ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

子どもの生きづらさ

 週が明けてからもずっと頭から離れずにいる事件があります。先週末の土曜に東京駅近くの丸の内オアゾで12歳の子が亡くなりました。オアゾは書店の丸善が入っているビルで、以前は毎週のように訪れていた馴染みの場所です。そんな身近なところで、子どもがおそらく自ら命を失う事故が起こったことがとてもショックで痛ましい。メディアが他の事件・事故のように大騒ぎせず、報道が努めて抑制的に見えるのは、関心が薄いのではなく、二次・三次的事故への波及と連鎖を恐れてのことと想像します。
東京 丸の内商業施設で転落の小学生死亡 柵乗り越えたか|NHK 首都圏のニュース

 どんな事情があったのか分かりませんから軽々にものを言えません。こうしたケースでは、悩みがあったら相談してほしいと、ニュースの最後に必ず公的な相談窓口などが紹介されるのですが、人に相談できるくらいならこうならないのでは、といつも思います。とはいえ、当人にとって自分の傍らに誰かがいてくれると思えることは、それだけで大きい(相談できるかどうかにかかわらず)。生きづらいと感じたり、死にたいと思う人が、だから「行動」を起こすかと言ったら、そこにはなお距離があり、多くの場合、その手前で踏みとどまっているはずで、そこには人の存在(関係)が大きく作用していると思います。

 お笑い芸人のジャングルポケット斉藤慎二さんが小中学生時代に受けた「いじめ」について回想した記事を読みました。
「いじめた人は一瞬で忘れるが僕は一生恨んでいる」“ジャンポケ”斉藤慎二さんが壮絶な体験を語り続ける理由(静岡放送(SBS)) - Yahoo!ニュース

 元同業の者としては信じがたいのですが、斉藤さんから相談を受けた担任の先生のとった対応はちょっとあり得ないものです。しかし、もし自分が担任だったらどうするかと考えても、当座、当人を「隔離」してまず「安全」を確保することくらいしか思い浮かびません(実際学校で働いているときもそうでした)。斉藤さんの場合、高校進学で環境が変わったことにより良い方向に進めて、本当によかったと思います。しかし、その斉藤さんを重大局面で救ったのはお兄さんの存在でした。

 今しんどい思いで毎日を生きている子どもたちに、何か希望のもてる話ができたらよいのですが、なかなかこれという話が浮かびません。それでも思うのは、今の状態がすべてではないこと、自分を理解し助けてくれる人は必ずいるということ、どうにかして世の広さ、ふところの深さを感じるきっかけを何か見つけてくれたらと、そう願うしかありません。


 さて、子どもたちの生きづらさを社会のあり方と短絡的に結びつけるわけにはいきませんが、それでも、ジャーナリストの斎藤貴男さんの6月22日付「あえていま、石原慎太郎を批判する」という記事を読むと、社会として、差別や人々の分断を軽く見てきた責任があるのではないかという気がします。

ジャーナリスト・斎藤貴男「あえていま、石原慎太郎を批判する」(1/4)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)

……私は2003年にルポルタージュ『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』を発表した者だ。衆院議員を経て1999年に都知事となって以来、「三国人」「(重度障害者に)人格あるのかね」「ババアが生きているのは無駄で罪です」等々、公の場で差別発言を連発していた男と、それが持て囃される社会はいかにして出来上がったのか、という疑念が出発点だった。
 拙著は幸い好評を以て迎えられ、版元を変えながら数次の文庫化も果たした。だがこの間にも石原氏は、いじめを苦にした自殺予告の手紙が文科省に届けば、テレビで「さっさとやれ」と追い詰めた。都議会で公費や人事の私物化を追及されると、「いかにも共産党らしい貧しい発想だ」とあざ笑う。東日本大震災には「天罰だ」。文芸誌の対談で、障害者施設の入所者19人を刺殺した犯人の気持ちが「分かる」と言い放ったのには愕然とした。

