ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

石原慎太郎氏の死去と「歴史戦」

 昨夜7:00のNHKニュースを見たら、石原慎太郎氏の死去をトップで伝えていてやや驚きました。他のニュースとの兼ね合いやニュース・バリューもあるのでしょうが、最近のNHKらしさがよく現れているようにも感じました。

 慎太郎氏の経歴や「肩書き」はいくつか挙がります。タカ派政治家の代表格であるとか、元衆院議員で運輸大臣(当時)や環境庁長官(当時)を務めたとか、芥川賞作家であるとか…。しかし、何をおいても1999年から2012年まで4期11年半もの長期にわたって東京都知事を務めていたことが第一です。

 1999年に都知事選への立候補を表明して街頭に出た慎太郎氏は人びとに向かって「裕次郎の兄でございます」と切り出したのをよく覚えています。これは一度ならず、選挙期間中に幾度も口にしていたフレーズです。弟の裕次郎氏は昭和を代表する銀幕のスターで、1987年に52歳で亡くなりましたが、1999年当時、なおその人気は衰えていませんでした。ただ、慎太郎氏にしても、芥川賞作家であり、大臣経験者で、自民党の総裁選に立候補したこともある人なわけで、そんな「著名人」がわざわざ弟の人気に便乗する必要があるのだろうかと疑念や違和感を覚えたのです。本人からすると、内心では弟の国民的人気にはかなわないという「引け目」が素直にあったかもしれません。あるいは、単に選挙でプラスになるものを利用したに過ぎないのかもしれません。しかし、普段メディアで目にする武骨で居丈高なふるまいを考えると、妙な落差を感じました。慎太郎氏には屈折した権威主義があるのではないかと思いました。

 慎太郎氏は1989年にソニー盛田昭夫会長と共著で「NOと言える日本」を発刊し、アメリカに対して声高に日本としての自己主張を叫んでいた時期があります。これが世間ウケしたことに気をよくしたのか、それ以後も氏は日本の核武装と絡めて対米(従属)批判をずっと続けてきました。しかし、都知事になり、世紀が替わると、だんだんトーンダウンしてきて、対米批判めいたことを発言しても、「寸止め」というか「形骸化」していった印象があります。都知事時代の晩期に、築地市場の移転問題に外資(米国資本)が絡んでいたことを知り、やっぱりと思いました。「屈折した権威主義」は慎太郎氏に限った話ではありませんが、この国の右派論客には米国の重しがかかっている人が割と目につきます。そういう心性自体は左派にも通底していますし、外国を経由した自己評価はこの国のならいなのかも知れません。

 訃報を受け、都知事経験者からの弔辞をいくつか拝見しました。世間に向けて発したお悔やみですから、いちいち絡むのも何ですが、たとえば、慎太郎氏の後継知事を務めた猪瀬直樹氏は、慎太郎氏から「役人国家を東京から一緒に変えよう」と副知事就任を依頼されたと話しています。しかし、小生は、東京都の知人から、石原慎太郎は月に2,3回しか登庁しないって話だよ、ほとんど「(自分の言うことを聞く)役人」に任せっきりらしい、と聞きました。
 また、小池・現都知事は、「ディーゼル車規制など挙げればきりがないほどの功績を残している」とコメントしていますが、このディーゼル車規制について、死んだ小生の父親は、テレビで慎太郎氏を見るたびに「こいつはふざけたやつだ」と怒っていました。慎太郎氏は都知事就任後の記者会見で黒いススが入ったペットボトルを見せて、東京都と近県のディーゼル車規制を宣言しました。当時ディーゼル車のトラックで首都高を抜け、埼玉や神奈川に仕事に行くことがあった父親は、この発言を受けて、やむなくディーゼル車をあきらめてガソリン車に買い換えたのです。しかし、実際には、父親に言わせると、ディーゼルのトラックは通り放題で、何の規制もされていない、テキトーなことを言いやがって…というわけです。
猪瀬直樹氏「失言もあるけれど…」 石原慎太郎さんの言葉の魅力 | 毎日新聞
石原慎太郎さん、差別発言多く 謝罪も | 毎日新聞

