ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

河瀬監督の式辞のこと

 暑くなってきたので網戸を入れることにしました。例年だと、5月の連休明けくらいにする「年中行事」なのですが、桜がまだ残っている4月にするのは初めてです。「主人」のいなくなった部屋のガラス戸にも一応……と思って、ガタゴトと付けていると、中から「おーい」と声が聞こえたようでした。昨日のブログで、父親と一緒に岩手を旅行したことを書いたせいか、作業中にそんな「幻聴」(空耳?)もありましたが(笑)、こうして時は過ぎていくようです。今日も朝から晴天です。

 さて、昨日4月12日、東京大学の入学式があったそうで、新入生はじめ関係するみなさんが、コロナ禍の長く続く困難な日常の中で、入学の日を迎えられたことを心よりお祝い申し上げます。新聞記事には映画監督の河瀬直美氏が来賓として挨拶したとありました。「『悪』を存在させることで…安心していないか」と述べたということなので、小生が数日前に書いたブログ記事と同趣旨のお話だったのかと思いましたが、増谷文生・論説委員の補足記事(コメントプラス)を読んでいたら、少しちがうものを感じました。以下、増谷氏による転記の引用です。

東大で入学式 来賓の河瀬直美氏 「ロシアを悪者にすることは簡単」:朝日新聞デジタル

【解説】 河瀬直美監督の祝辞、記事では短くしか引用できなかったようなので、もう少し詳しく転記させていただきます。
 河瀬さんは地元奈良の吉野山にある金峯山寺の管長が、蔵王堂を去る間際に言った「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」という言葉が印象に残ったそうで、その言葉をどのように受け止めたかを語りました。
 「管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか? 例えば『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか? 誤解を恐れずに言うと『悪』を存在させることで、私は安心していないだろうか? 人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があることを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います」

<以下略>

 前半部分は意味がとれるのですが、後半の「人間は弱い生き物です」以下の話がわかりにくい感じです。もし、自分の国がロシアのように侵略戦争をすることになったら、自分はそれを拒否したいと言いたいのでしょうか。あるいは、ロシアの侵略戦争を「悪い」「悪い」と非難している自分の国だって、侵略戦争をするかもしれないぞ、だから?(自制心をもってそれ?を拒否する?)、用心せよ、ということなのでしょうか。

 ジャーナリストのおおたとしまさ氏は、
 「ロシアが悪い」「プーチンが悪い」と決めてしまえば、それ以上考えなくていいので、楽になるけど、それは思考停止で、いまの「構造」がそのままなら、誰かがプーチンになり、どこかの国がロシアの役回りを演じていたはずで、「構造」を変えないと、「悪」は生まれるのだから、「悪」になってしまったものを批判するだけでは「構造」は変えられないと、河瀬さんは言っていると思う。<要約>
とコメント(解釈)しています。

 転記補足した増谷氏は、
 ウクライナ情勢を受けて、日本にいるロシア人への中傷など心ない言動をする人が増えているので、河瀬さんは冷静になるよう呼びかけたのだと思う。…批判すべきは批判しつつも、なるべく冷静に、客観的にウクライナ情勢を見ていこうという河瀬さんのお考えに、賛同したいと思う。<要約>
 とまとめています。 

 とりかたは人それぞれだなと思いますが、小生はどちらのコメントにも共感しかねます。あえて、言うなら、これは願望込みですが、「悪」を存在させることで、安心してはいけないし、それを自身に問うたからといって、それで「安心」できるわけでもないのだと、そういう趣旨の話を河瀬氏はしたかったのだと解釈したいと思います(後半は除きますが)。
 河瀬氏が「人間は弱い生き物です」以下で何を言いたかったのかはわかりませんが、前半部だけで止めておいた方がよかったのでは、と思います。

<追記>
HUFFPOSTに河瀬氏の式辞に対する「批判」記事が出てたので読みました。ごもっともです。ごもっともだと思うのですが、プーチンが悪いと責めるだけで、現実問題として停戦交渉がまとまるだろうか、ということです。停戦にもっていかないかぎり、ウクライナの人はまだ殺され、街はなおも破壊され続ける。河瀬氏が停戦問題を念頭に「『ロシア』という国を悪者にすることは簡単である」と言ったかどうかはわかりませんが、こうした協議で、仲裁役が一方だけが悪いと断罪して、話がまとまった例はあるのでしょうか。前に伊勢崎賢治さんがお話ししていたとおり、嫌だと思っても「悪魔」とだって握手しないと交渉は始まらないのに、「悪魔」を「悪魔」と一方的に断罪していて、握手できるのか、ということです。

河瀨直美監督の東大入学式での祝辞、国際政治学者から批判相次ぐ。「侵略戦争を悪と言えない大学なんて必要ない」 | ハフポスト NEWS
伊勢崎賢治さんの解説 - ペンは剣よりも強く




↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村