日本の子どもたちは夏休みまであと3週間ですが、欧米の子どもたちの多くはすでに夏休み入っているようです。ということは、先月は年度の節目の試験期間に当たっていたはずです。フランスの高校生などは、最後の難関である修了資格試験バカロレアを受けないと卒業できません。今年のバカロレアは先月6月15日から始まり、50万人を超える高校生たちが受験したそうです。その最初の試験科目は、ご存じの方が多いかもしれませんが、哲学の論文試験です。日本の高校ではちょっと考えられませんが、これが日本とフランス、彼我の文化の違いを生み出す大きな理由のひとつだと思います。
いったいどんな問題が出されているのでしょう?トリコロル・パリのweb上でバカロレアの哲学の問題が毎年紹介されていることを最近知りました。ここ4回の出題についてこのweb記事からの引用をお許しください。
2022年バカロレア試験・哲学の問題 | トリコロル・パリ : パリとフランスの旅行・観光情報
<2022年>
〇一般バカロレア
3つのうち好きな一問を選んで答えよ。
・芸術活動は世界を変えるか?
・何が正しいかを決めるのは国家の役割か?
・クールノー『知識の根拠と哲学的批判の性質についてのエッセー』(1851年)の抜粋テキストを解説せよ。
〇技術バカロレア
同上。
・自由とは、誰にも従わないことを意味するか?
・あらゆる手段を行使して自分の権利を守ることは正しいか?
・ディドロ『百科全書』(1751~1772年)の抜粋テキストを解説せよ。
<2021年>
〇一般バカロレア
4つのうち好きな一問を選んで答えよ。
・議論することは暴力を放棄することか?
・無意識は、すべての形の認識を逃れるか?
・私たちは、未来に対して責任があるか?
・エミール・デュルケーム『社会分業論』(1893年)の抜粋テキストを解説せよ。
〇技術バカロレア
同上。
・法に従わないことは不公平であるか?
・知ることは、何も信じないことか?
・技術は私たちを自然から解放するか?
・ジークムント・フロイト『詩人と空想すること』(1907年)の抜粋テキストを解説せよ。
<2019年>
3つのうち好きな一問を選んで答えよ。
〇文系
・時間から逃れることは可能か?
・芸術作品を解説する意味とは何か?
・ヘーゲル『法哲学』の抜粋テキストを解説せよ。
〇理系
・文化の多様性は人類の統合の障害になるか?
・義務を認識することは、自由を諦めることであるか?
・フロイト『幻想の未来』(1927年)の抜粋テキストを解説せよ。
<2018年>
3つのうち好きな一問を選んで答えよ。
〇文系
・文化は我々をより人間的にするか?
・真実を放棄することができるか?
・アルトゥル・ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』の抜粋テキストを解説せよ。
〇理系
・欲望は人間の不完全さの現れであるか?
・何かを不当だと感じることは、何が正当なのかを知るために必要であるか?
・ジョン・ステュアート・ミル『論理学大系』の抜粋テキストを解説せよ。
これは受験する方も大変ですが、採点評価する方も大変です。自らの行動倫理を問うたり、古典的な哲学書の要約を通じて教養を問うたりと、なかなか手強い問題ですが、高校生とはいえ、十数年の人生を生きてきて全然何も書けないということはないでしょう。よくも悪くも理屈っぽくなるわけです。
しかし、すべてのフランスの高校生が、選んだテーマについて筋の通った論述ができるかというと、おそらくそうではないでしょう。古い話ですが、小生がまだ大学で勉強していた頃、フランスの大学で経済学を教えていた先生の話によると、学生はあれこれと書くけれども、あまり内容があるとも思えないことをずらずらと書いている学生がけっこう多くて閉口します、とおっしゃっていて、ああ、そうなんだあと思ったものです。
他方、日本の生徒はどうかというと、これは小生の経験上では、授業中に、試験のデキのよい生徒を当てて、一問一答式の質問をするとだいたい答えられますが、意見を求めると、けっこうな確率で黙り込み、中には「わかりません」と応える生徒もいて、意外な感じをもちます。逆に、試験のデキはあまりよくないけれども、意見を求めると、理路整然と立派に自分の考えを言える生徒が割といます。どっちがいいと短絡的には言えません。しかし、日本の生徒は何も疑問を感じずに学校が用意したメニューやレールに沿って勉強した方が「成績」よく評価されるのは確かです。一方、フランスの高校生はむしろ「疑問」を感じた方が評価されるし、教師は、おそらくはその答えのない「疑問」にも応えなければいけないのでしょう。
むかしアメリカのミシガン州の高校に留学した生徒が言っていました。授業中は本当にうるさくて、みんな、はいはいと手を挙げて自分の意見を言わせてくれ、と言う。でも、みんながみんな、内容のある話をするわけではない。日本の学校の方が静かでよかった、と。
でも、その「静かでよかった」日本の学校文化は、もうだいぶ前から「曲がり角」だったのだとつくづく思います。官僚の中にもそういうのに気づいて何とか変革しようとしていた人もありましたが、数年でつぶされました。
もう小生は、学校で何かを実践することはできませんが、後輩の先生方と接する機会がないことはありません。勝手な思いではありますが、希望をつないで頑張っている先生が皆無でないことだけは記しておきたいと思います。
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