石原氏が都知事の地位にあった2000年代を通して、この国の市民社会はすっかり分断された。構造的には階層間格差の拡大を不可避とする新自由主義の横溢、およびSNSのとめどない普及が主因だが、デマゴーグとしての石原氏の影響力も、また計り知れなかった。
 なにしろ首都行政のトップが、社会的弱者を日常的に嘲笑し続けた。それが何らの咎も受けずにいたのだから。

「黒いシール事件」をご存じだろうか。1983年の衆院選を控えた前年11月。東京2区から自民党公認の出馬を表明した新井将敬氏(故人)のポスターの7、8割方に、黒地に白抜きで「(昭和)四十一年北朝鮮より帰化」と記された大判(縦16センチ、横7センチ)シールが貼られた。彼は確かに在日2世で、日本国籍を取得もしていたが、祖父母は韓国・慶尚北道の出身だった。
 有権者差別意識を煽るとともに、“北のスパイ”の連想を掻き立てようとしたらしい。実行部隊の中心は、選挙区も自民党公認も同じ石原氏が大手ゼネコンの鹿島建設から預かっていた公設第一秘書・K(当時33)だった。2人の出会いをよく知る人物に、私は事実関係を確認している。
 露見しても石原氏は、「秘書が勝手に」と言い募る一方、有権者の“知る権利”を主張。選挙区内の有力者らに新井氏の除籍原本が送り付けられる騒ぎもあった。一応の謝罪はなされ、ウヤムヤになるやKは鹿島に復職し、やがて営業統括部長や専務執行役員などを歴任することになる。

 晩年の、豊洲市場移転問題で都議会百条委員会の証人喚問を受けた際の石原氏を想起されたい。脳梗塞の後遺症で「すべての字を忘れた」と空とぼけた彼は、その後も何冊も本を出している。
 石原氏の標的にされた人々は数限りない。口惜しさのあまり涙ぐむ人に私は嫌と言うほど会った。
……
 全盛期における石原氏の人気と没後の礼賛報道、「お別れの会」での新旧首相の弔辞などに接するたび、私は恐ろしい仮説に苛まれる。この国の権力と、それとの一体化を急ぐマスメディアが今、最も欲しているのは、石原氏のような思考回路ではないのか、と。
 彼の言動が、多数派に「歯に衣着せぬ」「慎太郎節」「石原節」などと、なんだか爽快でカッコいいものとして受け止められる世の中ならば。格差社会や監視社会はもちろん、加害の歴史の正当化も、沖縄への基地集中も、中国や北朝鮮との有事を想定した軍拡も戦時体制を築く経済安保も、さしたる抵抗もなく進んでいく。戦争が近くなる。……

 「差別発言」を「歯に衣着せぬ発言」などと賞賛するのは石原氏の場合に限りません。今月末で東京オリンピックパラリンピック組織委員会は解散されるということは、昨日のブログで触れましたが、昨日(6月21日)の理事会のあとの記者会見で、橋本聖子会長は、差別発言(認識)で辞任した森喜朗前会長について、「森前会長の存在なくして東京大会はなかった」と述べています。その全面的な肯定ぶりに驚かされます。

武藤氏「やることやった」 五輪経費最終報告 一問一答 | 毎日新聞

――森前会長が大会運営を長年支えてきた。
 橋本氏 森前会長の存在なくして東京大会はなかった。政治的、社会的、スポーツ界においても全てにおいて精通した考え方のもとでトップリーダーとしての役割を果たしていた。森前会長が築いてきたものがあったからこそ、私はできたと感謝している。

 それなら、森前会長はどうして辞任して、橋本氏が会長になったのでしょう? 個人的に森氏に恩義があろうがなかろうが、自身に組織委員会のトップリーダーとしての自覚があったら、こんなことは公言できないはずです。
 しかし、そう言っても許されてしまう。結局、石原氏にしろ、森氏にしろ、次に続く人々が賛美・崇拝のおべっかを止めず、周りもそのまま流してしまうことで、差別発言が増長され、口先の謝罪と開き直りが社会全体の偽善の歯車を回し続けているのです。
 「何で?」と子どもから問われて、おとなは何と答えるのか――子どもたちに影響がないとはとても思えません。




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