ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「即時停戦は『正義』か?」を読んで

 ロシアがウクライナへの侵攻戦争を始めて半年になります。この間も関心を失ったわけではなく、報道を気にしてきたつもりですが、当初のようにどんな些細なことでもキャッチしようとする気持ちが薄らいだことは否定できません。それでも、身元が分からずに亡くなった人が埋葬されるシーンなどを見ると、今でもおそらく毎日のように死者が出ているわけで、一刻も早い停戦の実現を願う気持ちは変わらずにもっています。

 昨日毎日新聞で「即時停戦は『正義』か?」と題する識者3人のインタヴュー記事を読みました。3人の一人、歴史学者の冨田武さんが、和田春樹さんらとともに即時停戦を訴える声明を出していたことには、賛同もしたし、このブログで同趣旨の記事を書いたので、よくわかっているつもりです。もう一人の法学者・岩下昭裕さんは、この声明に対する「反論」というか、「違和感」「疑問」を述べていますが、こちらの記事も、論旨そのものはよく理解できますし、日本人の「とにかく戦争はダメ」という反戦意識がユニークだというご指摘は、その通りだと思います。

戦うって何?:停戦か抗戦か、揺れるウクライナ ベトナム反戦運動にヒント | 毎日新聞
戦うって何?:「戦わなければ殺される」ウクライナと日本を隔てる戦争の記憶 | 毎日新聞

 しかし、3人目の国際政治学者・東野篤子さんの記事には、幾つか承服できないところがあります。

戦うって何?:ロシア黙認は中小国侵略の許容 「地獄の世界秩序」が始まる | 毎日新聞

 東野さんは、「即時停戦論」は現実から乖離していると言います。ロシアは今、ウクライナを軍事的に圧倒していると思っている、まだ勝ち進められる戦争を(目的が達成されてもいないのに?)止めて、停戦に応じる国はない。他方、ウクライナは、ロシアの侵攻を可能な限り押し返した後でなければ停戦交渉はできないと考えるのが「論理的」だと。つまり、双方とも、自身が優位な立場にならないかぎり(そう自認しないかぎり)、停戦は無理だろうというのです。
 交渉事に、できるだけ優位な立場で臨みたいというのは、確かにあります。ロシアとウクライナの停戦交渉は、実際、早い段階で始まっていましたが、初期段階でまだ帰趨が見えない状況があったからでしょう、お互いに譲らなかったために、うまくまとまりませんでした。これを、形だけやってるふりをしていた、と言われればそれまでですが、しかし、おそらく、ウクライナだけでなく、ロシアにとっても、本音で言えば、停戦できるにこしたことはないはずです。ロシアは “短期” 決戦で決着をつけるつもりでこの戦争を始めました。長引いて、弾薬が消耗したり、兵士ほかに多大な犠牲が出て、戦意を喪失することなど想定していなかったでしょう。さらに長引けば、ロシアの経済社会に与える影響ははかりしれません。戦争を継続すること自体怪しくなります。それはウクライナも同じことです。そういう意味では、尻に火がつきながらの停戦交渉は、他の交渉と同じようにはいかないのでは、と思います。そもそも戦争をしていて(プロパガンダでなく)双方が優位になることなど有り得ないのですから、東野さんの理屈では、停戦交渉は、現実乖離というより、「論理的」に無理になってしまいます。
 さらに難を言えば、開始直後ならいざ知らず、現状、ロシアがウクライナを「軍事的に圧倒していると思っている」と、プーチン大統領がまじめに考えているとは到底思えないのです。もしそうなら、なぜ、戦争の指揮をとる参謀総長や司令官など、軍のトップを次々と交代させる必要があるのでしょう。このインタビュー自体は5月末に行われたもののようですが、5月の段階でも、司令官の解任人事は報道されています。東野さんもそれはご存じのはずです。
ロシア軍、陸海司令官解任か 陥落マリウポリで投降続く―ウクライナ:時事ドットコム

 しかし、最も違和感をもつのは、戦争を継続するかどうかを決定できるのはウクライナだけ、という主張です。以下に、話の前後を引用してみます(太字下線は当方が施したものです)。

……ロシアに(領土などの)「お土産」を渡さないと戦争は終わらないとする論者もいる。なぜ「お土産」でロシアが満足すると言い切れるのか。1938年のミュンヘン会談で、英仏などはナチス・ドイツチェコスロバキア領の一部割譲を許した。これでドイツは増長し、第二次大戦を招いた。逆に、第一次大戦後はベルサイユ条約でドイツを締め上げすぎた結果、ヒトラー台頭の余地を生んだ。この二つの失敗を教訓に持続可能な停戦への道筋を考えるほかない。