 今回のブログは、当初は佐渡金山の世界遺産登録の話をめぐって、急に目にするようになった「歴史戦」ということばについて調べて書くつもりでした。「情報戦」や「思想戦」という言葉は以前から耳にしていましたが、「歴史戦」とは何なのか。「歴史戦争」「歴史認識戦争」「歴史解釈戦争」という意味なら、「情報戦」や「思想戦」の一種ということになります。しかし、この言葉を積極的に使う人には「歴史戦」という言い方にこだわりがあるようです。これはことばを単に短くしたわけではなさそうです。

 2月2日付毎日新聞のコラム「水説」で、古賀攻さんはこう書いています。

水説:「捨て身」の佐渡金山=古賀攻 | 毎日新聞

佐渡金山が「強制労働」の被害地だと反発する韓国に対し、朝鮮研究者の西岡力さんは1月26日産経新聞で、金山で働く朝鮮人労働者は「応募が殺到」し、「待遇も悪くなかった」と反論している。旧相川町が編さんした「佐渡相川の歴史・通史編」(1995年)が元になっている。
 ところが、共産党志位和夫委員長は1月29日の談話で同じ本に「佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行」と書かれているのを引いて、負の歴史に目を向けよと説いた。
 相川町史に先立って刊行された「新潟県史・通史編8・近代3」(88年)にはもっと直截(ちょくせつ)な記述がある。「昭和14年に始まった労務動員計画は、名称こそ『募集』『官斡旋(あっせん)』『徴用』と変化するものの、朝鮮人を強制的に連行した事実においては同質」だったと。
 自治体の独自編さんだとしても、強制連行はなかったと思いたい日本政府にとって、都合の悪い公的通史であるのは間違いない。

……

 この「強制」か「応募」かという「解釈」をめぐるやりとり(対立)が「歴史戦」ということなのでしょう。歴史解釈はいろいろあっても事実はひとつであり、解釈は変えられても事実は変えられません。白黒をつければいいし、それは十分可能です。もし、それまで自分の知らない事実を他人から指摘された場合、真実を知りたいと思えば、調べられるはずですし、それで自らの認識も深まります。
 しかし、どうも、「歴史戦」を言う方の興味は、真実を明らかにしたり、自分の認識を深めたりすることにではなく、「戦う」こと、つまり、歴史(史実)を材料にして相手をどうやって打ち負かすかにあるようです。こうなると、「勝つ」ために都合のいい「事実」は拾い集めても、不都合な「事実」には目を向けなくなります。かりにそうした「事実」が出てきたら無視にとどまらず、場合によっては(「勝つ」ために)隠蔽し、捏造するかも知れません。これでは話が歴史の真実とはかけ離れた方向に進んでしまいます。

 上の古賀さんの文章にだけ依存するのは手抜きですが、佐渡金山での労働が「強制」か「応募」かは、全体状況から常識的に判断すれば、新潟県史に書いてあることに分があるのは明らかでしょう。さらに言えば、朝鮮人佐渡金山で働いていた(働かされた)事実は、双方とも否定していないのですから、動かせません。これで「歴史戦」をやろうとする「応募」派はどういう「勝算」をもっているのでしょうか。

 石原慎太郎氏も元気であれば、この「歴史戦」に「参戦」して何か発言したかも知れません。慎太郎氏の国粋的な発言をポーズと言うつもりはありませんが、いや、案外、自分は「無益」なことには賛成しないと言う気もするのです。合掌。

佐渡島の金山 “韓国の主張はひぼう中傷 反論を” 自民が決議 | 日韓関係 | NHKニュース
「負の歴史も示す必要」共産・志位氏 佐渡金山の世界遺産推薦 [共産]:朝日新聞デジタル



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