理解を求めるため、自ら国会の閉会中審査で説明すると表明した同じ日、自民は旧統一教会や関連団体と今後関係を持った議員には離党を求める考えを示した。だが、党所属の議員からはこんな疑問の声も上がる。
 「旧統一教会と最も関係が深い存在だったのが安倍さん。関係を断てと言いながら国葬をやるのは、最大の矛盾だ」

蜜月・旧統一教会と自民党:/上(その1) 安倍氏「差配」当選の鍵 「関係断絶指示と国葬、矛盾」 | 毎日新聞

 


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