 いずれにせよ、戦争を継続するか否かを決定できるのはウクライナだけだ他国に「戦争をやめろ」と言う権利はない。その後に起こりうる殺りくや破壊も受け入れろと言うのと同義だからだ。こう主張するだけで、「徹底抗戦させる気か」と非難する人もいるが、その人たちは停戦を強制された後の事態に責任が取れるのか
 日本でロシアを信用しすぎたり融和的な意見が出たりする背景に、イラク戦争などで噴出した根強い反米意識を感じる。反米意識の根本には、「強者の横暴を許さない」というまっとうな感覚があるはずだ。ならば侵略者ロシアを非難するはずだが、米国への反感のあまり、極端に言えばウクライナが米国に操られていると思い込み、結果としてロシアの肩を持つ。
 この思考は、ウクライナの主体性を軽視していないか。国際政治は、大国が小国に立場を強制するばかりではない。ウクライナ北大西洋条約機構NATO)加盟を求めたのは同国の意思だし、チェコポーランドNATOに自ら望んで入った。小国の行動原理の根底には、恐怖と安全の希求がある。ロシアから見ればNATOの東方拡大は約束破りだろうが、欧州の小国はそのロシアを恐れるからこそ、米国との軍事同盟であるNATO加入を求めた。

 日本外交は「中小国が大国に脅かされない秩序を守るには、武力による現状変更を黙認してはならない」と、愚直に説き続けるべきだ。今のロシアの行動を黙認すれば、中小国への侵略は許容範囲という地獄の世界秩序ができてしまう。現に原油価格高騰や食糧難にあえぐ国は、簡単には受けいれず、大国にくみしかねない。それでも、原則論を唱え続けることは必ず力になるはずだ

 最初、これは担当記者がインタビューの内容を端折ったからこうなったのかと思いましたが、元のインタビュー記事を見ても、同じことを話しています。
 まず第一に、本当に「戦争を継続するか否かを決定できるのはウクライナだけ」なのでしょうか。ウクライナは国境を越えてロシアと交戦しているわけではありません。戦闘行為に関しては、現状、100%防衛戦争です。だから、ロシアが軍を引けば、戦闘は止まるはずです(親ロシア派の動向はここでは無視します)。これは、別に学者でなくとも、子どもでも理解できるでしょう。それをあえて、なぜ、(ロシアでもなく)ウクライナにしか戦争継続の可否は決められないと力む必要があるのでしょうか。
 第二に、「他国に『戦争をやめろ』と言う権利はない」というのも本当でしょうか。両国が戦争を始めたことで、負の影響(実害)を受けた人はたくさんいます。逐一例は挙げませんが、それは、ビジネスに限らず、人的交流、文化交流も含めて多方面に及ぶでしょう。彼らが、自分が属する国を介したり、動かしたりして、「戦争をやめろ」というのは越権行為でおこがましいのでしょうか。百歩譲って、「権利」がなくとも、周りには「戦争をやめろ」と言う義務はあるように思うのです。
 東野さんは、さらに、停戦が実現した後?に想定される(と東野さんが言う)殺りくや破壊が起こったら(――過去のロシアの事例を想起しているようですが、よくは分かりません)、外野で「停戦」や「戦争止めろ」と口出ししている人たちは責任が取れるのかと、一種の呪いの文言まで付け加えます。ウクライナの主体性や意向を無視して、自分の一方的な思い込みだけで「平和」とか「停戦」「戦争中止」を叫んではいけないと注意喚起する意義は理解できますが、「責任」をとれるのか、などと、脅迫じみたことまで言う必要があるのでしょうか。そんなことを言ったら、多くの人は「責任」などとりようがないのですから、沈黙するしかありません。
 末尾の「武力による現状変更を黙認してはならない」という原則論を愚直に説き続ければ、「必ず力になるはず」というのも、基本スタンスとしてはともかく、小生には、申し訳ありませんが、空念仏にしかとれません。停戦=ロシアの言い分を許容するという譲歩=ミュンヘン会談の失敗という結びつけ方が強すぎるように思えます。

 国と人はもちろんちがいますが、たとえば、誰かが殴り合いの喧嘩をしていたら、普通は周りが止めるでしょう。これは、仲裁行為だし、殴り合いが止まれば停戦です。なぜ、仲裁をするのか、中には、傍観者や通り過ぎる人もいるのに、なぜ、あえてそういう行為をするのか――あまり意味のある問いとも思えませんが、殴り合って怪我をしたり、命にかかわったりしたら大変だし、そういうのを見たくないというのもあるでしょう。誰もが心穏やかに生きたいと思うならば当然のことです。互いの言い分を聞くのは、殴り合いが止まって、頭を冷やしてからの話です。
 東野さんの記事を読んでいると、何だか、大男と小男の殴り合いを眺めている人々に対して、悪いのは先に手を出したこの大男です、この男を絶対許してはいけませんと言いつつ、今無理矢理に仲裁して、一時的に殴り合いが止まったとしても、あとで密かに大男が小男に惨い仕打ちをするかもしれませんので?、小男から頼まれるまでは余計なことはしないで、見守りましょうと言っているという、よく理解できない話に見えてしまうのです。

 ついでながら、インタビューの中で、聞き手の記者が言い放った「――つまり、ロシア研究者はロシアの代弁者なのだと」という問いかけにも格別の違和感があったことも記しておきます。こんな乱暴で失敬なことを口にするのかと。




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